営業日変更のお知らせで「ディズニーランド同様、進化し成長し続け完成しないのがウリの当店」って書きましたが、どういうことかわからない人もいると思うので昔の新年のご挨拶を、再び。
2004年1月の《口上》 『進化するワインバー』
新年明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願い申し上げます。
ちょうど1年くらい前だったと思いますが、深夜のTVで、ウォルトディズニーの伝記をやっていました。2編連続の放映で、第1部がアニメや映画、第2部がディズニーランドとエプコットという都市造りについての話でした。
とても興味深い内容で、遅い時間にもかかわらず子供と最後まで見ました。見終わって、2人でいろいろ話をしました。
小さい頃、家が貧しくておもちゃを買ってもらえず、身の回りのもので繰り返し繰り返し想像を膨らませながら遊ばざるを得なかったからこそ、細部に至るまではっきりとしたイメージが形成され、映画やディズニーランドを造る上で役立ったのではないか・・・だから子供にものを買い与えすぎるのはよくない、とか。
「ディズニーランドの強さは、それがミッキーマウスランドではない点だ」というのは息子の指摘です。「ディズニーの頭の中に明確に存在した子供も大人も楽しめる健全な遊園地、その彼の理想や哲学を具現化したものがディズニーランドであり、その当初の思想が東京ディズニーランドにもいまだに息づいているところがすごい。単にヒットした映画をもとに、2匹目のどじょうをねらって造られたテーマパークとは違う」というのです(番組で紹介された、一家はいっときディズニーランド内の消防署の2階に実際に住んでいたとか、ウォルトディズニーは早朝、開園前のディズニーランドを、たった1人消防自動車を運転し走り回るのが好きだったというエピソードは、本当にいいですね)
このときは息子に話さなかったのですが、開店を間近にひかえていた私の心に、深く焼き付いたことがありました。それはウォルトディズニーがディズニーランドを造ろうと思い立った理由です。映画で成功を収めていても、彼はこういっていたそうです。
「映画は編集を終え、配給会社に渡してしまえば、自分は何もすることが出来ない。しかし遊園地はいろいろなことが出来る。遊園地は成長し、進化する」
彼のこのことばを聞いたとき私は、自分がこれから始めるお店も、成長し、進化するお店にしようと心に誓いました。
以前の私の店もそうでしたが、今日多くのお店は、オープンし営業がある程度軌道に乗ると、同じことをただ繰り返しているだけのように思われてなりません。折々行われる各種イベントなども、単に義務的、常規的に目先を変えているだけで、本質的には何も変わっていない、変えようとしていない、成長や進化とは無縁の、変化のための変化だと私には感じられるのです。
そして類似のお店が増え、造作が老朽化し、話題性や新鮮味がなくなって本当に飽きられ始めると、大々的にリニューアルし、また新規開店する・・・こういったお店は、運営スタッフにお店をゆだねてしまったあとは、配給会社に渡った映画ようなものではないでしょうか。
「成長し、進化する」とは、次々に新メニューを開発したり、新奇な企画で客寄せしたり、売れっ子デザイナーを起用し店舗を改装することではないと思います。
さらにいえば、売上や利益が増えることでもないと思います。事業規模が拡大し、働く人の数や扱う物の量が増え、より多くのお金を動かせるようになることは、発展、繁栄ではあっても、成長や進化とはちょっと違うように思えるのです。
子供をそのまま大きくしても大人にはなりません。成長や進化には、量的拡大のみならず、質的変化が伴うものです。生物学的なことはわかりませんが、バーでいえば、取り扱い商品やその構成、内装や器、提供の仕方、サービスなどが、同一性を保ちながら、時間の経過に従い円熟味を増し、風格を上げ、落ち着いた「いい感じ」を醸しだすように変わっていくことだと思うのです。
忘れてならないのは、成長にはそれ相応の時間が必要だということです。急速な発展や繁栄はあっても、急速な成長はあり得ないといえます。経営戦略や戦術、組織改革などは自ら選択、変更することは出来ても、時の経過は速めることも遅らせることも出来ないからです。進化もまた、そこに至るまでの長い淘汰の歴史があったと理解しなければなりません。
しかし、時間は如何ともしがたいとはいえ、人間形成に運動や学習が不可欠なように、何もせず漫然と時の流れに任せているだけでは、よりよい成長は望めないのではないでしょうか。はっきりとした目的意識と主体性を持って時を重ねることが、とても大切なのだと思います。
こう考えてみると、効率優先のこの時代、成長、進化するお店である必要はないのかも知れません。若さや新しさは、それだけで万人にうけるものです。面倒で時間のかかる成長や進化よりは、新たなお店を生み出すほうが、実は容易で結果として安く済みます・・・しかし、だからこそ私は、出店時の心境を思い出すのです。
新たな1年を迎えるにあたり、加齢や経年ということが、ただ老化し古くなるということではなく、成長し進化した新たなステージの始まりとなるよう、初心を忘れず努力していきたいと思います。バーは大人の遊園地です。どうか本年も変わらぬお引き立てのほど、よろしくお願い申し上げます。
新年を迎え読み返してみると、それなりに歳もとり金融危機などを経験した今、成長し進化する(し続ける)と声高にいうには厳しいものがあるのも事実です。開店時の、その着眼点はいいとしても、なんかぁ、とてもアメリカ的というか、楽天的な拡大路線の屁理屈のような気もします。結局は発展や繁栄のためのいい訳ではないかと・・・
文中にもありますが、成長や進化の時間に対する変化はあまりに微小です。多くの人々が若さや新しさ(日の下に本質的な新しいことはなくとも)といった、単純な物珍しさ新奇さに興味を示し、努力の質や量よりも、結果としての方向や到達点といったものを重要視する時代にあっては「出店時の心境」など思い出さなくてもいいと思ったりもします。限りなく成長し進化するというイメージは癌細胞を連想させ、病的な感じもするし、成長も進化もしない日本経済になれちゃうと、どうでもいいから発展と繁盛したほうが勝ちなのかなって気もします。
でもね、私はね、私個人として、やっぱり発展や繁盛より、成長し進化したいんですよ。
もう・・・だから、ご支援、ご鞭撻をなんていわないし「どうか本年も変わらぬお引き立てのほど、よろしくお願い申し上げます」なんてこともまったくいいません。私の希望は健康な限りこの商売をやり続けることなんです。
「ただ老化し古くなる」だけでも、半世紀繁栄できる企業はそうない時代であれば、十分価値あることのように思えるんです。まあ、この商売、所詮そんなに儲かんないんだから、今年も気楽にやりますよ。お客さんがうんざりするほどずーっとね。