最近、ちょこちょこ走ってますよ。ええ、いちおうジョギングサークル「ハシレナクテモ」の部長ですから。
それまで「ジョギングなんて何が楽しいんだろう」と思ってた僕がひょんなことから走り出したのは2007年、だから3年前、ってことになるのかな。
その年の春夏はほんとアホみたいに走ってて一番走った月なんて合計100キロ走ってた。もうね、ジョギングが趣味の人はご理解いただけると思うけど中毒になってくるんだよね。
そこからだらだらと走り続けて、2年前くらいに十二指腸潰瘍で入院してからジョギング熱がちょっと冷めたかな。そのころ正直ほら、ジョギングっつーか生きてくので精一杯だったしさー。
で、体調も回復してまぁ昔ほどじゃないけど時間のある限りはね、極力走ってます。
こないだよね3のmixi日記にコメントもしたけど、走ってるとすごく「時間」を気にするようになってくる。
走り始めた当初って自分が何分走ったか、なんてぜんぜん気にしてなくて息の続く限り適当に走ってたんだけど、そのうちやっぱり「自分は何キロを何分で走っているのか?」ってことが気になってくるんだよね。
ついついLAPを測れる腕時計買っちゃったりしてね。
それで思うんだけど本当にランニングタイムというのは残酷で理不尽なもの。
僕はだいたい距離と時間を測るのは皇居をジョギングするときが多い。(近所を走るときは距離なんて測ってない)
皇居は約5キロなんだけど、調子いいときで僕は1周34分。すいませんね、遅くて。
で、疲れてて終盤歩いたりしても40分は切るくらい。
まずねここが理不尽だと思うんですよ。一生懸命走って息を切らして34分、適当に楽して40分、というのが。
もし「楽したらタイムが倍」というなら納得もいく。一生懸命走るのに比べて、最後歩くのって体感で言ったら倍くらい楽でしょ。でも時間はちょっとしか変わらない。
更に理不尽なのは、「とにかく今日は34分を切ろう」と思って一生懸命、いつも一生懸命で34分なのにそれに加えて一生懸命走るとする。
これ、ご理解いただけると思うけど、自分の「一生懸命」から更にがんばるってさー、もう地獄ですよ。
自分が学生だったときも、学校で教えてたときも、そして今の仕事でも思っていることがある。
「30点しか取れない人に倍の60点取らせるのは結構簡単。やれば出来る。でも90点取っている人に100点取らせるのはかなり難しい。」
あ、これあくまで高校か大学くらいまでの受験勉強の話ね。大人になってからの勉強は「二次曲線である」というのが僕の持論だけどそれはまだ今度。
受験勉強で言えば、残された時間のことを考えなければ(たとえば受験まであと1ヶ月、とかじゃなければ)僕は人に勉強教えていたとき、今30点でもまぁ60点くらい、少なくとも平均点取らせる自信はあった。特に高校受験はね。ああいうのって基本的には「やりゃ出来る」、っていう物だから。
日頃がんばってない人、あるいはがんばり方が分からない、がんばり方が見当はずれになっちゃってる、って人をちゃんとがんばらせればまぁまぁ平均点くらい取るようになれる。
でもね、いつも90点の人を100点取らせる、というのはすごく難しい。90点取る人って日頃からがんばってるわけだから。がんばってる上に更にがんばらせる、ってのは大変なんだよね。ついつい「90点取れるんだから後10点なんて簡単に取れるじゃん」と思いがちだけど違うんだよね~。
そうそう、そう嫌つんくも同じようなこと言ってた。「誰だって65点は取れる。でも100点取るのは才能。だから65点を集めてモーニング娘。を作った」って。
話飛んできたんでジョギングの話に戻すけど、34分を切ろうと思っていつもの一生懸命に更に加えてがんばるとするでしょ。その努力たるやいつもの倍くらいの感覚ですよ。
そしてタイムを見る。
33分30秒、だったりするわけ。
「あれだけがんばってたったの30秒かよ!」とぶち切れそうになるんですよ。努力の量で言えばいつもの倍、だからはっきり言ってタイムなんて半分になってくれよ、って思う。
これがねー本当に残酷で理不尽だと思う。
すごく手を抜いて、いつもの半分の努力、でもタイムは4分多いだけ。
でもいつもの倍くらい(のつもりの)努力しても30秒しか縮まらない。
なにさ!
でもね~これが人生だと思うんだよね~。
手を抜いても結果は大して変わらない。でも自己ベストを更新しようと思えばとんでもない努力が必要。
どっちを選ぶか、ってことですね。
走ることって学ぶこと多いんだよなぁ。
それまで「ジョギングなんて何が楽しいんだろう」と思ってた僕がひょんなことから走り出したのは2007年、だから3年前、ってことになるのかな。
その年の春夏はほんとアホみたいに走ってて一番走った月なんて合計100キロ走ってた。もうね、ジョギングが趣味の人はご理解いただけると思うけど中毒になってくるんだよね。
そこからだらだらと走り続けて、2年前くらいに十二指腸潰瘍で入院してからジョギング熱がちょっと冷めたかな。そのころ正直ほら、ジョギングっつーか生きてくので精一杯だったしさー。
で、体調も回復してまぁ昔ほどじゃないけど時間のある限りはね、極力走ってます。
こないだよね3のmixi日記にコメントもしたけど、走ってるとすごく「時間」を気にするようになってくる。
走り始めた当初って自分が何分走ったか、なんてぜんぜん気にしてなくて息の続く限り適当に走ってたんだけど、そのうちやっぱり「自分は何キロを何分で走っているのか?」ってことが気になってくるんだよね。
ついついLAPを測れる腕時計買っちゃったりしてね。
それで思うんだけど本当にランニングタイムというのは残酷で理不尽なもの。
僕はだいたい距離と時間を測るのは皇居をジョギングするときが多い。(近所を走るときは距離なんて測ってない)
皇居は約5キロなんだけど、調子いいときで僕は1周34分。すいませんね、遅くて。
で、疲れてて終盤歩いたりしても40分は切るくらい。
まずねここが理不尽だと思うんですよ。一生懸命走って息を切らして34分、適当に楽して40分、というのが。
もし「楽したらタイムが倍」というなら納得もいく。一生懸命走るのに比べて、最後歩くのって体感で言ったら倍くらい楽でしょ。でも時間はちょっとしか変わらない。
更に理不尽なのは、「とにかく今日は34分を切ろう」と思って一生懸命、いつも一生懸命で34分なのにそれに加えて一生懸命走るとする。
これ、ご理解いただけると思うけど、自分の「一生懸命」から更にがんばるってさー、もう地獄ですよ。
自分が学生だったときも、学校で教えてたときも、そして今の仕事でも思っていることがある。
「30点しか取れない人に倍の60点取らせるのは結構簡単。やれば出来る。でも90点取っている人に100点取らせるのはかなり難しい。」
あ、これあくまで高校か大学くらいまでの受験勉強の話ね。大人になってからの勉強は「二次曲線である」というのが僕の持論だけどそれはまだ今度。
受験勉強で言えば、残された時間のことを考えなければ(たとえば受験まであと1ヶ月、とかじゃなければ)僕は人に勉強教えていたとき、今30点でもまぁ60点くらい、少なくとも平均点取らせる自信はあった。特に高校受験はね。ああいうのって基本的には「やりゃ出来る」、っていう物だから。
日頃がんばってない人、あるいはがんばり方が分からない、がんばり方が見当はずれになっちゃってる、って人をちゃんとがんばらせればまぁまぁ平均点くらい取るようになれる。
でもね、いつも90点の人を100点取らせる、というのはすごく難しい。90点取る人って日頃からがんばってるわけだから。がんばってる上に更にがんばらせる、ってのは大変なんだよね。ついつい「90点取れるんだから後10点なんて簡単に取れるじゃん」と思いがちだけど違うんだよね~。
そうそう、そう嫌つんくも同じようなこと言ってた。「誰だって65点は取れる。でも100点取るのは才能。だから65点を集めてモーニング娘。を作った」って。
話飛んできたんでジョギングの話に戻すけど、34分を切ろうと思っていつもの一生懸命に更に加えてがんばるとするでしょ。その努力たるやいつもの倍くらいの感覚ですよ。
そしてタイムを見る。
33分30秒、だったりするわけ。
「あれだけがんばってたったの30秒かよ!」とぶち切れそうになるんですよ。努力の量で言えばいつもの倍、だからはっきり言ってタイムなんて半分になってくれよ、って思う。
これがねー本当に残酷で理不尽だと思う。
すごく手を抜いて、いつもの半分の努力、でもタイムは4分多いだけ。
でもいつもの倍くらい(のつもりの)努力しても30秒しか縮まらない。
なにさ!
でもね~これが人生だと思うんだよね~。
手を抜いても結果は大して変わらない。でも自己ベストを更新しようと思えばとんでもない努力が必要。
どっちを選ぶか、ってことですね。
走ることって学ぶこと多いんだよなぁ。
練習で頑張ったって言ってもやっぱ甘えてるんだよね、
大会に出たら絶対普段出ないタイムが出る
でも練習で1人で走って力出し切るなんて無理っすよ、競技としてやってる人ならともかく、趣味でやっててそこまで追い込めないしょ
だからほどほどで頑張りましょう
長いスパンで見れば、昔より10分とかタイム縮んでるしょ
そうそう簡単にタイムは縮まない、結果出すにはそれなりの練習量が必要だってことだね
続けましょう。
僕もいつもいつも時間のことを考えてるわけじゃないんですが、ふと思っただけです。
しかしまぁ我々も30代にしてすごい趣味にのめりこんだものですね。
大学時代の我々に未来から来た人が「君たちは30代になってジョギング始めるよ」って言ったら「そんなわけねーだろ!まず飲んでから言えや!」って言ったと思います。