1990年頃になると、白爺たちはテニアン旅行のベテランになっていました。
テニアンからの引揚者を大勢引率して、慰霊に出かけていました。
旅行の計画も旅行社に依頼せず、自分で参加者の搭乗券からホテルの宿泊まで企画・手配をしていました。
サイパンからテニアンへの飛行機も、「フリーダム航空」のカウンターで英語も話せないのに購入できるようになっていました。
テニアンで . . . 本文を読む
1981年の大晦日、フレミングホテルのスタッフと一緒に、年越し蕎麦を食べながら
NHKの短波放送から流れる「紅白歌合戦」を聞いているところです。
この頃になると日本からの慰霊団や観光客が多く見られるようになりました。
ホテルの部屋が満室になると、白爺たちはスタッフに無理を頼まれて、古い別館の部屋に一時移されることがありました。
この写真がその別館です。
ホテルのスタッフは、白爺たちを「仲間内 . . . 本文を読む
1980年に行ったときには、珊瑚で造られた素朴な「テニアン飛行場」が見られましたが、それは取り壊されていました。
そして近代的な空港ビルが建設中でした。
サイパンからの飛行機は、前回と同じように「アイスランド航空」の飛行機です。
当時の「定期時刻表」が写真に残っていました。
時刻表を見ると一日に4往復しかフライトしていなかったようです。
白爺たちは、最終便で . . . 本文を読む
孫娘が「萌木の村」へ行こうと言い出したので、Emiiに留守番を頼み出かけました。
白爺は、興味はないのですが何となく同道することになりました。
夏は若い人たちで賑やかなのだそうですが、この季節は人影が一つもありませんでした。
誰もいないのに、広場では焚き火だけが温かく燃えています。
孫の話では、「夏この村は若い人たちで一杯になる」と教えてくれましたが、白爺は . . . 本文を読む
Emiiが昨日から沖縄に行ったので、独りで留守番をしている我が家の庭に、今年初めての霜が降りました。
12月に霜が降りることは記憶に無いのですが、気象情報で調べたら我が家付近の朝は2.1℃の気温だったそうです。
来春に食べる予定で白爺が植えた「しんつみ菜」は、寒そうに葉を縮めています。
今(午後1時)の気温も9.1℃だそうですが、白爺も南の島に逃げ出したい気持ちです。
否!頑張って「留守番 . . . 本文を読む
ホテルでカラオケを楽しみ、翌朝目を覚ましたら八ヶ岳が美しい雪化粧に変わっていました。
何時もはトラックが沢山走っている国道141号には、車の姿が一つも見られません。
後で聞いたのですが、清里方面の坂道は冬支度をしていないトラックが坂道を走ることが出来なくなり、
全部ストップしていることが分かりました。
白爺たちは、車のタイヤを冬用に取り替えていったから、この位の . . . 本文を読む
春来ると、可愛いい花を水中に揺らして流れている屋敷内の小川に、青いネットが張られていました。
この小川は大きな鯉が泳いでいる池の側を、道と平行して流れています。
何故ネットを張ったのか白爺は聞いて見ました。
すると「青鷺が来てこの小川を泳いでいる天然岩魚を食べてしまうので防御のために張った」との返事が返ってきました。
岩魚は、川の源泉近くまで遡って産卵をする . . . 本文を読む
「明日は日本海側は雪が降るかも分かりません」というテレビの天気予報を聞きながら、
中央高速道を走りました。
昼食の時間になったので「釈迦堂SA]に入り、Emii手作りのお弁当を広げました。
娘婿がこの弁当が大好きなので、娘夫婦と旅行する時は必ずEmiiが作っていきます。
高速道路の建設の時に、この付近に縄文時代の遺跡が発見されたそうです。
このサービスエリアから直 . . . 本文を読む
昨夜は、ホテルのカラオケルームで、白爺のファミリー4世代がカラオケを楽しみました。
曾孫が孫と歌っている写真を見てください。
爺バカを発揮して曾孫の歌に拍手喝采してきました。
爺・婆や子供夫婦も、勿論マイクを持ちましたが、写っている写真は曾孫達の姿ばかりでした。
カラオケを楽しんで一夜明けたら、又小雪が積もっていました。
野辺山からの帰りは急な坂道が続くので、 . . . 本文を読む
白爺が目を覚ましたら、ホテルの外は雪景色に変わっていました。
ホテルの人は「清里方面から来たトラックはスリップして道の真ん中で事故を起こしている」と教えてくれました。
朝食を食べた後、孫の家に行きましたが、娘の車はタイヤが交換が出来ていたのでスムーズに走りました。
母屋の周りもすっかり雪景色に変わっていましたが、天気は日本晴れで快適です。
昨夜の気温は氷点下7度と信州テレビは報じていました。 . . . 本文を読む
11時に娘夫婦に同道して、野辺山にいる曾孫の顔を見に来ました。
師走の八ヶ岳山麓は、農家の仕事が全て終わって、村は「冬籠り」をしているという感じがしました。
野生の山葵が生えている洗い場も、落ち葉が積もっていてすっかり冬景色になっていました。
午後3時半時頃からは、粉雪が降り始めました。
白爺は、明日までに積もらないよう願っています。
. . . 本文を読む
白爺が、戦後初めてテニアンに渡ったのは1974年です。
Emiiはこれより前から行っていたのですが、白爺は仕事の関係で簡単に海外への旅行は出来ませんでした。
初めて搭乗した飛行機は、1970年開港の成田空港をフライトした「コンチネンタル航空」の飛行機でした。
サイパンの空港には、まだゲートが造られていないので、飛行機から歩いてビルの中に入りました。
休みが取れない白爺も「年末年始を利用して故 . . . 本文を読む