白爺は、つくば市に来たので、国土地理院の隣にある「地理と測量の科学館」に行ってきました。
玄関前には沢山の小学生が集まっていたので、この団体を避けて館内に入りました。
入ると3Dで日本国土の立体図が目に飛び込んできました。
白爺は、先ず問題になっている「尖閣諸島」に行きました。
新聞紙上で有名になった「尖閣諸島」は小さな島が沢山あり、その中で「魚釣島」が一番 . . . 本文を読む
孫達夫婦は、つくば市に住んでいます。
白爺は、急に寒くなり小雨も降り出した東京から、外環道⇒常磐道を経由して筑波山の近くまで、久しぶりに高速道をドライブすることになりました。
孫から「2月に地鎮祭をした家が出来たので、おじいちゃん来てよ!」と、親族が集まる新築祝いへの参加を依頼してきました。
白爺は最近高速道を走らないので、ドライブが心配でしたが参加することにしました。 . . . 本文を読む
昔の話・・
製糖所を遠くから眺めた写真です。
この写真も1931年頃のものですから、白爺が知っている工場はもっと大きくなっていました。
砂糖キビを運搬してくる列車は、この操車場で列車の向きを変えたり、工場内にキビを押し運んだりしていました。
機関車には、数字で機関車番号が書かれているのですが、子供達はそれぞれ贔屓の機関車を持っていて、「3号は力が強い機関車だ!」「5号は速度が速いぞ!」など . . . 本文を読む
昔の話・・
航空母艦のような島テニアンは、島全体が開拓されて砂糖キビが植えられていました。
収穫された砂糖キビは、製糖工場まで専用の「キビ列車」で運ばれます。
写真は、1931年頃現在のタガビーチ付近を走っていた「キビ列車」です。
まだこの頃はテニアンにも椰子の木があったようですねー。
小さな機関車はスピードが遅く、本当に「ヨイショ!コラショ!」と言いながら走っている . . . 本文を読む
昔の話・・
南洋興発の本社は東京にあったそうですが、1931年頃の事務室では、着物を着た社員が働いていたようです。
一方南洋群島では、テニアン製糖工場が中心になって、砂糖の生産をしていました。
テニアン島内では、ソンソン町の人と興発の人とは、口にいえない空気の違いを感じましたが、白爺だけだったのでしょうか?
尤も、砂糖キビを耕作している方は、興発の酒保(ス . . . 本文を読む
昔の話・・
1931年白爺が生まれた頃のテニアン郵便局です。
建てたときは、平屋の建物だったようです。
白爺が知っている郵便局は、写真のように二階建ての局舎です。
向って左に貯金・為替の窓口があり、正面が郵便窓口になっていたと思います。
二階には、電話の交換室があったのかもしれませんねー。
局の敷地は裏の道まで続いていて、電信室や無線の鉄塔がありました。
白爺は、アイスケーキを買いに行くと . . . 本文を読む
今日は彼岸入りです。
白爺は、早速墓参りに行きました。
白爺の家の寺は浅草にあるのですが、墓と支坊は我が家の近くにあります。
関東大震災の時に浅草にある本願寺関係の墓を、多摩地区に移動したそうで、我が家の墓はその中に入っていたのだそうです。
父から聞いた話なのですが、我が家は当時浅草から田舎に移転するのを反対していたそうです。
しかし国の政策もあり、浅草の本願寺が三菱地所?住友地所?(忘れた . . . 本文を読む
野辺山駅の近くに、「ぽっぽっ牛乳」の名前で有名な「ヤツレン」があります。
隣の敷地には、牛の飼料で作った可愛いモーモーが出迎えているのですが、白爺が行った日は濃霧が迫ってきて、はっきりと見ることが出来ませんでした。
敷地内にはヨーグルト工場があります。
観光客には工場内見学もさせながら、お土産品を売っています。
ここで売っている牛乳は、天下一品です。
不 . . . 本文を読む
孫の家の近くにある街道筋に、「びっくり市」という野菜スーパーがあります。
小雨が降っていましたが、立ち寄って眺めることにしました。
入り口には玉葱の大きな袋積めが積んであり、1050円の値段が添付されていました。
野菜の高いこのご時世に、何で安いのか不思議に思って眺めてきました。
孫の家で頂戴する野菜が多く、車に積めないので手を出しませんでしたが、買って帰りたい気持ちは今でも残っています。 . . . 本文を読む
野辺山で泊まるホテルの前は、JRの一番高い所にある鉄道線路だそうです。
観光バスできて、この記念碑の鐘をならすツアーがあるようですねー。
ホテルの門を出たところに踏切があります。
線路が一番高いところですから、踏切も一番高いと聞きました。
第3甲州街道踏切とあるので、「新宿から出ている甲州街道が・・?」と思ったのですが、
調べて見たら「佐久甲州街道」という . . . 本文を読む
「今年は猛暑が続き葉物野菜は品薄だ」と言われているが、八ヶ岳山麓は涼しいのでキャベツやレタスが良く育っていました。
孫の家も、中国からの研修生も参加して収穫の真っ最中でした。
毎日計画出荷をするのだそうで、朝4時過ぎから畑に行くそうです。
白爺も小豆の収穫を手伝いましたが、数十年ぶりにする農作業は苦労より楽しさのほうが多く残りました。
. . . 本文を読む
今日は曾孫に会うために野辺山へ来ました。
2時半に到着したのですが、気温は20度です。
エアコンで冷房をしていた午前中がウソのようです。
母屋のお母さんの話では、「朝は手袋をしないと寒いですよ」と言っていました。
長袖は持ってきましたが、明日が心配ですねー。 . . . 本文を読む
昔の話・・
白爺が3年生になったときに、テニアン小学校を卒業していった女子組の卒業記念写真です。
今この人達が元気なら、82歳になっているでしょう。
テニアン小学校には講堂が無いので、第1校舎前で卒業式を行いました。
上の写真から3年過ぎて、白爺も同じ場所で卒業式をしました。
ただ3年前の卒業式とは、内容が全く違っていました。
空襲警報が発令されない時間に慌しく式が行われ、卒業記念の写真等 . . . 本文を読む
昔の話・・
白爺のテニアン幼稚園卒園式の写真です。
青い線の先が、可愛いい白爺の姿です。
1列目の線先が、白爺の初恋の人です。 (早すぎる?ぺチャ・ぺチャ)
そんなこと無いですよ。小学校の教頭先生の娘さんですが、遊んで汚れた時には一緒に風呂に入っていました。(ファミリーでのお付き合いです。)
2列目の線先は、Emiiです。
57年間ドカーンと我が家に鎮座していますが、このときは人見知りをしていま . . . 本文を読む