写真は、テニアンからの引揚げ証明書です。
その頃、小学校は国民学校とよばれていました。
春休みも終わり、白爺は国民学校高等科に進学しました。
高等科になると、高度の勉強をするのかと思ったが、そんなことはありません。
学業の時間は減って、タチョンガの浜にトーチカを築く作業が多くなりました。
マルポ街道のメリケン松陰には、攻撃機に搭載する魚雷が分散して並べられるようになりました。
そんなある . . . 本文を読む
白爺の父親は、5年生のときに一人でパラオに行って、南洋庁に勤めるようになっていました。
そのため、白爺は5年生から我が家の筆頭男子として頑張っていました。
空襲も一段落したので、白爺たちはソンソンの家に帰りました。
その頃、「婦女子は原則内地に引き揚げる」ということが指示されました。
でも、引揚げ船がいつ来るか分かりません。又誰から帰すということも知らされていません。
引揚げ命令は、突然発令 . . . 本文を読む
写真は、米軍機が写したテニアン上空の偵察写真です。(米国公文書館保存資料)
右上の大きな建物がテニアン小学校。中央やや左上が幼稚園(今のFホテル)
白爺が5年生になると、ジョーンズビーチの沖には、アメリカの潜水艦がよく襲来しました。
警戒警報が発令されて、潜水艦が来たと聞くと、気の弱い白爺はブルブルしていました。
それでも、将来を夢見る白爺は、10月には航空機乗員養成所の試験を受けるために、海 . . . 本文を読む
写真は、航空機乗員養成所の受験票です。
ハゴイの海軍司令部にいる兵隊さんは、休暇の日にはトラックでソンソンへ遊びに来ました。
大部分の兵隊さんは、ジョーンズビーチの上方にあった遊郭街に足を向けていました。
白爺の家は、父も母も和裁を教えていたので、多くの娘さんが習いに来ていました。
兵隊さんは、娘さんと話をしたいのと、母親が作る家庭料理が食べたいので、よく白爺の家に遊びにきていました。
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写真の建物はわが母校
勿論建物自体は戦争で焼けましたが、廊下のコンクリートは、白爺が通学していたときのまま使用しています。
1年生のときは、1校舎から3校舎までが並んでいましたが、生徒が増えたので後では向かって右斜め(今南洋桜がある近く)に教室が増やされました。
1校舎と2校舎の間に小使室があり、今でも竈の跡が残っています。
ここで虫下しの「海神草」を飲ませれましたが、みんなは嫌って隠れて捨ててい . . . 本文を読む
小学校は、幼稚園より近くにありました。
始業の鐘がなってから家を出ても、走れば間に合いました。
東京の叔母さんから、送ってもらったランドセルを背負って、入学式の記念写真を撮りました。
可愛いいでしょう!
テニアンで写した写真です。
小学校時代に嫌だったこと?即「運動会」と答えます。
二人三脚で3等賞に入った以外は、ビリから2番が定位置。今思っても あ~嫌だ!。
4年生の12月8日 朝早く大編隊の . . . 本文を読む
内気の白爺も、1年教育されると それなりに友達が出来ました。
でもガキ大将と一緒に遊ぶより、女の子と遊ぶほうが多かったかも・・?
家に居着いている おバアーも その中の一人です。
我が家は、今のモービル・ガススタンドの向い側にありました。
家に帰ってから、山羊の餌取が大変でしたねー。
人目を盗んで、サツマイモ畑から葉っぱをチョウダイした事も ゴメン。
何はともあれ、無事に幼稚園は卒業できました。
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白爺も可愛い時がありました。
幼稚園は、今のFホテルの所にありました。
この写真は、幼稚園時代に弟と写した写真ですが、テニアンではじめて写した写真です。
バックには海岸の景色が書かれた幕が垂れていて、ポーズをする所には珊瑚が置かれていました。
幼稚園の砂場は砂が黒くなっていて、海岸の白砂ばかりを見ている白爺は、先生に言われてもいじるのが嫌でしたねー・・・ . . . 本文を読む
05年5月16日
西会津街道の途中で、乞食の宴会(コンビニで飲み物食べ物を買って野原でする昼食を赤目会ではこのように言う)をする予定であったが、風が冷たく出来ないので、予定を変更して会津田島の店に入る。
栃木県の塩原に着いて、牡丹寺を見学後塩の湯温泉に向かう。途中で車がはぐれてしまったが無事秘湯に到着した。
旅館の露天風呂は、梯子のような急な階段を80段下りて川べりに行くので、メンバーの半分は露天 . . . 本文を読む
06年5月15日
8:0Am埼玉県与野駅前で集合し、岩槻ICから東北道に入る。
9:30Am蓮田SAで千葉組と合流して北へ向かう。
二本松ICを下りて岳温泉の蕎麦屋に入り昼食をとる。
カーナビの案内が旧道を指示するので野地温泉に着くまで苦労した。
温泉は硫黄泉で最高。ただ低温注意報が出ていて気温は9度以下になっているので露天風呂に入ると震えてしまった。
夜の宴会はカラオケ・マイクの取り合いに . . . 本文を読む