テニアン空港をフライトしたセスナ機は、無事にサイパン空港に着陸しました。
サイパン空港には、ネパールの友人ビソーさんが出迎えに来ていてくれました。可愛いビビちゃんも一緒でした。丁度昼時なので、日本商品販売店の「向日葵」に行き、白爺は久し振りに寿司の折り詰めを買って食堂の片隅で食べました。日本のスーパーで売っている寿司と変わらない味がしたので驚きました。
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日本時代のテニアン町(通称ソンソンと呼んでいた)スズラン通りです。南貿(ストアー)付近から見た、南洋興発テニアン製糖工場の煙突です。
今同じ場所から同じ方向を向いて写真に取ると、このようになってしまいます。
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ホテルの部屋を出たら電線に2羽のカワセミがとまっていました。この鳥は夜明けと夕暮れになると「キィー・キィー(表現が難しい)」という鳴き声で鳴いています。釣りに行ったとき、この声を聞くと魚が釣れ始めるのでEmiiは鳴くのを待ち望んでいます。
普段は人の顔を見ると逃げてしまうのに、この2匹はカメラを向けても逃げようとしませんでした。
写真を撮っていたら、1羽が . . . 本文を読む
シートパイルが並んでいる所に、日本時代の支庁桟橋がありました。テニアン母港の「みよし丸」とサイパン母校の「彩天丸」がお互いに1往復してお客さんを運んでいました。
この鉄材の先には日本からくる貨客船が停泊して、ランチで荷物やお客を支庁桟橋まで運んでいました。テニアンの人は、貨客船のことを本船と呼んでいました。本船が入ると、内地の新聞や食料品が来るので皆が喜んでいました。
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アメリカ海兵隊の野戦病院があった場所です。
テニアンの攻防戦では、アメリカ軍は389名の海兵隊員が戦死したそうです。また負傷者は816人ですが、この数には玉砕後残敵掃討戦で戦死したり負傷したりした人の数は含まれていないそうです。日本の兵隊さんだけが戦死したのではないのですねー。
日本軍の野戦病院は、洞窟の中に隠れて造られていますが、米軍の野戦病院は広い土地に造られていたようです . . . 本文を読む
カロリナスの慰霊碑参拝帰りに「カロリナスの屏風岩」に立ち寄りました。
東京は寒いというのに、テニアンでは半袖でも暑くてたまりません。
遠くにバンザイ岬が見えますが、青い空と紺碧の太平洋を眺めていると、ここを . . . 本文を読む
第1航空艦隊司令部の防空壕です。
玉砕当時の写真にも写っていました。
頑丈な設備なので、中に入ると座った椅子の席も残っています。
機銃を打つ窓でしょうか?奥が小さい窓になっているので、広範囲に銃口を動かす心算の造りかな?でも、上の写真を見ると銃撃戦は無理ですねー。
ここから入った兵隊さんはいたのでしょうか?空爆が激しくなっ . . . 本文を読む
強風が吹き、高波が打ち寄せ、釣りが出来なかったロングビーチが、漸く静かな浜に戻りました。白爺たちは、帰国を前に初めて朝釣りの竿を入れました。
白爺は竿を入れるとすぐにマフティ(ハマフエフキ)を釣り上げました。暫くすると、東の空に太陽が昇ってきました。太陽が顔を出した時を撮ろうと思い、急いでカメラを取り出したのですが、撮影準備が整った時にはすでに太陽は水平線がら昇ってしまいました。
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今日から春の彼岸に入りました。日曜なので駐車場が満杯になると困るので9時に家を出て墓参りをしました。
菩提寺は浅草田原町にあるのですが、関東大震災の時にお墓は白爺の近くに移転していて支坊も建っています。
お墓と支坊は白爺と同じ市内にある . . . 本文を読む
自動車免許証の更新が7月にあります。事前に「ボケ(失礼)検査と実地運転の講習を受けろ」と警視庁から通知がありました。教習所が混んでいるから早く受けておけと追記してあるので早速近くの教習所に予約をとりました。8時40分に集合しろというので、朝早く起きて隣の駅前教習所まで出向きました。
久し振りに自動車教習所に入りました。30年以上前は、マニアルの車で教習を受けていたので、坂道発進に . . . 本文を読む
竹下夢二の世界で行なわれた「東京中央電報局OB会」も無事終了しました。
又来年3月の第2火曜日まで、この鬼怒川の眺めともお別れです。
午前8時に朝食を食べると、後は各自がそれぞれに帰宅の途につきました。
「そのときの出逢いが その人の人生を根底から変えることがある よき出逢いを」と書かれた字を読んでから、白爺はホテルを出ることにしました。
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ホテルの廊下などには、日本人形が沢山並んでいます。
見ていると何か話しかけてくるような気がするので、その場を離れることが出来ません。
フロアーによっては、日本人形が現代風の人形に変わ . . . 本文を読む
鬼怒川温泉の歴史あるホテル「花の宿 松や」が東京中央電報局OB会の懇親会場になっています。昔この宿のオーナーと電報局の局員が戦友の間柄だったので、戦後この宿で懇親会を開くことになったそうです。
部屋から見た中庭ですが、錦鯉が泳いでいる池の先には鬼怒川の渓流が流れていて、一幅の絵画のような景色が眺められました。
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今年も3月の第2火曜日が来ました。3月の第2火曜日は毎年「東京中央電報局OB会」が鬼怒川温泉で開かれることになっています。白爺は会長を仰せつかっているので、この時期になるとテニアン・沖縄などの旅行から帰っていなければなりません。当日は朝9時半には家を出て東武浅草駅に向いました。
遅れるといけないと思って家を早く出たので、JRの上野駅には10:20Amに到着してしまいました。
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