半袖の沖縄から東京に帰ってきたら、木枯らしのような寒い風が一晩中吹き荒れていました。
庭に植えてある「芯つみ菜」も強い風で倒れています。
食用菊の蕾も、寒さで開けないと言っているようです。
テレビでは、「12月上旬の寒さだ」と放映していますが、我が家でも耐えきれなくて石油ストーブを点けました。
暖かい沖縄が恋しいなー。
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白爺は、10日間の沖縄滞在を終えて、TOKYOに帰京しました。
那覇空港では、長野県の高校生が修学旅行を終えて同じ飛行機に乗るので混雑していました。
白爺とEmiiはJ席を確保したので、悠々と座ることが出来ましたが、季節外れの搭乗混雑になっていました。
台風が近づいているので、沖縄近海の海は大荒れになっていましたが、上空に上がれば飛行機は順調に飛び続けてくれました。
羽田空港着陸直前には大き . . . 本文を読む
奄美大島で記録的な大雨があり、大被害が出ました。
那覇も白爺が沖縄に来てから連日大雨が降ったり止んだりしていました。
昨日も朝起きると豪雨が続いていましたが、9時過ぎには初めて太陽が顔を出してくれました。
3階のテラスから隣を眺めたら、NTT那覇の屋上にあったパラボラアンテナが取り外されていました。
この局舎も1階は他社に貸しているようでアンテナが要らなくなったのでしょう。
白爺は少し寂しいと思 . . . 本文を読む
テレビの天気予報では「今日も雷を伴った雨が降る」と放映していましたが、朝食を食べた頃から薄日が差した天気になりました。
白爺はやり残しておいたブーゲンビリアの剪定が終わったので、那覇市郊外の安謝にある「だいこんの花」へ昼食を食べに行きました。
曇り空の中を走る那覇市内の風景は、南国風の面影がないので少し淋しく感じました。
久しぶりに入る「だいこんの花」ですが、席を予約しておかなかったら座れな . . . 本文を読む
台風はフィリピンへ向かったが、その余波で沖縄は昨夜から大雨が降っています。
昨日剪定した草木を家の前に出すのが精一杯で、
その後は一日中家に籠って新聞・テレビを眺めて過ごしました。
沖縄の新聞は、東京と違って中央政治の記事が少ないので、白爺は少し物足りなく感じているのですが、「中国の習国家副主席は福建省の省長として沖縄に来られた。当時の稲嶺知事とは友好県省として付き合いがある」等と沖縄関係の記事が . . . 本文を読む
白爺は、沖縄に来て先ず屋上の点検をしました。
パパイヤは実が生っても小鳥の餌なってしまうらしく、啄ばまれた実が沢山ぶら下がっていました。
そして花壇畑は草のジャングルになっていました。
娘たちは、お姑さんの癌看病で忙しく、屋上などへは行っていないようでした。
3階のブーゲンビリアは辺り構わずに伸びて、綺麗な花をつけていました。
でも、隣の家まで蔓を伸ばすので困ります。
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11時45分羽田空港フライトで、白爺は沖縄に来ました。
半年ぶりの沖縄ですが、台風の影響か尖閣問題の影響か、上空から見た東シナ海は大きな波が逆巻いていました。
空港には、「メンソウレ沖縄」と並んで「宮里美香優勝おめでとう」の文字が書かれていました。
夜は早速泡盛の宴会が行われ、白爺は「極楽!極楽!」の一日になりました。
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昔の話・・
66年前のテニアンです。
前回のカロリナス写真にあった米軍のスピーカーに誘われたのか、日本の兵隊さんに勧められたのか分かりませんが、民間人が投降して洞窟から出てきた写真のようです。
投降してきた人達は、50人ずつに区切られてトラックでキャンプ(収容所)へ連れて行かれたそうです。
Emiiの話では、家族が分割されると必死で妨害していたそうです。
アメリカ兵に捕まれば、「日本の婦女 . . . 本文を読む
昔の話・・
チューロビーチに上陸したアメリカ海兵隊は、次々日本の守備隊を撃破してソンソン町まで到達しました。
賑やかだったソンソン町は廃墟となっていますが、
その中をアメリカ軍はカロリナス方面に進軍しているようです。
北から追われた日本の兵隊さんは、最後の砦とするためカロリナス台地の洞窟に撤退しました。
勿論民間人も同じで、Emiiも両親とカロリナスの洞窟に避難したそうです。
台地に登るジ . . . 本文を読む
昔の話・・
日本の守備隊が玉砕すると、テニアン島は直ちに米軍のB29基地に変貌しました。
テニアンはサイパンのように高い山がないので、まさに不沈空母。
長い滑走路も4本建設されて、日本空襲の拠点になったようです。
白爺たちの児童動員では、モッコを担いで滑走路造りをしていたのですが、さすがアメリカの基地建設技術には驚かされますねー。
テニアンからのB29は、富士山を . . . 本文を読む
昔の話・・
愛機の前でポーズをとるテニアン航空隊?の兵隊さんです。
出陣体制完了。
いよいよアメリカ機動部隊攻撃に出陣、最後のチェックです。
滑走路には陸上攻撃機が離陸して行きます。
整備員達基地に残る兵隊さんは、帽振りで無事の帰還を祈ります。
以上白爺の想像です。
これらの写真は、テニアンから帰還したアメリカ兵のHPに発表されている写真です
おそらく戦死した日 . . . 本文を読む
昔の話・・
1944年6月24日早朝です。
アメリカ軍はサイパンから第二海兵師団の上陸用舟艇100隻以上をテニアン港に集め上陸しようとしました。
日本の守備隊は、上陸に備えて防戦態勢に入ったそうです。
しかし、これはアメリカ軍の陽動作戦で、海兵隊第二・第三師団の主力は、1航艦司令部に近いチューロビーチとバーブイビーチに上陸用舟艇150隻で上陸を開始しました。
上陸用舟艇の中にはLVT(水陸 . . . 本文を読む
昔の話・・
2本椰子の海岸に建つていた灯台です。
砂糖キビに害を与える虫が発生するというので、テニアン島ではこの灯台の付近にあった2本の椰子以外は全て切り倒されて、椰子の無い南洋の島になっていました。
椰子の木が2本あったので、2本椰子海岸と呼ばれていました。
この磯からは、タガハウスの石を切り出していたので、チャムロの人はタガビーチと呼んでいたようです。
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昔の話・・
興発桟橋から、珊瑚礁の外に停泊している本船(内地から来る貨客船)に砂糖を積み出している写真です。
1931年ころの写真ですから、白爺が知っている桟橋はもう少し補強されていたように思います。
この桟橋は水深が深く大きな魚が釣れるので、白爺たちは隠れて釣りに入るのですが、工場の人に見つかってよく叱られました。
「危険立入禁止」の表示があったのかもしれませんが、釣りに夢中になっている . . . 本文を読む
那珂湊にある「おさかな市場」に行きました。
東水戸自動車道路が無料になったためか、北関東道が常磐道⇒東北道に接続されたためか出口は長蛇の列で、高速を降りるだけで30分以上掛かってしまいました。
市内に入ってもノロノロ運転が続き、最後の駐車場にたどり着くまでには相当の忍耐が必要でした。
特に日曜日は高速料金が安くなったので、那珂湊に来る人が増えたのでは・・?
魚を買いに来る人が増えたのならよいこ . . . 本文を読む