まだまだ足りない。
もどかしい。
…分かってる。
完璧な人間なんていない。
足りている人間なんていない。
完璧な基準はどこ?
足りている基準はどこ?
自分の足りないところにフォーカスした瞬間、人は弱くなる。
なぜならば、力とはひとりで出すものではなく、ひとつひとつの力を束ねて大きくするものだからだ。
弱いと感じてしまうのは、自分だけにフォーカスしてしまうことで、自分のまわりにいる人たちとの絆が見えなくなってしまうから。
強くならなければならないのは、自分ではなく絆。
必要なのは完璧なあなたじゃない。
必要なのは完璧じゃない私を許してくれるあなた。
あなたが足りないあなたを許せないというなら、
年々歳を取り、いろんな力を失っていくわたしたちは、許されない存在なのでしょうか?
生まれつき障害を持ち、人に助けてもらわなければ生きていけないわたしたちは、許されない存在なのでしょうか?
介護という仕事は、年々何かを失っていく心に寄り添う仕事。
その中で、できないことではなく、できることにフォーカスしていく仕事。
今、できることがある幸せを見つける仕事。
人は、自分が求める全てのことが出来るようになることはない。
その中で悩み、苦しみ、自分ではない誰かのために出来ることを見つけ、ひとつずつ積み上げていく。
今、目の前にいる誰かのために、自分の成長が追いつかず間に合わないかもしれない。
でも僕たちは今目の前にいる誰かを選ぶことはできない。
余命数日の人のお世話をすることもあるかもしれない。
間に合わない。
間に合わないんだよ。
どうあがいても。
でも…
何かひとつでもその誰かのためになることを見つけようとするあなたの努力が、もしかしたら次の誰かには間に合うかもしれない。
何かひとつでもその誰かのためになることを見つけようとするあなたの努力が、また他に努力している誰かと結びつき、もっと大きな一歩が踏み出せるかもしれない。
ひとりの相手に寄り添うということは、その命を看取るということは、たかがひとりの努力でなんとかなるようなものではない。
それほどに、ひとりの人生に関わるということは、重い。
だから包括という考え方がある。
様々な役割の人が、その人のために必要なことを考え、支え合う。
それでもまだ足りない。
それでもまだ間に合わない。
だからそのチームで積み上げたことを、また次の誰かに積み上げ、よりよい支援の環境を作っていく必要がある。
まだ足りない。
もっと誰かの力になれる自分になりたい。
そんなあなたに寄り添ってもらえる人は、その命が尽きるまでの時間に価値を見出す。
自分のことを思ってくれる人がそばにいてくれたことで、どれだけその命に温もりも感じることができるか。
僕たちがやらなければいけないのは、まず生きている温もりを伝えること。
生きている温もりを人に伝えることが出来るあなたがいればそれでいい。
生きているということは、温かいことなんだと思い出させてくれるあなたがいればそれでいい。
どんなに優れた技術を持っていても、そこにあたたかみがなければ、相手の心を温めることができなければ、足りないんだ。
まず相手に触れて、その人に体温があり生きているということを理解する。
そこに心があり、心を温めることができることを知る。
そして、その人に触れていることで、自分もあたたまるということを知る。
…僕たちの仕事は、そういう仕事なんだ。