最近ブログの更新頻度が上がってるけど内容が薄い。これには意図がある。もっとシンプルにアウトプットするクセをつけたいからだ。ヒマがあるから更新できるというわけではなく。ちょっとした合間にでもできることをしたい。他のブログがどうなっているかは分からないが、一応このブログはメールを送るだけでアップできる。誰かにメールするのと変わらない手間でブログが更新できるのは強みだと思う。最近ではtwitterもだいぶ認知されてきたので、ブログでもメモ的に発信することにあまり抵抗が無くなってきた。まあ、twitterはみんなが「つぶやきあって」何かの形を作っていくことが素晴らしいと思うものなのだが、残念ながら自分のブログは一方通行。別にコメントを禁止しているわけではないのだが、周囲に言わせれば「コメントしづらい」らしい。内容が「硬い」ということなんだろう。このブログを始めた頃はもっと口語的でくだけた内容だったのだが、いつの頃からか「硬く」なってしまった。人目を意識しすぎたからかもしれない。コメントが全くといっていいほどないブログなので、誰も見てないのかと思いきや、実は案外見られている。ブログの管理者は編集画面でアクセスのデータを見ることができるのだが、だいたい更新する度に50~100人がこのブログを見てくれているらしい。50~100アクセスなら、この読みづらい面倒なブログを何度か読み返しにきてくれてるのかと思えるのだけれど、50~100アクセスではなく、50~100人。ブログを読む側の人はこの数字がとても小さなものに思えるかもしれない。普通に検索して辿り着くブログは当然ヒット数が多いものであり、「○○万ヒット達成」等の言葉が目につくものが多いからだ。しかし自分にとってこの50~100人という数字は意外と大きい。常に自分の前にそれだけの人がいるイメージを感じながら書いてしまう。できれば今後はこのプレッシャーに負けないように自分の言葉で書いていきたい。やはりコメントは欲しい。内容を肯定するものでも否定するものでも、または関係ないものでも、自分以外の人はどう感じどう反応するのかを知りたいから。
正直なところ、以前はコメントをもらうのが怖かった。否定されたときに心がブレたり揺らいだりして、自分の意見に自身が持てなくなってしまいそうだったから。しかし、少し前に紹介した「
日本はバルサを超えられる」のブログのコメントに対するやりとりを見ているうちに、意見が違ったとしてもやりとりの仕方によってはお互いのプラスに働くと思えた。もちろんそういうブログを展開していくためには技術も苦労も必要だろう。でもそれが自分を育てる糧となる。それこそが、自分が求めるwebの最も有効かつ効果的な使い方であると思う。そういうブログを目指すためには、このブログもかなり整理していかなければならない。途切れ途切れでありながらも、このブログをはじめて4年になる。これはこれで終了させて、新たに1からブログをやり直そうかとも考えたが、過去の自分をもう一度紐解きながら、このブログを高めていきたい。
一番初めにも書いたように、このブログは自分の生きた足跡だから。