shinyworks

~諦めないなら焦ることもないさ~

何も無いなんて・・・

2010-12-23 | 雑記
何も無かった。

何も無いと思っていた。

でも何も無いなんてこと、厳密に言えばありえなくて。

正確に言えば、自分の必要をしているものが何も揃わないということだったんだろう。

その場に留まれば、揃っていくのは分かっていた。

でも留まれなくて。

少し揃えばすぐに先に進みたくなる。

進めばまた必要なものは変わってくる。

そんなことの繰り返しで人は成長していくんだと思っていた。

でも成長すればするほど満たされなくて。

どこまでいってもゴールは見えなくて。



自分が吸収してきた様々な要素を活かせるかどうかは、料理することと似てるかもしれない。

美味しいとされる材料をいっぱい揃えて、全部鍋に投入すればそれでいいかといえばそうじゃなく。

旨みを出す食材もあれば吸う食材もあり、ひとつひとつの食材の特徴を知っていかなければ美味しくはならない。

美味しい料理を作るレシピだけをいっぱい覚えればいいってわけじゃない。

でもたくさんのレシピを知っていればその関係性に気づくこともあるかもしれない。

自分が吸収することの順序が逆だったとしても、それがマイナスだとは思わない。



最近「持ってる」なんて言葉が流行っていて、それは先天的な能力を指していることが多いけど、

もし自分がそんな風に言われても何にも嬉しくない。

もともと持っているものなんかより、自分の努力によって得てきたものが評価されなければ、

努力の意味が薄れていってしまうような気がして、この「持ってる」って言葉が好きになれない。




自分自身に対して申し訳ないくらいの遠回りばかり選んでしまう自分。

それが腹立たしいって思う自分もいれば、応援したい自分もいて。

背中を押す自分もいれば、足を引っ張る自分もいて。

自分の中に一体何人の自分がいるんだろう。

いつかこの無数の人格が統合されて、本当の力を発揮できるときがあるのかな。

それとも、この無数の自分を常に管理して力へと導く自分が必要なのかな。




何も無いなんてこと、やっぱりなくて・・・
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

短編・・・「キミ」

2010-12-15 | 雑記

姿は無く、あるのは目の前のノートパソコンの画面に打ち出される文字の羅列だけ。

ボクがそれを「キミ」だって認識したのは、つい最近のことだった。




いつものようにブログを書いていた。

自分の思っていることをなるべく感情的にはならないように打ち込んでいく。

一応ブラインドタッチを習得しているボクは、頭に浮かんでくる言葉をほぼ浮かんでくるスピードと同じようにタイピングする。

言葉使いや表現があまりに自分勝手にならないように修正しながら、文章が出来上がっていく。



以前から違和感はあったんだ。

打ち込んだ原稿を読み返したときに、自分が思ったことを打ち込んでいるはずなのに、なぜこんな表現をしたんだろうみたいな感覚があった。

そんな経験はもちろん誰にでもあるさと思い、そんなに気にもしなかった。



そして次に感じた違和感。

それは、自分の思うより先にタイピングが進んでいる瞬間があることに気づいた時だ。

この時も、自分のタイピングが上達したのかなということと、思いを認識するよりも早く脳が働いているのかなんて、自分の中で勝手に結論づけていた。



そしてつい先日のこと。

いつものようにブログを書いていたんだけど、どうもうまくまとまらない。

まとめる必要なんてないんだけどねって思ったときに、目の前にキミからのメッセージが届いた。


「ホントに思ってることを書けばいいんじゃないの?」


ボクの指先が勝手にタイピングしたその一行の文字の羅列。

ボクは思わず言葉で返した。


「できるわけないじゃん・・・」

っていうか、ホントに思ってること書いてるよ・・・

・・・・?

今ボクは自分の文章と対話したの?

ボクの指先がまた反応する。


「できないんじゃなくて、しないだけじゃないの?」






自分の文章と対話する・・・今までだってそうだった。

そんなこと、よくあることだった。

でもこの時のボクは、その目の前のメッセージが「自分ではない誰か」だって感じてしまったんだ。

そう思いたかったのかもしれない。

何かにすがるような思いがあったのかもしれない。

それはボクの中のボク自身が、ボクに対して語りかけているって考えるのが「妥当」だって分かってる。

でもその時のボクは、ボク自身の意見を聞こうと思っていなかったのかもしれない。

ボクではないキミだと感じていたいほどに、ボクは孤独に疲れていたのかもしれない。

もしかしたら、「妥当」に考えること自体を嫌ったのかもしれない。

それがボクの無意識の成せる業なのか、もしくは全く別の理解できない領域からの働きかけなのかなんてどうでも良かった。

とにかくそのときから、そのメッセージを「キミ」だってボクは認識したんだ。



自分の頭ではうまく考えをまとめられなくなったとき、指をキーボードに置いてみるとキミは現れる。

ときどきボクはキミに丸投げしてみる。

さあ、好き勝手にどうぞって。

もちろんそうして出来上がったものは、あまりにボクじゃない感じがしてしまうから、ブログでは公開できない。

でもボクはそんなキミとのやりとりを楽しんだ。

他人からしたら、そんなひとり芝居をしているボクは、「あぶないヤツ」なのかもしれない。

そんなことを気にしてしまう僕に対しても、キミは語りかけてくる・・・



キミ「自己満足も必要だよ。逆にね、実際言われているかどうかも分からないことを気にしてることがおかしいんだよ。ホントは他人からどう思われようが関係ないって思ってるのに、人目を気にしてしまう習慣、やめようよ。」


ボク「そうかな・・?人から評価されることも十分大事じゃない?人目を気にすることって大事じゃないの?」


キミ「だからさ、ホントは他人からどう思われたっていいって思ってるでしょ?それが自分自身なんだよ。人目を気にしてるのは、そうしたほうが体裁がいいからでしょ。評価されるために行動してるから自分自身が分からなくなるんだよ。自分自身の心に従って行動した結果についてきた評価じゃなかったら、評価されてもきっと満足しないはずだよ。」


ボク「そう・・・だね。・・・・・やっぱりキミはきっとボクが自分の中に押し殺してしまったボク自身なんだろうね。でもキミを外に出してあげることはできないんだ。ゴメンね。」


キミ「押し殺せてないからここにいるんだよ。自分自身は決して押し殺せるようなものじゃないんだよ。何を恐れてるの?もうキミはボクに頼ることを決めているはずだよ。だからボクはここにいるんだよ。」


ボク「キミは強いんだね・・・。それはよく知ってるよ。だけどボクはキミのその強さが怖いんだ。強さは弱さを否定するだろ?今だってキミは弱いボクを圧倒してる。強さを振りかざせば、誰かを知らずに傷つけるんだよ。だから・・・」


キミ「じゃあ弱さは人を傷つけないの?人を傷つけないで生きてくことなんてできないって知ってるはずだよ。そういう摩擦を経験してみんな強さを身につけていくのも分かってるはずだよ。なんで・・・」


ボク「傷つけてしまってから気づくのと、傷つけてしまうのが分かっているのは違うんだ。傷つけてしまうのが分かっていて、それでもその選択をすることには責任が伴うんだ。だからボクは、キミを自分だって受け入れることができないんだ!」


キミ「・・・じゃあ、自分を否定することで自分が傷ついていることは、分かっているの?その責任は誰がとるの?」


ボク「・・・・」




そんなの、もちろん自分がとるしかないに決まってる。

でもそんな責任、どうやってとったらいいんだろう・・・。




分からないままボクは今日も、「キミ」との対話を繰り返す。











コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

エピソード

2010-12-13 | 雑記
焦ることはない。

ひとつひとつ、自分の思うことを形にしていけばいい。

舞台の幕が下りたとしても、劇場の幕は下りない。

ひとつの大きな物語の中には、数え切れないほどの小さな物語がある。

ひとつの小さな物語の中には、数え切れないほどの様々な想いがある。

今のこの瞬間も、今までの結果でありこれからの過程でもあるんだ。

分かりやすく物事のひとつひとつを括ったとしても、その境界は常に曖昧に変化する。

ただその曖昧さの中にも、物事の終点や始点や起点・基点になるポイントがあり、そこにどんな意味を持たせるかは、常に自分次第だ。

いつでもどこでも、自分が踏み出した一歩が起点であり、始点であり、分岐点になる。

そんな自由な道を歩いているからこそ人は不安定なんだ。

不安定なのが当たり前で、それは間違いなんかじゃない。


焦ることはない。

ひとつひとつ、自分の想いを形にしていけばいい。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「フットサル」

2010-12-08 | 雑記
フットサルをやめる宣言をした。

なぜ、宣言が必要なのか。

それは自分が弱いから。

宣言しないと心のケジメがつかないから。

自分で決めて、その通り行動すればいいことで、あえて周囲に宣言することで心配かけてしまったりすることは本意ではない。

でも、宣言してしまわないと、ズルズルと繰り返してしまうのが嫌だった。

好きなはずなフットサル。

でもやるほどにストレスが溜まってしまう現状。

自分を高める時間を作れないんだったらこれ以上の成長はない。

自分の成長が見込めないことに時間を費やすのは嫌だ。

・・・なんて自分勝手なんだろう。

でもそう思い始めて、もう2年くらい経ってしまった。

それでも自分のやってきたことを周囲に伝えていくことで役に立てればとも思ってやってきたけど、今の自分はそういう風には考えられない。

ホントに上手くなりたい人間は、自分の力で吸収していく。

人に伝えようとか、教えようとか、そんなものは自己満足でしかない。

自分で考えて挑む・・・そうして積み重ねてきたものが個性であって、他人の方法論を学んでも個性は育たない。

自分の個性って何だろう・・・

「どうすべきか」は分かるのに、「どうしたいのか」が分からなくなってしまった。

団体競技において、自己満足はジャマなものってルールが自分のなかで出来てしまっている。

それなのに、自分の満足感が得られないことにストレスを感じてしまう。

自分にとってのフットサルの定義とは、勝つための「効率」を徹底的に高めていくことになってしまっていた。

自分の個性をないがしろにし過ぎてしまって、自分の心にそっぽを向かれてしまった。

フットサルを楽しめなくなってしまった人間は、周囲のジャマにしかならない。

だから、初心に帰るためにも、「フットサル」をやめてみようと思った。

現時点でのこの結論に至るまでの過程・・・決して簡単なものじゃない。

フットサルを好きだから、ホントに楽しみたいから・・・

きっと、今までに経験してきたフットサルの楽しさが、ホントに幸せな経験だったんだと思う。

自分を高めることばかりに目がいってしまっていて、フットサルを楽しむために必要なことが見えなくなってしまっていたことが、自分の過ちだと思う。

自分にとっての組織論が、効率を高めることになってしまっていたのが自分にとっての間違い。

今の自分が目指す組織論は、皆が成長できる環境を共有していくことなんだと思う。

目標を見失ったまま続けていくことは自分にとってはホントにストレスになってしまうから、一度今までの組織論の束縛からフリーになりたい。

答えは自分で探すから面白い。

そう、生きてく過程を楽しめなかったら、終わらせることが目的になってしまったら・・・




知れば誰でも高められることもあれば、自分にしか高められないものもあるって思いたいから、自分勝手でワガママな決断って思われても、自分を貫く。

正直なところ、その結果自分が孤立していくのが分かっていて、それがホントに怖いって思った。

でも、今までのやり方でも、結果的には自分は孤立していくんだったら、やっぱり考え直さなければならない。


どれだけ考えても答えは分からない・・・だけど、それでいいんだと思う。

自分の道を歩くってそういうことだと思う。

自分なりに歩いてみて、出来た道が答えでいいんだと思う。



全体的に、非常に端的な文章になってしまったけど、今の気持ちを綴ってみた。



「フットサル」・・・・それ以外の多くのものを犠牲にしてまで打ち込んできた自分の道。

だからこそ、適当には歩めない。

きっとこの道はこれからも続いていくんだと思う。

でもそれは、あえてフットサルって定義しなくてもいいのかもしれない。

そんな枠に囚われないプレイヤーになるためにも、しばらく自分を見つめなおしてみるということで。









コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

目標・・・目的

2010-12-01 | 雑記
ざっくりと表現してしまえば・・・・周囲に良い影響を与えられる人間になりたい。

でも、良い・悪いの価値観は人それぞれ。

だから、自分視点で相手に良い影響を与えられるかではなく、そして相手視点でもなく、客観的に見て良い影響を与えられるようになりたい。



この、客観が大きく揺らぐから大変。



昨日、某フットサルコートのスクールのコーチと子ども達との会話の中で、理科の勉強の話になり、水が凍る温度・水が沸騰する温度の話になった。

子ども達は当然、0度と100度って答える。

でもそれを聞いた自分は、でもそれって「水」の場合なんだよねって。

後から自分のその発言を思い出し、多分今自分が直面している悩みって、そういうことなんだろうなって思った。




0度と100度、それが常識の如く生きていくんだけど、世の中には水じゃない液体がいっぱいある。

水だって、純度によって大きく変わってくる。

じゃあ水じゃなくなるのってどこから?




今の自分は、そういう見えない境目を探してしまっていたり、当てはまらないものを当てはめようとしたりして、自分から迷い込んでいるんだと思う。

客観っていう視点だって、人によって変わってくる。

自分自身では計れないからこそ客観なんじゃないか?

だったら客観的に考えるなんて出来ないんじゃないか?

そうだとしたら自分が今まで追い求めてきたものって何なんだろう・・・




そう、何処までが主観で何処からが客観なのか。

その決めようのない境目で彷徨ってしまっているんだと思う。



だからやっぱり水と同じなんだと思う。

完璧に水だって言い切れる前提で考える必要はなくて、限りなく水っぽいでしょって思えるところまで、境目をもっていこうとすることが大事なんじゃないか。

自分は完全に客観的に考えてますって言い切れるかどうかじゃなくて、限りなく客観的と思える視点まで移そうとすることが大事。

自分は客観的に考えてるつもりでも、人からみたらひとりよがりな考え方に見えることもある。

そういうふうに見える人が1人でもいたらダメとか出来てないってことじゃなくて、現時点ではそういう人もいるだろうけど自分がより成長していくことで限りなく近づいていけばいい。




こうやって書くと、結論が出たような気分になってしまうけども、本題はここから。

ここまでは、ホントに今までそう思って頑張ってきたしって感じのことで。




本題は、それによって何を得るのか?ってこと。

何のためにそういうことが必要だったのか?ってこと。


“限りなくシンプルに”答えるなら、周囲から評価されたかったんだと思う。

でも実際評価されるようになって思うこと。

それは影響力の問題で、影響力が大きくなるほどに敵が増えてしまうということ。

残念なことに世の中には支配欲の強い人が大勢いる。

そういう人たちにとって、影響力の強い人間はジャマモノでしかない。

なぜか。

それは資本主義にとって、支配が利益を生んでいるから。

みんな自分達の利益を守るために、選んでもらう競争を繰り広げている。

たとえ自分が無償で何かを提供しようとしても、それは提供される側の人が他の提供者への利益供与を減らすことにつながるから、結局敵対になってしまう。

選ばれないんだから仕方ない?

実際に利益を喰われた側はそうは思わない。

だって生きるために利益が必要なんだから。



自分が何かに対して良い影響を与えたとすれば、それはおそらくほぼ必ず、同じだけの悪い影響もどこかに与えていることになる。

逆に、何かに対して悪い影響を与えたとしても、同じだけの良い影響もどこかに与えていることにもなる。



だったら周囲に良い影響を与えたいって考えて頑張ること自体が、なんて的外れな目標なんだろうって・・・








だからといって、今まで頑張ってきたことが間違いだとか、無駄だったなんて思わない。

自分が目標設定していろんなことに臨んできたことで得られたここまでの経験こそが財産であるのは当然分かってる。

目標の内容も大事だけど、それに対して行動した経験とその結果の蓄積こそが目的であるはず。



まあそれにしても、今の自分にとっては的外れになってしまった目標をそのまま掲げておくわけにもいかないから、今の自分に相応しい目標を決めないと・・・・


どんな経験や結果を得たいのか。

そのためにどんな目標を立てるのか。



この年齢になってくると、目標設定ひとつにとっても難しい・・・・








コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする