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~諦めないなら焦ることもないさ~

伝わりますか?

2013-12-09 | 雑記
ウチのスタッフがね、

「歳とって人の世話になるくらいならその前に死んだほうがいい」

って。

その気持ち、分からないわけじゃない。

すごく素直に正直に本音を言ってくれてるんだと思う。

だから別にそう思ってる人を否定したいわけじゃないんだけどね、

歳とって人の世話にならなきゃならない人の介護をしてる人がそう思ってるのって、なんか切ないなって思った。

何の気無しに言った言葉なのは分かってる。

だけどね、

世の中には生まれながらにして、一生面倒を見てもらわなければならない状態の人もいるよね。

自分たちは、そういう人のことも常に配慮する、「福祉の立場」の人間であるべきだと思う。

人の世話になりたくないって気持ちが悪いわけじゃない。

でも、その言葉は健常だからこそ言えること。

いつなんらかの事故にあったりして障害を抱えるか分からない。

以前いた利用者さんに言われたことがある。

「あんたちも、こうなってみれば気持ちが分かるよ」

その方は事故で片足が動かなくなり、車椅子生活を余儀無くされていた。

今の社会はさ、暗黙のうちに健常者と障害者の居住空間を分けているでしょ?

だから人の世話にならずに生きているのが当たり前で、人は自立してそうなっていくべきって雰囲気があるから、もし自分がそうなったらやっぱり周囲に迷惑をかけて申し訳ない気持ちとか、それでも思うように動けない憤りの中ですごく苦しいと思う。

だから、人は生まれながらにして迷惑をかけあうのが当たり前で、助け合うのが当たり前で、持ちつ持たれつが当たり前の、優しい社会であってほしいと思う。

精神的に自立することと、身体的に依存することは違う。

人の世話になってたら対等に接することはできない?

それも違う。

上手く言えないけど…




ひとつだけ、現場での体験的に言えることがある。

健常で、障害というものを理解できないまま高齢になり、自分が世話をされる側になったとき、その現実を受け入れらないストレスから一気に認知症が進行してしまう人を見てきた。

もともとしっかりした人ほど、ちょっとした物忘れが始まったときのストレスは大きいようで、つらそうな人をいっぱい見てきた。

誰がどんな想いで生きようが自由なのかもしれないし、自由であってほしいと自分も思う。

だけどそれぞれの想いは、少なからず周囲に影響を与えている。

その影響が良いものなのか悪いものなのかを感じる力を持っていたいと思う。

自分が頑張ることが誰かを傷つけたり迷惑をかけていることもある。

だから頑張らないとかじゃなくて、自分もそういう迷惑をかけているかもしれないけど、それを受け入れてくれている周囲に感謝する気持ちだったり、逆に自分も迷惑がらずに受け入れようという気持ちを持ったり。



こういう気持ちを、今の子供達にも伝えていきたいって強く思う。

人は持ちつ持たれつ。

そういう意味で、意図的な仲間外れとかは最大級の暴力だと思うし、さらには意図せず仲間外れになっている状況に気づかなかったり見ないふりをしたりということが、最終的には自分の幸せを脅かすものになるということを、感覚的に体感的に伝えていきたい。

そういった、子どもからお年寄りまでの良い関わりを作っていくこと、そういう社会を目指していくことが、今の自分の夢でもあり、使命だと思う。

もしこの想いが誰かに迷惑をかけたらごめんなさい。

まだまだ未熟なので。

いつでも遠慮なく言ってほしい。

そして助けてほしい。

誰かにとって都合の良い社会ではなく、みんなに優しい社会であるために。