shinyworks

~諦めないなら焦ることもないさ~

シン・ゴジラ

2016-08-25 | 映画・ドラマの処方
ひとり映画館、行ってきました。

今回は、

シン・ゴジラ

今回は、最前列から3列目の中央の席を選び、視界に他人を入れずに映画を堪能する作戦が見事に成功し、映画館のスクリーンを独り占めしたような感覚で楽しめました。

エヴァンゲリオンの庵野秀明監督作品!と言われても、あまりエヴァンゲリオンに詳しくもなく、どんな作風に仕上がっているかも分からないまま劇場へ。

完全に大人向けな映画に仕上がってました。

邦画らしさがとても良い形で出ていて、娯楽映画でありながらも、現実社会に問題提起するパワーのある作品でした。

いつも思うことですが、映画を観るときには極力前情報がないほうが楽しめますね。


ということで今回の作品は、毎日が同じ日常の繰り返しで退屈や不満を感じている人に効くと思われます。

ぜひ、映画館でお楽しみください!

PRIDE

2016-08-01 | 雑記
試合終了を告げるホイッスルの鳴り響く音がスタンドに届くとともに、泣き崩れる子供たちの姿が、泣き叫ぶ我が子の声がスタンドに届いた。

あのときに自分が涙をこらえることができたのは、審判の判定に納得できなかったからだろう。

あの判定が誤審であることが認められ再試合になるのではないかと、あるはずもないことを本気で願い、終わってしまったことをまだ受け入れられずにいた。

しかしさすがはチーム翔洋だった。

サッカーでも日本一
生活態度でも日本一
学校生活でも日本一

誰からも愛されるチームを目指してきたこのチームは、指導者も選手もこの結果を受け止めた。

自分も親として気持ちの整理はできなかったが、今すべきことはただひとつ。

立派に戦った子供たちを、胸を張って受け入れることだと思った。

負けを悲観したまま子供たちを迎えてしまったら、この結果を責めることになる。

今はとにかくチーム翔洋を讃えたい。

周りを見れば、皆泣いていた。

このチームのために、これだけの大人が涙を流せることにも感動し、さらに込み上げてくるものを抑える。



そして試合後のミーティングが終わり、保護者の前に姿をを見せる選手たち。

まだ泣き足りない様子の我が子がこちらに歩いてくる。

そして悔しそうに、声にもならない一言をこちらにくれた。

自分も込み上げてくるものを抑え、我が子の頭を撫でた。

今までにそんなやりとりをしたことはなかったが、十分お互いの想いを交換できた。



その後、選手たちの挨拶、監督の挨拶、会長の挨拶と、涙で包まれた場面が続き、チーム翔洋の2年半のチャレンジが終わり、喪失感との戦い、そして準決勝の前に戻れたらという邪念との戦いが始まった。

現実を受け止めることの難しさ。

切り替える難しさ。

それは子供にも大人にも共通の難題として襲いかかる。



自分は準決勝の翌日・翌々日の週末が仕事だった。

出勤するまでは、気持ちの切り替えも出来ず、喪失感・脱力感が強く、働ける心境ではないと思っていたが、いざ介護の現場に入り利用者様を目の前にしたら、目の前の人のために集中することが出来た。

というより、集中したかった。

そして現実に負けず、一歩踏み出す姿を演じたかった。

親として在るべき姿を示さなければという、義務感でもあった。

もし週末休みだったら、まだまだ気持ちを切り替えることが出来ずにいたかもしれない。

それでも準決勝から3日間、切り替えようとしている我が子の前で涙を流すわけにはいかないと、耐えてきた。

こんなことなら、あのとき泣いてしまえば良かったと思った。

仕事中でも、ふとした言葉で思い出し、込み上げてきてしまうのを払いのけてきた。

「出てきた」 「頑張ろう」 「ありがとう」

それぞれのワードに反応して応援歌が頭の中で自動再生される。

そして気がつけばいつもあの応援歌が頭に鳴り響いている。

♩これから始まる翔洋サッカー 何点入るか分からない・・・・♩

終わってしまったからこそ、この歌詞が胸に刺さる。



やっとひとりの時間を持つことが出来た今、子供が気持ちを切り替えるために避けてきた、あの日の映像を見ることが出来た。

あの日からずっと我慢し続けた涙が溢れる。

改めて、終わってしまった現実に直面する。

そして改めて、チーム翔洋に感動する。

きっとまだまだ涙は枯れていない。

その涙の量はきっと、チーム翔洋の功績の大きさに比例しているのだと思う。



彼らはこの夏、最高の経験をした。

それは、これから大人になっていく過程においてとても大切なものであり、同時に多くの大人たちに感動を与えるものでもあった。

その悲しみは、すべてが手付かずになってしまうほどの喪失感を与えもしたが、そこからまた歩みだす彼らからは希望が満ち溢れている。

自分は彼らを誇りに思うと同時に、彼らを育ててきた自分たちにも誇りを持とうと思う。

ここがゴールではないのは子供たちだけではない。

これから成長し、家庭を持つときもくるだろう彼らの為にも、少しでも良い社会を築いていくことが、多くの感動をくれた彼らの為に、我々大人が出来ることなのではないだろうか。