shinyworks

~諦めないなら焦ることもないさ~

ワガママ

2011-05-29 | 雑記
自分で自分のこと、ワガママな人間だと思う。

昔はそんな自分が嫌だったけど、今はワガママになれない自分のほうが嫌だ。

すべての人の合わせることなんて絶対に無理。

そんなことする必要もない。

でも、自分がワガママを言わなければ丸くおさまるというシチュエーションは意外と多い。

面倒を起こすのも面倒だから、折れる場合が多々ある。

でも、折れちゃいけない、勝負どころがある。

それがいつなのか、その判断は難しい。

それは失敗から学ぶしかないのかもしれない。

だから結局、ワガママになれないと自分のためにならないってことだと思う。

いろんなことを知れば知るほど、ワガママになるのは難しい。

いまどき、そんなことで悩んでしまうのは、古い人間なのかもしれないけど・・・


そんな自分が、最近使う言い回しがある。

「状況的には"A"だけど、個人的には"B"かな。」

大人は結構こういうズルい言い回しを使う。

でも、誰かが先頭を切ってそういう言い回しをすることで、そのあとの発言者も自分の意見を言いやすくなったりする。


上手にワガママに生きていく方法というものが、いろいろとあるんだと思う。


もっともっと、自分らしくワガママに。

上手じゃなくても、そう生きていけたら。
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スイッチオン

2011-05-26 | 雑記
やっと、心の底からフットサルがやりたいと思えるようになった。

自分の欲求がはっきりと感じられるようになった。

だからこそ、変わってしまった自分の体が許せない。

本気でこの体を絞って、またフットサルをやりたいと思う。

そう思って、先週からだいぶ体を動かしているんだけど、なかなか汗が出ない。

以前は少し動けば大量に汗をかいたのに、代謝自体が落ちてしまっているんだと思う。

でも、スイッチが入ったから大丈夫。

まだ怖くて体重計にも乗れないけど、もう1週間くらい汗かけたら乗ってみようと思う。

やっぱり自分の欲求に素直にならないと、なかなか他のことも頑張ったり我慢したりってのは難しい。

とりあえず、今の現状を受け入れてしまっている自分を変えていく。

心の内側から。

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要するに、疲れてる?

2011-05-22 | 雑記
なんだろうね・・・。

頑張ってるし、行動してる。

だけど心の状態は鬱に近い。

だいぶ腐ってる。

表に出さないだけで。

その場その場で、自分はこうあるべきかなっていう行動をとっているだけで、自分の心に従ってるわけじゃない。

ずっとそうして心の声を抑えつけてきたから、自分の心が遠く離れていってしまうような気持ちになる。

以前は、気持ちが伴わないと行動に移せないタイプの人間だった。

でもそれじゃダメだって思って、気持ちが伴わないときでも頑張れるようになろうと努力してきた。

でも・・・。



今現在の自分を否定しながら前に進んでも、その先にあるのは成功とは限らないらしい。

今現在の自分を受け入れながら、自分の個性として受け止めながら、そうやってやってきたら結果は違ったかもしれない。

認めたくないけど、後悔っていう感情があるのかもしれない。

それでも、心が腐っても、前に進むしかないんだね。




仕事中なのに、全然集中できないよ。
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沈み

2011-05-18 | 雑記
最近・・・というより近年、心の沈みが激しい。

ちょっとしたことですぐに心の闇に覆いつくされてしまう。

心の痛む暗いニュースが多いのもひとつの要因かもしれない。

日常でこの心の状態を他者に打ち明けることはあまりないこともあってか、このブログがどうしても暗い内容で埋め尽くされてしまう。

暗いニュースが多い今だからこそ、夢や希望にあふれるような、心の栄養になるようなブログ内容にしていきたいという願望はあるのだけど・・・。

どうも最近は、「失われる」というのがキーワードになっていて、その「失われる」ということを感じてしまうと一気に心が落ちていくのが分かる。

そしていつかは自分も「失われる」という、人としての宿命が目の前に立ちはだかり、なんでもいいからとにかく自分が生きた痕跡を残したいという思いにかられる。

「最期」を意識するということは心の爆弾であり、それによって今を生きる気力を失うこともあれば、死んだ気になってやってやろうという起爆剤にもなる。

形あるものはいずれ無くなる。

それは生きているものにとって、向き合わなければならないこと。

それでも人は、失われる悲しみの傍らで生みだされる喜びを感じ、そうした出会いと別れを繰り返し成長していく。

この出会いと別れのバランスが、大きく狂ってしまっているんだと思う。

あまりに別れが多すぎる。

何かを失った心のスキマは、出会うことによってそのスキマを埋めようとする。

あまりに頻繁に断続的に、そのスキマができてしまうと、心の整理(デフラグ)ができないまま、すぐに失われてしまうような小さな出会いにすがり、またすぐにそれを失うことで次第に心のバランスを崩してしまう。

今、各地で起きている「失われる」痛みは、人が人として生きていくために必要以上の力を得ようとしてきた報いに思えてならない。

各個人の力では、心のバランスを取り戻すことが難しい世の中になってしまった。

こうして互いが手を取り、みんなで頑張っていこうというムードが高まると、それも「流れ」なのかと感じてしまう。

もともと人は小さな存在なはず。

外敵から身を守るためには、他者との協力が不可欠だったはず。

そんなはるか昔には、対人関係のストレスなどあったのだろうか?

人が必要以上の力を持ち、1人でも独立して生きていけるなどという幻想を抱いてしまったことで、自分以外の存在との絆が薄れ、心のスキマが肥大化してしまったのではないか。

結局人が求めるのはそのスキマを埋めること。

そのために、人が持った必要以上の力をそこに費やしていくというスパイラル。

「くだらない」と思うかどうかは置いといて、そういう時代を生きていくものとして、悲観ばかりしているわけにはいかない。

どれだけ心が沈んでいても、どうしなければならないかは分かっているつもり。

状況を見極め、行動を積み重ねる。

悩む時間が疎ましいと思うけど、悩みを欠いた状況判断は精度をともなわないとも思う。

この心の沈みも必然・・・

悩み抜いて立ち上がればいい。

浮き輪をつけて浮かぶことができたとしても、それは流される力が増すのと同じ。

自力で浮かび、自力で泳ぐ。

カナヅチだって力を抜けば浮かぶから。
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そうじゃないでしょ。

2011-05-11 | 雑記
全然納得いかない。

「理想はそうだけど、現実には無理」

そうじゃないでしょ。

現状は難しいけど、どうしたら理想に近づいていくのかを模索するから意味があるんでしょ。

無理って言って片付けるなよ。

あまりに思考停止な人が多い。

確かに考えなくていいほうが楽かもしれない。

だったら真剣に考えてる人の言うことにちゃんと耳を傾けてくれればいい。

それすらも面倒なら、黙って言う事を聞いてほしい。

経験の差や立場の差、環境の差とか、人それぞれだからこそ、意見は平等に扱われるべきだと思う。

いつも同じ環境に染まりすぎてしまうほどに、考え方も固定的になりやすい。

「ド素人」と言われる人だって、他の世界のプロフェッショナルかもしれない。

自分も今まで、固定的に見て他人の意見を抑えつけてきたかもしれないけど、極力変えていきたい。

自分の固定観念に気づくのは、なかなか難しいことだけど。
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