桃おやじの歴史散歩

我が町は 記紀に記載の七代孝霊天皇黒田廬戸宮の比定地。
古代史を中心に、奈良の観光や地域情報を気ままに書いています。

「黒田」  桃太郎生誕地黒田廬戸宮伝承地  奈良、田原本

2017-09-16 13:02:10 | 地域
「黒田」  桃太郎生誕地黒田廬戸宮伝承地

田原本町の黒田は、七代孝霊天皇が都を置かれた「黒田廬戸宮」に批定されます。
border="0">

黒田は南北に太子道(筋交道)が通り、東西に箸尾―法貴寺を抜ける街道筋に当り、近年まで「醤油屋」と昔の職業で呼び親しまれる家等が存在する程法楽寺の門前町としてもかなり古くから地域の中心地として栄えたことが伺われます。


集落の北西の隅には法楽寺が有り(別項で紹介)南には孝霊神社(別項で紹介)、中心に元禄九年開山とされる
浄照寺
と、

田原本に有った教行寺(箸尾御坊)が箸尾に移る際、仮説の信仰の場として設けられた教行寺が向え合わせに建って居ます。


又、近年までは大和野菜、特に大和スイカの産地としても知られた農村地帯で、最近はその周囲に、国保中央病院やリハビリセンター、生協、宮古保育園等が建ち、集落の東を京奈和道が通るという急激な変化を見せています。

先にも触れましたが、田原本町黒田は奈良盆地のほぼ中央に位置し2000年近い歴史を持ち、
和名称に寄れば、「久留多」とも表示され、条里制以降の城下郡黒田郷の中心地に当り、鏡作り郷などと共にかなり古い歴史を持つ地域です。

市町村合併の前は、磯城郡都村に属し、旧都村には八尾、新町、富本、宮古、保津等の古い由緒のある地名が残ります。

「近鉄黒田駅と周辺」

地域の玄関口の黒田駅、今は近鉄電車田原本線だが、その前は「大和鉄道」、”ヤマテツ”の愛称で親しまれたローカル鉄道で、明治時代、鉄道の施設中に勾玉や土器が大量に出たり、坂道を汽車を乗客が押したりと沢山のエピソードが残ります。 

南北に通る筋交い道(太子道)ですが、宮古から黒田、伴堂の地域が最も良く当時の形を残しています。
更に地域の中心を筋交い道と交差して昔の街道がそのまま東西に抜けます。

黒田駅の駅舎のすぐ脇を、この筋交い道(太子道)が通り、地域の北に国保中央病院等が建ち、黒田駅ホームの前、黒田池の堤防には花桃が植えられ、春には綺麗に地域を彩ります。

国保中央病院と共に、最近駅前にリハビリセンターが出来、乗降客や車の両も多く成ったようです。
集落の東の入り口県道脇にには宮古保育園が有り、時折 園児の賑やかな声が聞こえる。
 

更に駅舎の直ぐ東には桃畑が見えます。
只、集落の東側を京奈和自動車道が通り、今まで、綺麗に見えた東の山々も殆ど見えなくなってしまった。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿