桃おやじの歴史散歩

我が町は 記紀に記載の七代孝霊天皇黒田廬戸宮の比定地。
古代史を中心に、奈良の観光や地域情報を気ままに書いています。

“#桃おやじ”の“#奈良盆地のへそ”散歩   其の6

2019-12-12 15:07:59 | 地域
 
「唐古鍵遺跡.史跡公園」

今まで田原本町と言えば「#桃太郎生誕地」賤ヶ岳7本やりの一人「#平野権兵衛」の城下町、奈良盆地中央部(#奈良盆地のへそ)、位しか知られていませんでしたが、
先に紹介した“道の駅「レスティ唐古鍵」”と同時に公園化事業で脚光を浴びた「#唐古鍵遺跡史跡公園」が今や#田原本町 の代表格。

遺跡自体は1901年(明治34年)にすでに紹介されており、昭和11~37年R24施設工事の際に発見されて以来今なお調査が続く超大型遺跡です。
詳しくは唐古鍵ミュージアム等でお願いするとして概略にとどめますが、
遺跡は1時期だけのものでは有りません。

遺跡自体、紀元前4世紀から3世紀までの約700年近い間の歴史を有しています。

当初はそれぞれ環濠を持った三つの独立した集落で、しゅうらくの形成時期ごとに多様な出土品が確認されていることがこの遺跡の特徴です。
新世紀頃大きな集落に纏められていて、この頃銅鐸が作られたと考えられ、大物主が大和に入った時期?と重なると説く研究者も。
更に2世紀終盤に範囲は巨大化して約30万㎡の面積を有し、大型建造物や各地から搬入されたと考えられる出土品もこの時期の物が多く、倭迹々日百襲媛(卑弥呼?)の入内時期と重なるとも指摘しています

纏向遺跡建造以来衰退して大型古墳が建造されたり、農地化したと考えられ、中世には唐古氏・唐古南氏(現唐古集落?)・唐古東氏の居館がつくられるなど2,500年の歴史を積み重ねた所です。

唐古池の南東にある二つの縁系のコンクリート塊は第二次大戦時に柳本飛行場(東約2k)を守るために高角砲を設置した名残です。
もう一つ、殆どの方は気に留めずに居ますが、唐古池の北端から真東の眺めの丘に通じる農道(遊歩道)の南側と北側では大きな落差(極端に高さが違う)が有る事も興味をひきます。


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