「法然と親鸞両上人御旧跡吉水草庵 慈円山 安養寺」
と山門に立つ碑に記されています
法然上人が專修念仏を説いた「吉水草庵」には親鸞をはじめ
老若男女がこぞって訪れた。
本堂
東山の山懐に建つこの寺の創建は平安遷都のときに遡り,もともと
電業大師最澄が都の鎮守のために建てた天台宗の寺だった。
比叡山黒谷で一心に就学に勤しんいた法然は,唐の善導大師が
書いた経典から,念仏一筋に生きる教えを見出した。
そして旧来の仏教を捨て,比叡山を離れる事を決意する。
法然は山を下り,最初は西山広谷に住んだが,やがて東山吉水に
庵を結んだ。 その跡に建つのが「安養寺」です。
庵は法然の門弟が増えるに従い,坊社が増えた。
六角堂で夢告を受けた親鸞が法然を訪ねたのもその庵です。
親鸞にとっては充実した日々を過ごした場所である,しかし法然75歳のとき,
念仏教団は解体させられてしまう,残された坊舎は親鸞の得度に立ち会った
慈円が営むようになり「慈円山大乗院安養寺」と名づけられた。
幾多の歴史を経たいまでも法然が使ったという井戸が残り
法然,親鸞の御旧跡として親しまれている
「安養寺」
京都市東山区八坂鳥居前東入円山町624