キャタピラー
2010年/日本
本音と建前の社会を象徴的に描いた若松
総合 80点
ストーリー 85点
キャスト 80点
演出 80点
ビジュアル 75点
音楽 75点
「キャタピラー」とは「芋虫」のこと。江戸川乱歩の小説をもとに「実録 連合赤軍あさま山荘への道程」で復活した若松孝二監督が映画化。戦争の虚しさを描いた反戦ドラマとして仕上がっている。かつて<ピンク映画の黒澤>と呼ばれた彼が、集大成ともいえる「本音と建前の社会」を痛烈に批判している。それは太平洋戦争そのものが建前だけで抜き差しならぬ事態となって多くの犠牲者を出し、<終戦>ではなく<敗戦>を迎えた日本を忘れてはならないというメッセージでもある。
若松監督は、静かな農村の一組の夫婦を極限状態に追い込むことで愚かさ・哀しさを描いている。
手足を亡くし顔半分が焼けただれ、話すこともできない状態で帰還した夫(大西信満)。子供が産めない体と言われ実家へ帰されようとしていた妻(寺島しのぶ)。夫は勲章と褒め称えた新聞を陛下から戴いたことが唯一の誇りで、軍神さまと呼ばれる。妻は変わり果てた夫を献身的に介護するだけの日々。夫にあるのは食欲と性欲だけ。妻は無事で戻らなかった夫、軍神さまの立派な妻を強いる世間に腹立たしい思いが爆発する。それは散歩と称して、村人たちに夫の姿を見せることであった。
ここで欠かせなかったのは寺島しのぶの演技。夫への屈折した愛憎をシーンごとに、まさに体当たりと顔の表情ひとつで演じてみせた。ベルリン銀熊賞(最優秀女優賞)を獲得したのも頷ける。監督は寺島の演技に注文をつけずカメラを回し続けたとか。アドリブで卵を顔に投げつけたり、「<芋虫>ごろごろ」の歌詞を「<軍神さま>ごろごろ」といいかえたり、いっそう心情が引き立つ演技となったという。そのインパクトがあまりにも強すぎて、本質的な人間の持つ業というものが再現されるシーンの連続になってゆく。それは、監督が思っていたより、反戦ドラマとは別の人間ドラマへと印象付けることにもなった。
篠原勝之演ずる知的障害の男は、「戦争が起きるたびにバカになる」と村長にいわれるが、本当は一番賢い男だったと思わせるあたりが反戦への想いか。いま見れば大本営発表もバケツ・リレーや竹やりの銃後の守りもコミカルにしか映らない。
メディアの誤った誘導と日本の家族制度の弊害を痛烈に批判もしているが、エンディングの元ちとせの主題歌(死んだ女の子)など全体に映画としてはまとまりがなかったような気がする。
最後にシニア料金と一般大人料金が一律1300円なのは監督の意思の表れだが、如何なものか?
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