晴れ、ときどき映画三昧

映画は時代を反映した疑似体験と総合娯楽。
マイペースで備忘録はまだまだ続きます。

「たかが世界の終わり」(16・カナダ/英)60点

2017-07-30 15:28:07 | 2016~(平成28~)


・ 今どきの家族を象徴的に描いたG・ドラン監督のカンヌ・グランプリ作。




19歳で監督デビューしたカナダの俊英グザヴィエ・ドラン。27歳にして早くも5作目は、ジャン=ルック・ラガルスの舞台劇を独自の作風で映像化、カンヌ・グランプリを受賞した。

作家として成功したルイ(ギャスパー・ウリエル)が12年ぶりに帰郷する。
手料理でもてなすためにハイテンションの母マルティーヌ(ナタリー・バイ)、幼い頃ルイと別れ馴れないオシャレをして待つ妹シェザンヌ(レア・セドゥ)、勝手に家を出た弟を快く思っていない兄アントワーヌ(ヴァンサン・カッセル)とその妻でルイとは初対面のカトリーヌ(マリオン・コティヤール)の4人が出迎える。
ルイが12年ぶりに帰郷したわけは、自分の死期が近いことを家族に伝えるためだった。

出演したのはフランスを代表する俳優ばかりの豪華キャストで、彼らの演技合戦が見所のひとつ。

なかでも主演のG・ウリエルは殆ど台詞がないのにエモーショナルな演技で難役ルイを好演。
共演した母役N・バイは流石大女優ならではの存在感はあったが、L・セドゥ、M・コティヤールはあまり見せ場もなくもったいない気がした。
名優V・カッセルの兄役は、原作のように弟のほうがイメージが合う役柄で気の毒な気がした。

登場人物をアップで捉えその心情を炙り出す作風と、音楽を大胆にテーマに絡める手法に定評があるドラン作品。

本作では、オープニングに流れるカミーユの<ホーム>で家は誰かを傷つけるものであることを暗示し、ルイの帰郷は決して楽しいものではなく、これから起こるであろう出来事に不吉な予感を呼び起す。

12年ぶりの再会は家族にとって怒り・憎しみを潜在したものであっても、それぞれルイへの思いやりのあるものだった。それぞれが本音を隠しはしゃいで見せたり、取り留めもないおしゃべりで話題をそらす。

ゲイであるルイの帰郷を最も嫌っていたアントワーヌですら、偽りの家族愛に葛藤しながらルイの死の予感を察し核心に触れさせようとしない。

ルイの12年ぶりの帰郷は、家族であっても気遣うあまり互いに傷つけあったり、意思が伝わらないことも多いことを思い知らされる。

家の鳩時計のハトと、エンディングに流れるモービーの<ナチュラル ブルース>が、まるでルイの心情を代弁しているようだ。

「私はダニエルブレイク」(16・英/仏/ベルギー) 80点

2017-07-22 15:33:16 | 2016~(平成28~)

 ・ 引退を翻したK・ローチが描きたかったのは、人間の尊厳を踏みにじる国への怒り。


   

 弱者の視点から社会を描いた反骨の監督ケン・ローチ。「ジミー 野を駆ける伝説」(14)を最後に引退表明していたが、どうしても描きたいとカムバック。「麦の穂をゆらす風」(06)以来、2度目のカンヌ・パルムドール賞(最高賞)を獲得している。

 英国北部の都市ニューカッスルに住む一人暮らしのダニエル(デイヴ・ジョーンズ)とシングルマザーのケイト(ヘイリー・マクワイアーズ)が知り合って、交流を深めるなかで起こる国の福祉制度の矛盾を突き、独特なユーモアを交えながら描いたストーリー。

 ダニエルは心臓発作でドクターストップのため大工の仕事ができなくなり、失業手当の申請をするが審査員の杓子定規な質問により<就労可能、手当は中止>の連絡を受ける。

 ケイトは24歳でロンドンから移ってきたが、なれない道に迷い遅刻してしまい窓口から追い返されそうになる。実直なダニエルが係員に文句を言うとルールを盾に追い返される始末。

 給付金をもらうためには雇われる気もないのに求職活動を強いられ、履歴書の書き方講座を受講するよう言われ、オンラインのみでしか対応できない書類審査の理不尽さに振り回されるダニエル。

 なかには親切な役所の係員もいるが前例を作るなと言われ叱責され、福祉保障制度の改革による弱者切り捨てが社会のそこかしこに窺える。

 ローチ監督は長年のコンビである脚本家のポール・ラバーティとともに丹念なリサーチを重ね、説得力あるストーリーを紡ぎ出して行く。

 ある日突然病に倒れたら、子供を一人で育てなくてはならなかったら?これは、決して笑い話でも他人事ではなく、ひとりひとりにリアルさで迫ってくる。

 親切な隣人の若者にはパソコンを教えてもらっても、生活の面倒まで見てくれるはずもないダニエル。いくら親身に子供の面倒を見てもらっても、自立するには仕事がなければ立ち行かないケイト。
 
 フード・バンクを訪れたとき、缶詰の蓋を開け手掴みで食べてしまったケイトの自責の念は「ゆりかごから墓場まで」をスローガンに福祉国家を自負していた英国の実態を見る思い。

 ハッピーエンドではないが、<人間だ。犬ではない>という言葉が共感を呼ぶエンディング。

 まだまだ、K・ローチが描きたいメッセージ性の高いテーマが残っているようだ。

 

 

 
 

  

「未来を花束にして」(15・英) 70点

2017-07-15 16:30:57 |  (欧州・アジア他) 2010~15

  ・ 20世紀初頭、英国での婦人参政権を求めた女性たちのヒューマン・ドラマ。


    

 1912年のイギリス、過酷な労働である洗濯工場で働く24歳の女性モード・ワッツを主人公に婦人参政権を求め男性の階級社会に闘いを挑んだ女性たちのヒューマン・ストーリー。

 ワッツに扮したのは「17歳の肖像」(09)「華麗なるギャッツビー」(13)のキャリー・マリガン。30代だが童顔のため24歳の役にも違和感はない。下層労働者階級ながら同僚の夫と幼い息子と3人で慎ましく暮らしていたが、「サフラジェット」と呼ばれる女性参政権を要求する組織に身を投じ<違う生き方があるのではないか・・>と思うようになる。

 それは、今の生活を放棄するという究極の選択に迫られるが、女性に親権がなく長時間低賃金を余儀なくされることに甘んじることでもあった。

 WSPU(女性社会政治同盟)のリーダーであるエメリン・パンクハーストは「言葉より行動を」と呼びかける。本作では出番は少ないが演じたメリル・ストリープならではの存在感。

 本来社会の注目を引き付けるための手段としての行動はハンガー・ストライキだったが、強制摂食という手段で対抗した当局。

 行動は店への投石に始まり、電線遮断や郵便ポスト・別荘爆破へとエスカレート。今テロ行為がナーバスなとき、この行為は正当化されてよいものか?という疑問も湧くがそれだけ純粋な思いだったのだろう。

 アーサー・スティード警部(ブレンダン・グリーンソン)が上層部に利用されているだけで後悔するという説得にも、スパイへの協力要請にも答えず、優しい夫・サニー(ベン・ウィショー)の警告も耳を貸さず運動へ没頭するワッツ。

 キャスティングやシナリオ如何では、共感を得られない展開を巧くカバーしたのはC・マリガンや実行リーダーであるイーディス・エリンに扮したヘレナ・ボナム=カーターの存在が大きい。

 イーディスは実在の人物ではないがモデルとなった柔術師範の女性がいた。演じたヘレナは、時の首相で運動を弾圧したハーバート・ヘンリー・アスキス伯爵のひ孫という縁で、この役を喜んでいたという。

 「マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙」も担当したアビー・モーガンのシナリオも出色で、男性の弱みである仕事に忠実であることを優先し善悪がないがしろになったり、子育ては女性に頼らずできないことをしっかりと描いている。

 1913年エプソム・ダービーでジョージ5世の馬に飛び込み亡くなった実在の人物エミリー・ワイルディング・デイビソンが、もうひとりのヒロインだった。

 現在当たり前の女性の参政権は先進国のイギリスでも僅か100年前に漸く認められた事実を改めて知る思い。
 

「血槍富士」(55・日) 80点

2017-07-10 16:51:36 | 日本映画 1946~59(昭和21~34)

 ・ 巨匠・内田吐夢監督の復帰第1作は人情時代劇。


   

 「飢餓海峡」(64)、「宮本武蔵」(61~65)などの巨匠・内田吐夢が中国抑留から帰国して2年後、復帰第1作となったのは、井上金太郎監督「道中悲記」(27)のリメイク。

 溝口健二・小津安二郎・清水宏・伊藤大輔の4人が映画化を企画、当時大衆娯楽時代劇の新興映画会社であった東映プロデューサー・マキノ光雄が内田を指名した。

 東海道を江戸に向かう若侍の槍持ち・権八が道中関わる様々な人々の人間模様を描きながら、酒の諍いから主君を殺され仇討ちをする姿を通して封建制度を風刺する人情時代劇。

 主君酒匂小十郎(島田照夫)は権八(片岡千恵蔵)・源太(加東大介)のお供に思い遣りのある優しい主君だが、唯一の欠点は酒癖が悪いこと。

 源太を連れ出し居酒屋でひと悶着があり、権太を心配させる。

 道中出会ったのが孤児で宿無しの次郎、旅芸人おすみ母娘、身売りする・おたね(田代百合子)と年老いた父親、大金を持ち歩く藤三郎と相部屋になった小間物屋の伝次(加賀邦夫)、あんまの藪の市(小川虎之助)、巡礼(進藤英太郎)など色とりどり。

 次郎は権八に憧れどこまでもつ付いてきて、まるで親子のよう。次郎を演じた植木基晴は千恵蔵の実子なので微笑ましい。

 おすみ(喜多川千鶴)とはチョッピリお互い好意を持ち、道中別れるときは寂しそう。旅芸で披露する<奴さん>は権八を連想させる。ちなみに踊っていたのは千恵蔵の娘・植木千恵だ。

 藤三郎を演じたのは名優・月形龍之介。強盗風の元右衛門では?と怪しまれる。井上作品では主人公権八に扮しているだけあって、ここでも重要なエピソードを披露してくれる。

 それぞれの人物が繋がりほのぼのとして終盤を迎えるが、クライマックスで御大・片岡千恵蔵最大の見せ場が必死の形相で槍を振り回す壮絶な殺陣のシーン。

 戦前の名匠・山中貞雄を連想させるこのシーンは東映時代劇にはないリアルな新風を送り、西部劇「シェーン」と重なるラスト・シーンと併せ、ブランクを感じさせない内田の健在ぶりを魅せている。

 
 

「沈黙 サイレンス」(16・米) 80点

2017-07-08 15:55:06 | 2016~(平成28~)

  ・ M・スコセッシのライフワークともいえる遠藤周作の原作を映画化。

   

 「タクシー ドライバー」(76)、「グッドフェローズ」(90)、「ギャング・オブ・ニューヨーク」(02)の巨匠・マーティン・スコセッシが、遠藤周作の同名小説の映画化を28年ぶりに果たした。

 カトリックの家に生まれ将来司祭になりたかったというスコセッシ。「最後の誘惑」(88)で、キリストが妻子を持つ作品を公開し宗教関係者から酷評を浴びメゲテいたとき、原作の翻訳版を読み大いに触発された。何度も映画化が噂されながら消えていた幻の映画が遂に実現した。

 17世紀・江戸初期にキリシタン弾圧が行われていた時代。ポルトガル宣教師フェレイラ(リーアム・ニーソン)が棄教したという噂を耳にした若い宣教師が、日本に潜入して目にした惨状に価値観を根底から揺さぶられ苦悩する壮大な人間ドラマ。

 主人公ロドリゴに扮したのは「アメイジング・スパイダーマン」のアンドリュー・ガーフィールド。同僚ガルぺ(アダム・ドライバー)とともに師と仰ぐフェレイラが棄教したことに驚き、真相を確かめたくマカオにいたキチジロー(窪塚洋介)を案内人に未知の土地へ。

 そこには貧しいが敬虔な信徒たちとそれを取り締まる役人たちがいた。踏み絵による調べで、信仰厚い善良な村人が拷問を受け、次々と殺されて行く様子を見せられる。

 スコセッシは圧倒的映像力で若い二人の宣教師が見たキリシタン弾圧の様子を淡々としかも残酷に再現し、殉教による死が如何に惨いものかを捉えてゆく。

 殉教による死を選んだイチゾウ(笈田ヨシ)やモキチ(塚本晋也)に対し、キチジローはユダ的存在でこの物語の狂言廻しの貴重な役割を果たしている。演じた窪塚洋介が人間の弱さと強かさを併せ持つ複雑な役を見事に演じていた。

 もう一人際立っていたのは井上筑後守に扮したイッセー尾形。老獪な気性の持ち主で、合理性と鋭利さを兼ね備えた長崎奉行。禅問答のようなやり取りでロドリゴをねじ伏せる。

 人間の苦しみに沈黙し続ける神に疑問を持つ<宗教と信仰がテーマ>だが、いわゆる宗教映画を一歩抜け出し、人間の弱さや苦悩をどのように受け止めどう対処して生きてゆくかを観客に考えさせられる作品だ。

 


「淵に立つ」(16・日/仏) 80点

2017-07-01 12:11:14 | 2016~(平成28~)

 ・ 不条理な世界へ観客を引きずり込む深田晃司監督の家族ドラマ。


   

 是枝祐和、河瀬直美などカンヌで見出された監督がもう一人誕生した。筆者は初見だが「歓待」(11)でデビュー以来コンスタントに製作、本作でカンヌ映画祭ある視点部門審査員賞を受賞した38歳の気鋭・深田晃司監督だ。

 一見平穏な下町の金属加工を営む一家が、ひとりの男が割り込んでくることで、徐々に隠されていた家族の秘密が暴かれ、予期せぬ出来事へ向かい不穏な展開へと引きずり込まれて行く、ミステリー風家族ドラマ。

 <家族とは不条理なもので人間の奥底に潜む心の内にあるものを炙り出して描きたかった>という深田は監督・脚本・編集を担い、大胆にして緻密な場面転換で観客に想像力を掻き立て、既存の価値観に揺さぶりを掛けてくる。

 主演は一家の主・鈴岡利雄(古館寛治)の旧友・八坂を演じる浅野忠信。いまや登場するだけで只者ではない雰囲気を醸し出す個性派で、真っ白なワイシャツで立っている姿だけで物語が動き出す。

 二人の間には曰く因縁があって11年ぶりの再会。3週間ほど住み込みで働くことに。

 利雄は妻・章江(筒井真理子)と10歳の一人娘・蛍(篠川桃音)の3人家族だが、無口で食卓では黙って新聞を読みプロテスタントの母と娘の祈りや会話には入ってこない。

 蛍がカバキコマチグモの子が母グモを食べる習性があってその子は天国に行けるのか?と母に尋ねるのも不穏な先行きを暗示している。

 章江はイキナリ同居する八坂に困惑しつつ礼儀正しく謙虚な彼を徐々に受け入れ、好意すら抱き始める。蛍は習っていたオルガンを教わり懐いて行く・・・。

 前半は八坂の不気味な存在感でストーリーが引っ張られ、突然の悲劇へ。

 8年後の後半は、残された一家に新しい従業員・山上好司(太賀)が登場し、想定外の世界へ運んで行く。

 本作最大の功労者は章江役の筒井真理子だ。彼女が若い頃、第三舞台で飛び跳ねていた頃から知っているが50代にして代表作に巡り合えた。

 前半は平凡な母親から女を意識しそれを拒絶する女を演じ、後半は後悔から神経を病み娘の介護に翻弄されるヤツレタ女を見事に演じ分け、魅せてくれた。

 デ・ニーロ アプローチにより13キロ増量した女優魂が報われ、ファンとしてとても嬉しい。

 結末は観客に委ねられ、観終わってスッキリしないのもフランス風だったが、メジャーになった深田作品の次回作が楽しみだ。