月のたび

日々の日記

この冬初めてのランニング

2017-12-10 19:29:33 | 今日の出来事(重要性低)


今日の日曜日は忙しい12月なのに休めた!来週の日曜も休めるといい。

そこで、ひさびさのドライブへ、いつものコースでゆっくり行く。目的の温泉に到着するとすぐにランニングウェアに着替えて、2時間のランニングへGO。

もうすっかり冬景色となった田舎の風景の中を、できるだけ路地を通って、ゆっくりと走るのが楽しい。

高校の時に長距離走をしていたのだが、はや20年以上過ぎると、体力がない。というか、一番足りないのは脚部の筋力で、スタミナはあるのに、2時間以上走り続けると、脚部が固くなるような感じでしびれるような気がするので、とてもフルマラソンは走れない。

脚の筋肉が続かないのである。これは昨年のフルマラソンの練習の時には気づかなかった事実だ。昨年の練習では、700mくらいのインターバルトレーニングばかりやっていたため、本番のマラソンでは、最初の5キロ10キロくらいは余裕綽々で調子づいてたものの、ぶっつけ本番のフルマラソンのため、15キロくらいから遅れ始めて、情けないことに脚が上がらなくなってしまった。

そうなると、なんというか、泣けてくる。今までは、早い人だったのが、足が上がらずに限界を感じつつ走っているときの情けない感じがものすごく切に迫って、何度も泣いた。それはそれは、「できない」ってことが、何より身にこたえることだと、しみじみ思いました。それは、速く走れたときの感動以上に、どうしても走れないときの切なさの方が、私には胸に迫るのでした。それが去年のフルマラソンでわかったことだ。

そうして、今年、というか来年のフルマラソンは出場しないことに。お金がかかるのと、練習に時間がかかることが理由。

だって、2時間以上走らないと、フルマラソン用の筋力が鍛えられないもの。そんなの練習に時間かかりすぎだよ。

けれど、実際のランニングは習慣として続けたい。

なぜって、いざって時のために、人生は何があるかわからぬものだから。藤原てい『流れる星は生きている』を読むといつも思う。乳児を背負って、二人の子の手を引いて、南朝鮮まで必死で歩いた母親の偉大さ、ああいうのは、二度と繰り返してはいけない悲劇だが、二度と繰り返しちゃならないことでも、起きるときは起きるものですからね。だから、平素からの身体の鍛錬って怠ってはならないの。命ある限りはね。

それでも、今日の山梨の田舎の町並みはそれは楽しかった。寒いが休日らしい陽があたたかく町並みを包んでいて、古いお寺や神社や大木や山は紅葉の最中で指はかじかんだが、2時間のランニングから戻ってそのままそこの温泉に浸かり、大広間で横になりたいところを、昼時で混雑しているためにできずに車内にやむを得ず戻った。仮眠したかったな…。(こういうの書くと歳とったなと思う)

でもこういう息抜きが大事だと思っているし、とても良い一日に感謝です。ありがとう。来週もランニングしたいなあ。ではでは