とぎれとぎれの物語

瀬本あきらのHP「風の言葉」をここで復活させました。小説・エッセイをとぎれとぎれに連載します。

あちこち「SYOWA」 162 霧笛が俺を呼んでいる/吉永小百合・赤木圭一郎

2017-05-16 04:24:53 | 日記
かつての日活には赤木圭一郎という大型俳優がいました。惜しくも事故で若死にしました。石原裕次郎に勝るとも劣らない器を持っていたと思います。生きていたら日本の映画史が変わったと思います。「和製ジェイムス・ディーン」と後に呼ばれるようになりました。哀愁を帯びた甘いマスクが今でも心に残っています。

霧笛が俺を呼んでいる/吉永小百合・赤木圭一郎


赤木 圭一郎(あかぎ けいいちろう、1939年〈昭和14年〉5月8日 - 1961年〈昭和36年〉2月21日)は、日本の映画俳優。本名、赤塚 親弘(あかつか ちかひろ)。通称、トニー。

1958年(昭和33年)、日活第4期ニューフェイスとして日活へ入社。石原裕次郎主演の『紅の翼』に本名の「赤塚親弘」名義で群衆の一人としてエキストラ出演し、これが映画デビュー作となった。その西洋的風貌や退廃的な雰囲気がこれまでの日本人俳優にはない個性として評判を呼び、「トニー」の愛称で主人公の弟分や準主役級として出演するようになった。この愛称は、1950年代から1960年代にかけて人気のあったハリウッドスタートニー・カーチスにどことなく風貌が似ていたことが由来である。

1959年(昭和34年)、鈴木清順監督の『素っ裸の年令』で初主演を果たす。その後、『拳銃無頼帖』シリーズなど20本以上の無国籍アクション映画に主演し、日活のアクション俳優として「タフガイ=石原裕次郎」「マイトガイ=小林旭」に続く「第三の男」と呼ばれた。その風貌から「和製ジェームズ・ディーン」とも云われた。

『霧笛が俺を呼んでいる』(1960年)では少年時代からの憧れだったという船乗りを演じ、「マドロス姿が最もさまになる日活俳優」とも評価された。より多忙になる中でステレオやスポーツカー、オートバイなどに趣味を広げ、カーマニアとしても知られるようになった。

映画鑑賞も愛好しており、アンジェイ・ワイダ監督のポーランド映画『灰とダイヤモンド』を何度も観ていて、暗く影のある主人公マチェックに非常に共感していたという。逆に自身の俳優業には違和感を覚えていたようで、ゲスト出演したラジオ番組では「映画は好きだけどやるのは好きじゃないです」と語っていた。

歌手としても、日本グラモフォン(ポリドール)から『霧笛が俺を呼んでいる』をはじめとする数々のヒット曲をリリースしている(生前レコーディングしたのは、全部で25曲)。

急死

1961年(昭和36年)2月14日12時20分頃、石原裕次郎のケガにより代役となって撮影に臨んだ映画『激流に生きる男』のセット撮影中の昼休憩時にセールスマンが持ってきたゴーカートを日活撮影所内で運転中、咄嗟にブレーキとアクセルを踏み違え60km/h以上のスピードで大道具倉庫の鉄扉に激突し、東京都北多摩郡狛江町(現:狛江市)にある慈恵医大病院に緊急搬送された。一時は意識が戻ったものの、2月20日になって再び昏睡状態に陥り、2月21日午前7時50分、前頭骨亀裂骨折に伴う硬膜下出血のため、21歳の若さで死去した。赤木の家族らと共に長門裕之も臨終に居合わせた。葬儀は杉並区永福にある大円寺にて2月23日の午後2時より執り行われ、多くの芸能関係者などが参列した。

事故直前に同じく『激流に生きる男』出演中で撮影所にいた子役時代の江木俊夫は、赤木からゴーカートに誘われていたが、小林旭から「一緒に行くと危ないぞ、それより飯でも食おうよ」と呼ばれたため行くのを止め、小林と共に食堂で食事をしているところに、外から大きな音と騒ぎが聞こえて赤木の事故を知ったという。

また、赤木の死に顔を見た宍戸錠は「まるでハリウッドの俳優ルドルフ・ヴァレンティノのようだった」と語った。宍戸は、長門など他の俳優やスタッフらと共に赤木がゴーカートを走らせる前からその場に居合わせており、弟の郷鍈冶、そして杉山俊夫共々家族同様に親しい間柄だった。

赤木のプロマイドは死後6年経った1967年(昭和42年)まで男優部門での売り上げ10位以内に入り続けるという高い人気を保ち、同年には『激流に生きる男』の未完成フィルムの一部と、ゆかりの俳優たちの座談会などで構成された『赤木圭一郎は生きている 激流に生きる男』が公開され、写真集やレコードも発売された。

同じ日活の後輩女優で共演の経験もある吉永小百合(赤木からは「ラビットちゃん」という愛称で呼ばれていた)は、赤木を「憧れの先輩だった」と語り、自身の著書や写真集、日活時代の思い出を語るインタビューなどで赤木とのエピソードや写真を挙げている。加山雄三も、日活と東宝で籍を置いた会社こそ違ったものの、1960年の秋、雑誌の取材で一緒になったことをきっかけに赤木と親しくなり、同世代で同じ湘南育ちということも手伝ってその親交は深まり、それは赤木の急逝まで続いたという。加山は、赤木とのエピソードを自著『湘南讃歌』『若大将の履歴書』などの中で綴っているほか、赤木をイメージして作曲した楽曲「夕映えのスクリーン」も発表している(加山のアルバム『LIFE』に収録。山川啓介による歌詞も、加山と赤木の友情をモチーフにしたものとなっている)。

神奈川県鎌倉市の長勝寺に赤木の記念碑が建立されている。墓は静岡県富士宮市の大石寺典礼院L-2区881号にある。

映画

紅の翼(1958年、日活) ※エキストラ出演
群集の中の太陽(1959年、日活) - 城南大学ラグビー部員 役
狂った脱獄(1959年、日活)
拳銃0号(1959年、日活)
絞首台の下(1959年、日活) - 柳本憲 役
街が眠る時(1959年、日活)
俺は淋しいんだ(1959年、日活)
若い傾斜(1959年、日活) - 庄子新吾 役
ゆがんだ月(1959年、日活)
浮気の季節(1959年、日活)
素っ裸の年令(1959年、日活) ※初主演作品
清水の暴れん坊(1959年、日活) - 戸川健司 役 ※石原裕次郎と初共演
大学の暴れん坊(1959年、日活)
鉄火場の風(1960年、日活) - 速水健 役
拳銃無頼帖シリーズ
拳銃無頼帖 抜き射ちの竜(1960年、日活)
拳銃無頼帖 電光石火の男(1960年、日活) - 丈二 役
拳銃無頼帖 不敵に笑う男(1960年、日活) - 早射ちの竜 役
拳銃無頼帖 明日なき男(1960年、日活)
打倒 ノック・ダウン(1960年、日活)
邪魔者は消せ(1960年、日活)
男の怒りをぶちまけろ(1960年、日活)
霧笛が俺を呼んでいる(1960年、日活) - 杉敬一 役
海の情事に賭けろ(1960年、日活)
幌馬車は行く(1960年、日活)
錆びた鎖(1960年、日活)
俺の血が騒ぐ(1961年、日活)
紅の拳銃(1961年、日活)  (Wikiより)