6日午後7時のNHKニュースによれば、イスラエル軍はガザ南部のラファへの攻撃を間もなく開始すると通告しました。「軍事作戦の規模・期間については明らかにしなかった」といいます(写真は同ニュースから)。
「停戦交渉」中もイスラエルによるガザ攻撃(ジェノサイド)は続けられており、「5日~6日の攻撃で子ども8人を含む22人が死亡した」と伝えられています。
この事実を目の前にして、刻々と失われていく命を見殺しにしながら、イスラエルの蛮行を止められない。国際社会と、自分の無力さをあらためて思わずにはいられません。
なぜ止められないのか。それを全面的に解明する力は私にはありませんが、少なくとも言えるのは、NHKはじめ日本のメディアの責任は重大だということです。
エジプトで続けられていた「停戦交渉」について、メディアは当初、アメリカの言い分そのままに「ハマスが提案を受け入れない」とハマスに責任転嫁しました。イスラエルの強硬姿勢が改めて表面化した後も、「双方の主張が食い違っている」という“どっちもどっち”論です。
しかし、歴史的経過をみれば、イスラエルとパレスチナの関係において“どっちもどっち”は完全な誤りです。イスラエルのジェノサイドを無条件にやめさせる以外にありません。
米政府とそれに従属する日本政府の側に立った“どっちもどっち”論がガザの事態に対する認識を誤らせ、イスラエルの蛮行を止める世論の広がりを阻害していることは明らかです。
さらに重大なのは、メディアの報道感覚(価値観)です。
NHKに限らず、6日の日本の放送メディアのトップニュースは「連休最終日」のお決まりの「新幹線の別れ」のシーン。そして大谷翔平の一球一打です。冒頭のNHKニュースも、ガザのニュースは何番目かの「その他のニュース」扱いです。
こうした内向きな、あまりにも内向きな報道が、日本人の視野狭窄と利己主義を助長していることは確かでしょう。こんな報道にどっぷりつかっている(つからされている)日本で、ウクライナに対する抗議の声・デモが起こらないのは当然かもしれません。
そしてこうしたメディア状況(その背景にあるのは政府によるメディア支配)は、この問題に限らず、あらゆる政治・社会問題で、政府・国家に異議申し立てを行い、権利を主張する思想と行動を日本人から奪っているのではないでしょうか。
とはいえ、メディアや政府・国家権力の責任だけを指摘してすむ問題ではありません。
ガザで、世界の紛争・貧困地域で、人々が子どもたちが無惨な死を遂げている実態に目を向けることなく、自分の、家族の「快楽・幸せ」を求めるのは人間性の腐敗であることを自覚し、それに抗うのは、自分の責任です。