アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

対馬丸記念館から撤去された「天皇・皇后の写真」

2024年05月16日 | 沖縄と天皇・天皇制
   

 15日、約10年ぶりに対馬丸記念館(那覇市若狭、写真左)を訪れました。沖縄戦直前、国策で九州に疎開させられた学童らを乗せた対馬丸は、1944年8月22日、米軍潜水艦の魚雷によって撃沈、約1500人が犠牲になりました(対馬丸記念館自体の問題については今回は言及しません。2013年2月20日、21日のブログをご参照ください)。

 入口を入ってすぐ、驚きました。いきなり明仁天皇・美智子皇后(当時、現上皇・上皇后)の額縁入り写真(写真中)が目に飛び込んできたからです。

 明仁天皇らは10年前の2014年6月27日に初めて対馬丸記念館を訪れました。その時の写真です。この訪問自体、たいへん問題のあるものでした(14年6月28日のブログ参照https://blog.goo.ne.jp/satoru-kihara/m/201406)。

 しかし、問題があるなしにかかわらず、対馬丸記念館の入口正面のテーブルに「天皇・皇后の来館記念写真」を置くこと自体がきわめて重大な問題です。
展示の最後に「感想文」を書くコーナーがあるので、住所・氏名・電話番号を明記の上、大要次のような「感想」を書きました。

「入口正面に天皇・皇后の写真が置いてあるのは極めて問題です。なぜなら、沖縄戦は天皇裕仁が国体(天皇制)を維持するために沖縄を「捨て石」にしたものです。その裕仁の息子である天皇の来館を称えて写真を飾るとは。もっと天皇制に対して厳しい視点を持っていただきたい。写真は撤去すべきです」

 記念館を出て30分ほどたった時、記念館から電話がありました。掛けてこられたのは平良次子館長でした。大要次のように言われました。

「あの写真についてはスタッフの間でも意見があり、検討していたところでした。ちょうどその時に感想文をいただきました。検討の結果、写真は撤去することにしました」

 なんというタイミングでしょう。わざわざそれを電話でお知らせいただいた平良館長に感謝です。

 他のスタッフの話では、平良館長は最近就任されたとか。そして、対馬丸の生存者で語り部として尽力され昨年7月に亡くなられた平良啓子さんの娘さんだそうです。

 なるほど納得です。なぜなら、平良啓子さんは、10年前の天皇・皇后来館の際(写真右)、政府がおぜん立てした「天皇・皇后と生存者の面談」に対し、「戦前の教育(皇民化教育)を考えると、足が向かない」として面談に応じなかった貴重な信念の人だったからです。

 写真の撤去は小さなエピソードかもしれませんが、その意味は決して小さくありません。もちろん自分の「感想文」が取り上げられたからではありません。

 対馬丸記念館に限らず、そして沖縄に限らず、「戦争・平和」に関する記念館・資料館には問題がある場合が少なくありません。

 中でも最大の問題は、天皇裕仁の戦争責任、それを棚上げして今日まで継続している天皇制についての視点・批判がきわめて脆弱・不十分だということです。ひとことで言えば、「天皇制タブー」が戦争・平和関連の記念館・資料館に、さらには平和・民主勢力の中にも濃厚に存在しているということです。

 平良館長の英断は、そんな現状を打ち破る貴重な一石です。平良館長と今後の対馬丸記念館に期待し、応援したいと思います。
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