アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

住民に知らせずベールに包む陸自とたたかう宮古島の人びと

2024年05月18日 | 沖縄と日米安保・米軍・自衛隊
       
   
 16日、宮古島を訪れました。陸上自衛隊宮古島駐屯地(宮古警備隊・第七高射特科群=ミサイル部隊)は、野原地区の畑の中にありました(写真2)。11年前に来島した時にはない風景でした(同駐屯地が開設されたのは5年前の2019年。ミサイル部隊は今年4月)。

 道を隔てて、「ミサイル基地いらない宮古島住民連絡会」の横断幕が強い日差しの中で鮮やかな色彩を放っていました。
<琉球弧の島々に ミサイル基地いらない!自衛隊も米軍も>(写真1)
 この横断幕を背に、毎週木曜日朝、駐屯地に向かって抗議活動が行われています。

 横断幕の向こうでは、野原住民の仲里千代子さんが、「基地はいらない」と、駐屯地前の畑で花を植えています。「花は人をやさしくする。自衛隊員が武器を持って戦う気力をなくするように」

 宮古島にはもともと、1972年5月15日の「祖国復帰」によって米軍から引き継いだ航空自衛隊のレーザー基地があります(写真3)。
 それに約800人の陸自隊員が加わりました。役人の数が約600人の島に。それは島の人口構成を激変させただけではありません。
 
「陸自駐屯地が出来てから、空自隊員の態度まで横柄になりました。陸自は私たちの疑念や不安になに1つまともに答えようとしません、すべてはベールの中です」

 上里清美さんは語気を強めます(写真4の左が上里さん、右が仲里さん)。例えば―。

「基地内には約200台の軍用車両があります。そんな大量の車両がなぜ必要なのか?どんな部隊が出入りし、何をしているのか?」

「ジェット燃料の給油施設(写真5)は軟弱な断層の上にあります。宮古島は地震が多いにもかかわらず。地下水の汚染対策はどうなっているのか。問いただしても「処理施設・浄化槽で処理しています」と言うだけ」(川のない宮古島では地下水が住民の生命線)

「弾薬は持ち込まない、という約束だったにもかかわらず、あの台形に盛られた土の中は弾薬庫です。陸自は否定しますが、「最も危険な弾薬」を示す「1」の標識が立てられています(写真6)」

 のどかだった島に軍隊(自衛隊)が基地を造り、戦争準備を着々と進める。戦争となれば島民に逃げ場はありません。にもかかわらず住民にはなにも知らされない―それが宮古島の現実です。

「宮古・八重山の島々が戦場になる。その具体的な準備が整えられている。マスメディアはこのような情報をほとんど報道しない。国民の多くは、沖縄県民の多くでさえ、こんな事実を知らず、関心を持たず、日々の暮らしに追われている。
 先の大戦でも、「気がついたら戦争が始まっていた」という声を私たちは親の世代から何度も聞いてきた。繰り返すわけにはいかない」(清水早子・ミサイル基地いらない宮古島住民連絡会「戦争の姿が見えてきた!」季刊「けーし風」2023年11月号所収)

 ゲート前で毎週、銃を携帯する警備兵と対峙する人々、花で非戦の精神を伝えようとする人、すべてをベールに包む軍隊にネットを駆使して対峙する人々-そんな人々が今日もこの島でたたかっています。



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