ここしばらく日銀総裁のことを取り上げたので、少し話題を変えたいと思います。
でも簡単に触れておきましょう。
予想通りの展開になっています。民主党はまた拒否。たしかに、あの方では首を縦に振れないでしょう。本当にこんな人しか人材がいないのでしょうか。もっとも、いま急に探そうとしても難しいでしょう。一年位前から準備して唾をつけておかないと。グリーンスパンの「私の履歴書」(日経新聞)には、そういうことがちゃんと書いてあります。
福田内閣はもう空中分解の様相を呈していると思います。昨日はメルトダウンと書きましたが、空中分解の方が適切です。まわりに汗をかいてくれる仲間が全然いないようだからです。しかも、今傍にいる人も、どんどん福田さんから離れていくように見えますから。
さて、今日はお金のありがたみの問題を取り上げます。お金の使い方の原則でいちばん大事なのは、以下のことでしょう。
「人は自分の金は大事にするが、人の金は大事にしない」
誰かが言っていたことですが、まさにその通りですよね。ところが、日本では自分の稼いだ金を人にあげなければならない。税金です。
ところで、お役人にとって税金というのは「人の金」です。ということで、税金は非常に粗末に扱われる。最近の道路関係の無駄遣い、社会保険庁の例をあげるまでもありませんね。
そこで、お金を大事に有効に扱うには、できるだけ当事者に近いところで使うことがよい、ということになります。
そういう至極単純な理由で、今の中央集権的な体制よりも道州制の方がよい、と私は思っているわけです。
最近、もう少し真面目に道州制を勉強しようかなと思い、図書館から本を取り寄せました。PHPの江口さんの本は人気があるのか、まだ手に入っていません。
いまとりあえず読んだのが、『道州制で日はまた昇るか』(現代人文社)と『自治体格差が国を滅ぼす』(田村秀著、集英社新書)です。
前者の方は入門編で、道州制とはどんな感じかをつかむにはよいでしょう。だいたい私が道州制に対してイメージしていたことと大きな違いはありませんでした。
そのなかに、特定財源の話がでていまして、私は恥ずかしながら全然知らなかったことがあります。
国の予算は80兆円だとよく言われております。ところが、ガソリン税のような特定目的に使われる(はずの)特別会計が、2.5倍以上あるというのです。2006年度で211兆円です。だから、本当の国の予算は290兆円くらいになるわけです。
しかも、その211兆円の部分が、つい最近まで(2005年9月)公表されていなかったというではありませんか。国民の眼から長い間知らされない存在のため、国民の監視の目から逃れ、本来の目的とは違った無駄な箱物事業や投資に使われ、さらにはその負債を補填するための借り入れなどが〝特別〟に行われていたということです。
たとえば、漁業者のための予算は漁業人口が減っているのですから、本来は減少するわけですが、特別会計においては「余剰金」「積立金」として会計上に〝貯金〟されているというのです。こうしたへそくりが、あちこちにあるということです。
「現在、政府は特別会計の改革に着手しようとしており、2010年をめどに、特別会計の合計を三分の一程度に減らし、できるだけ一般財源に組み込む方針を出しています」
と、まあこの本には書いてありましたが、福田政権下でこんなことができるのでしょうか。正直不信感をもっています。だって、ガソリン税を10年も延長しようと自民党は言っているではありませんか。
自民党の言い分はとても正気の沙汰とは思えませんよ。道路をつくろうと思えば、一般税源でもできるんですから。
本当は自民党の道路族議員が廃止を反対しているのでしょうが、それを抑えることが自民党総裁にはできにくいのでしょう。というのは、ガソリン税を切れば、今度は別の族議員が別の特別会計で血を流すことを求められるからです。だから、みんな嫌がって、積極的にガソリン税継続反対を叫ばないという寸法……だと私は推測しています。推測ですよ。私は政治のことはまったく門外漢ですからね。ただ、私の『組織行動学』から考えれば、自ずとそういうことになると見ています。
それから、小泉時代に打ち出された「2003年骨太の方針」で取り上げられた三位一体改革(「地方交付税の見直し」「補助金の削減」「国から地方への税源委譲」の三本柱)――は予定通り進んでいないそうです。
つまり、この三位一体改革というのは、いまの体制ではできないということです。アイデアはよくても、アプローチにおいて根本的な欠陥があるからです。
その原因は、言うまでもなく、中央官庁、族議員たちが口出しできるようなアプローチをしているからです。彼らを排除する仕組みでもってやらない限り、常に構造改革は骨抜きにされるということです。
私は自民党政権がこの改革を本当にできるのか疑っています。お断りしておきますが、私は政治については無党派です。民主党やその他の野党支持者ではありません。もちろん自民党でもない。
**********
追記:昨日ブログ『リーダーの身心学』で「#10 腕の酷使と心理的影響」というのを書いておきましたので、ご興味のあるかたはお読みください。
仕事柄、マウスを頻繁に操作したりして腕を酷使する人が多いのではないでしょうか。あまり知られておりませんが、腕の疲労というのは心理的にものすごく影響します。ノイローゼとか神経症の原因にもなりかねません。そこまでいかなくても「ひとつの考えに執着して柔軟な思考がとりにくくなる」ことがあります。的確な判断が下せなくなる可能性がありますから、リーダーはお気をつけください。
でも簡単に触れておきましょう。
予想通りの展開になっています。民主党はまた拒否。たしかに、あの方では首を縦に振れないでしょう。本当にこんな人しか人材がいないのでしょうか。もっとも、いま急に探そうとしても難しいでしょう。一年位前から準備して唾をつけておかないと。グリーンスパンの「私の履歴書」(日経新聞)には、そういうことがちゃんと書いてあります。
福田内閣はもう空中分解の様相を呈していると思います。昨日はメルトダウンと書きましたが、空中分解の方が適切です。まわりに汗をかいてくれる仲間が全然いないようだからです。しかも、今傍にいる人も、どんどん福田さんから離れていくように見えますから。
さて、今日はお金のありがたみの問題を取り上げます。お金の使い方の原則でいちばん大事なのは、以下のことでしょう。
「人は自分の金は大事にするが、人の金は大事にしない」
誰かが言っていたことですが、まさにその通りですよね。ところが、日本では自分の稼いだ金を人にあげなければならない。税金です。
ところで、お役人にとって税金というのは「人の金」です。ということで、税金は非常に粗末に扱われる。最近の道路関係の無駄遣い、社会保険庁の例をあげるまでもありませんね。
そこで、お金を大事に有効に扱うには、できるだけ当事者に近いところで使うことがよい、ということになります。
そういう至極単純な理由で、今の中央集権的な体制よりも道州制の方がよい、と私は思っているわけです。
最近、もう少し真面目に道州制を勉強しようかなと思い、図書館から本を取り寄せました。PHPの江口さんの本は人気があるのか、まだ手に入っていません。
いまとりあえず読んだのが、『道州制で日はまた昇るか』(現代人文社)と『自治体格差が国を滅ぼす』(田村秀著、集英社新書)です。
前者の方は入門編で、道州制とはどんな感じかをつかむにはよいでしょう。だいたい私が道州制に対してイメージしていたことと大きな違いはありませんでした。
そのなかに、特定財源の話がでていまして、私は恥ずかしながら全然知らなかったことがあります。
国の予算は80兆円だとよく言われております。ところが、ガソリン税のような特定目的に使われる(はずの)特別会計が、2.5倍以上あるというのです。2006年度で211兆円です。だから、本当の国の予算は290兆円くらいになるわけです。
しかも、その211兆円の部分が、つい最近まで(2005年9月)公表されていなかったというではありませんか。国民の眼から長い間知らされない存在のため、国民の監視の目から逃れ、本来の目的とは違った無駄な箱物事業や投資に使われ、さらにはその負債を補填するための借り入れなどが〝特別〟に行われていたということです。
たとえば、漁業者のための予算は漁業人口が減っているのですから、本来は減少するわけですが、特別会計においては「余剰金」「積立金」として会計上に〝貯金〟されているというのです。こうしたへそくりが、あちこちにあるということです。
「現在、政府は特別会計の改革に着手しようとしており、2010年をめどに、特別会計の合計を三分の一程度に減らし、できるだけ一般財源に組み込む方針を出しています」
と、まあこの本には書いてありましたが、福田政権下でこんなことができるのでしょうか。正直不信感をもっています。だって、ガソリン税を10年も延長しようと自民党は言っているではありませんか。
自民党の言い分はとても正気の沙汰とは思えませんよ。道路をつくろうと思えば、一般税源でもできるんですから。
本当は自民党の道路族議員が廃止を反対しているのでしょうが、それを抑えることが自民党総裁にはできにくいのでしょう。というのは、ガソリン税を切れば、今度は別の族議員が別の特別会計で血を流すことを求められるからです。だから、みんな嫌がって、積極的にガソリン税継続反対を叫ばないという寸法……だと私は推測しています。推測ですよ。私は政治のことはまったく門外漢ですからね。ただ、私の『組織行動学』から考えれば、自ずとそういうことになると見ています。
それから、小泉時代に打ち出された「2003年骨太の方針」で取り上げられた三位一体改革(「地方交付税の見直し」「補助金の削減」「国から地方への税源委譲」の三本柱)――は予定通り進んでいないそうです。
つまり、この三位一体改革というのは、いまの体制ではできないということです。アイデアはよくても、アプローチにおいて根本的な欠陥があるからです。
その原因は、言うまでもなく、中央官庁、族議員たちが口出しできるようなアプローチをしているからです。彼らを排除する仕組みでもってやらない限り、常に構造改革は骨抜きにされるということです。
私は自民党政権がこの改革を本当にできるのか疑っています。お断りしておきますが、私は政治については無党派です。民主党やその他の野党支持者ではありません。もちろん自民党でもない。
道州制で日はまた昇るか―地方分権から市民主権へ一新塾現代人文社このアイテムの詳細を見る |
自治体格差が国を滅ぼす (集英社新書 422B) (集英社新書 422B)田村 秀集英社このアイテムの詳細を見る |
地域主権型道州制―日本の新しい「国のかたち」 (PHP新書 494) (PHP新書 494)江口 克彦PHP研究所このアイテムの詳細を見る |
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追記:昨日ブログ『リーダーの身心学』で「#10 腕の酷使と心理的影響」というのを書いておきましたので、ご興味のあるかたはお読みください。
仕事柄、マウスを頻繁に操作したりして腕を酷使する人が多いのではないでしょうか。あまり知られておりませんが、腕の疲労というのは心理的にものすごく影響します。ノイローゼとか神経症の原因にもなりかねません。そこまでいかなくても「ひとつの考えに執着して柔軟な思考がとりにくくなる」ことがあります。的確な判断が下せなくなる可能性がありますから、リーダーはお気をつけください。