佐藤直曉の「リーダーの人間行動学」 blog

リーダー育成のための人間行動と人間心理の解説、組織行動に関するトピック

リーダーの暗示学152――写真家・土門拳と画家・梅原龍三郎

2005-05-10 06:16:45 | 人間行動分析
 5月6日の#148にて、土門拳について触れました。土門拳という人は、どこから見ても捻れ型です。これくらいわかりやすい人はいません。捻れ型の純粋種だといえるのではないでしょうか。ですから、「人間を観る」ための教材には、うってつけの人物です。だいたい、大きなことをなす人は純粋種であり、ほかのタイプが混合していない場合が多いようです。土門拳も多分そうでしょう。彼は脳卒中で倒れ、亡くなるまで十年以上もベッドに寝たきりで、会話もできなかったそうです。気の毒なことです。捻れには脳卒中が多いのです。
 
 
「梅原龍三郎の撮影」
 土門拳の数あるエピソードのなかでも有名なのが、画家の梅原龍三郎を撮ったときのことです。
 
 カメラのの前に立つと誰でも「よそゆき」の顔になります。そこで、土門は、その人ずばりの写真をとろうとして、いろいろなポーズをとらせながら、もう一枚、もう一枚と食い下がることになります。

 相手には肉体的にも精神的にも、非常に負担になります。梅原龍三郎の場合もそうで、ついに彼は怒りだしてしまう。

「口はわなわな震え、木炭を摑んだ手もブルブルと震え、爆発寸前だった。土門は殺気に似たものを感じ、ガバッと起き上がり、カメラけとばされるのを恐れ、カメラを引き抱き、後ろに退けるように気を配りながらシャッターを切った(1)」

「その時、梅原は籐椅子を両手で持ち上げ、『ウン』と気合いもろとも床へ叩きつけた。すさまじい音がし、一瞬シーンとなった。その上にドカッと腰をおろし、『肘を張り、足を外八文字にひらいて、天井の一角を睨みつけながら、『ウーム、ウーム』と肩で大きく息をしていた。(中略)高野山金剛三昧院の赤不動のような逞しく男性的な顔であった(2)」
 
 土門は、このときの梅原の顔を「ボクは、ああ、今までつかもうとさがしていたものを、そこに発見した。それはいいようもなく美しい、いいようもなく強い、お山の大将そのものの顔」と言っています。
 
 それから、これは余談です。梅原は高峰秀子をたいへんかわいがっていたのですが、ある日、彼女のデッサンをとりました。もう一枚、もう一枚、とデッサンをとたため、高峰に「しつこいわね、モデルっていやになったわ」と怒鳴られました。
 
 梅原は「土門があんなにしつこくとる気持ちがわかったよ」といっていたそうです(3)。
 
 
引用文献
(1)阿部博行『土門拳 生涯とその時代』(財団法人法政大学出版局、1997、132頁)
(2)前掲1、133頁
(3)前掲1、133頁


「大成功だった撮影」
 今のエピソードに注釈を加えましょう。土門は非常にフィルムを使うタイプの写真家だったようです。戦後の物資の少ないときにも、“乱費”して、会社を怒らせています。

 一つの対象を何枚も撮ることについては、彼なりの理屈があります。しかし、捻れ型というのは、ボリュームがないとだめなのです。それが土門の潜在意識的な感受性なのです。
 
 それから、彼のカメラは非常に重かった。また、土門が初めて自前で買った三脚は、シネカメラ用の10キロを超える三脚でした。彼のカメラは常に大きくて重たい存在だったのです。これも捻れ型好みのボリューム感です。
 
 土門が梅原を撮った写真は大成功でした。世間の常識からすれば、やり方はあまりほめられたものではないですが、芸術ではそれが許されるのでしょうか。なぜ大成功だったかというと、梅原龍三郎の素顔が写せたからです。
 
 梅原龍三郎は3種の権化です。この人もまた純粋種と言えるのではないでしょうか。好き嫌いの感情が激しく、天衣無縫なタイプです。特に、怒った顔が、3種の本性をよく表している。それを撮れたのですから、大成功です。
 
 梅原先生の行動特性は、このブログの2004/12/05と12/06で扱っておりますから、興味のある方は参照してください。この人もおもしろいですよ。
 梅原龍三郎2はここからアクセスできます
 
 
「捻れ型の権化」
 土門拳について、私は断片的にしか紹介できません。まだ、あまり、すっきりまとめきれておりません。
 
 たまたまある資料を探していたら、土門拳について、非常にうまくまとめた資料を見つけました。「松岡正剛の千夜千冊」というホームページで、土門拳著『死ぬことと生きること』(1974、 築地書館)の紹介がありました。これで、土門拳の輪郭がわかります。 
 http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0901.html

 松岡さんのホームページから興味深いところを引用させていただきました。
 
         *          *          *
土門の写真は「とことん撮る」という本質に裏打ちされていた。写真においてとことん撮るとは、もうこれ以上は撮れないというところまで撮るということだ。

写真を始めたてのころ、土門は借り物のカメラを使ってはモノを撮り、町の一角を撮っていた。自分がモノを見たとたんに、そこにカメラがぴたりと吸いつくための訓練をしたかったからだ。それも半分は空シャッターで、しかも連日、ほぼ1000回のシャッターを切った。しかし近くのモノばかりでは訓練が足りないと気がついた土門は、空に突き出る広告塔を撮る。広告塔「ライオン歯磨」の「ラ」や「歯」にレンズを向け、手の構えのスピードを変えては何百枚も撮りつづけたのだ。やがて一瞬にして、広告塔の「歯」が切り刻むようなピントで撮れるようになっていた。

助手たちの証言によると、土門はいつも「一番大事なことは、ギリギリまで待つことなんだ」と言っていたという。待機である。が、待機ではあるけれど、ただ待っているのでもない。何かと勝負しながら待っている。その勝負手を握っているのが鬼なのだ。
         *          *          *

 捻れ型の特性がよく出ています。徹底的にやるというのが究極の捻れ型なのです。なかなか、ここまでできませんよ。

 彼は、学生時代、図書館の芸術関係の本を全部読んだそうですが、そういうたいへんな努力家なのです。二段目の、空シャッターで練習するところなんかも、たいへんな努力家であることがわかります。ちょっと尋常ではない努力をする人は、捻れ型に非常に多いといえます。
 
 それから、三段目の、「何とか勝負しながら待っている」ところ、勝ち負けに敏感な捻れ型の感受性がもろ見えです。

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