さて、相田みつを氏に聞いてみたいと思うこの話。次期総理に決定した野田佳彦氏の候補者演説。「どじょうは金魚になれない」この部分だけが取り上げられてしまった感がありますがこのドジョウの演説についてニューヨークタイムズは、野田氏のself-depreciating style(自己卑下スタイル)。国民受けするかどうかはまだ分からない。しかしアナリスト達は、自己を低く見せることで、首相就任時の期待プレッシャーを低くして舵取りをやり易くする効果があると見ていると述べています。相田氏に聞いてみたいのは本当に金魚に卑下して言ったのか?私はそうは思いません。人にはそれぞれキャラクターがありそれを生かすのが人生の知恵ではないでしょうか?だから何も金魚がドジョウより優れているという意味でもないと思います。もしこのあとに言葉を続けるとすれば「金魚には金魚のどじょうにはどじょうのよさがある。」
金魚は食べたいと想いませんがドジョウ鍋、(柳川)は高級料理。今やなかなかありつけません。なにより仮にも一国の総理を評して「卑下」はない。失礼です。それにしても小泉元首相以後5年間。あまりにも毛並みが良くプライドを持った首相の空疎な言葉とそれに相反する指導力のなさにいい加減飽き飽きしてきたところ。妙に耳ざわりがいい。特に震災以後、政治にも「泥臭さ」を求めて来たのかもしれません。無理だとは思いますが長く続くような状態になって欲しい。