日記

日々のあれこれ
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冬の家居に

2022年01月18日 | 日記

なるだけ家にいる。通学も通勤もない私には特にストレスでもなく、自堕落を自分に許しいている。

録画した旅番組などを見ていると時間がとてもゆっくり過ぎて行く。

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スペインのロンダですね。

2016年6月、特に勾配のきつい道を走ったと思わないのに、到着した街の片側は目もくらむような断崖絶壁。あれには驚いた。

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ロンダの闘牛場。

動物虐待になるので最近は闘牛は殆ど開催されないらしい。

ここはどうだったかな。

この屋根は、近衛通りに面した京都大学の学友会館の玄関の庇そっくり。いえ、こちらが先だと思いますが。一時期、京都の近代建築にはまり、あちこち見て歩いていた私です。

京都大学のサイトからお借りしました。

楽友会館 | 京都大学 (kyoto-u.ac.jp)

大正年間、設計の仕上げを教授から任された森田慶一は殆ど書き換えて、軽快なスペイン風にしたと何かで読んだことがあります。

中も照明などはレトロかつモダン。20年くらい前は宿泊できたので泊まったこともあります。とても落ち着き、時間旅行した気分になるのは建築の持つ力。

森田は確か20代の若さだったと思います。私はこういう話が好きです。

Y字型の柱が屋根の重量感を視覚的に支えているのではないでしょうか。大正年間の建築。

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フィリヒリアナ

スペインの白い村。

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小石で模様を作るのはとても手がかかるそうで、今はほとんどしていないとのこと。

姑様の藍染とコラボ。

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ドイツ、ネルトリンゲン・・・だったかな。

ドイツは寒いので窓は小さめ。屋根に明り取り。

・・・と整理していて、観光旅行がいつ再開できるのか、もうほとんど諦めているけれど、行ける時に行っておくの合言葉は、自分の側にも言えることだし、世界中でこんなことになるなんて、とつい思ってしまう。

きょうは午後からある場所へ行く約束。電車バスだと80分くらい、車だと都市高速経由で20分。車で行ったけど、駐車場の入り口が分からず、どんどん細い道へ入り込んで、焦った。

初めての場所は車で行きたくない。駐車場が満杯て言うこともあるわけで、午前中はそれを思うとストレス。

でも帰った来たら一仕事終えた達成感で、多少ハイになった。なったついでにばあちゃんのささやかな買い物。

野趣満点の南天は、近所の個人商店で。

赤い実が好きです。

ミカンも農家から直接仕入れ。無選果、おいしかった。

やれやれ、友達からもらった抹茶入りのクッキーにカステラで一人の午後。

毛糸が届くまで、のんびりと過ごしましょう。

タータンに目途がついたら、納税事務再開予定。(夫が)なくした帳票の数々、(夫が)忘れた振込先のあれこれ。以前は腹も立ったけど、もうそのエネルギーもない。何とかなる。何とかしてきた。だからこれからもきっと。。。。

そして、もう70歳も過ぎたことだし、事務仕事なんてやめたいとつくづく思っています。

夫が姑様の家を引き継いだので、我が家は家が二軒になった。夫は仕事場ビルの上方の部屋を自分の趣味に使い、夜もこもっている。

何しているのかなあ~

音楽聞いたり、ネットしたり、工作したり、姑様の残したものを片付けしたりしている模様。固定電話も二回線引いて両方の家の要所で取れるようにしているので、夫のには出ないようにしている。

これって、別居かなあ~。

顔合わすのは食事の時と、夕食後テレビを少し見るとき。私が風呂から出たころ帰宅。

込み入った話はしない。寝る前にはお互いの無事を確認。相互不可侵条約履行中。この距離が負担がなくていいようです。全然いなくなると、私自身が自堕落になりそうで、しばらくはこの感じで行くのかなと思います。

深く考えない。思いをこじらせない。心と体の健康大切。心配しても自分ではどうしようもないことも多い。

冬の一日、そんなことを考えました。

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タータンの紆余曲折

2022年01月18日 | 機織り

整経の次は粗筬に通す。

粗筬は自作。2㎝ごとに釘を打ち、先に手前の緒巻に結び、あとでその幅に適当に糸を分けて幅を出す。

かなり適当。

綾棒も新調しました。こちらも自作。

ホームセンターで半丸という材木を買って来て、キリで穴を開け紐を通す。

滑りやすいよう、かつ固定しやすいようにとこの形になりました。


ネットで買った糸の一部が、イメージと違う色なので新しく買う。それが届くまで、しばしの休憩。

まだまだお正月。二つの花瓶の花を一つにまとめる。

早く春が来ないかな~

まだまだ一月なのに。

年中春なら春のありがたみも分からない。

冬は木も草花も眠っているから、その間に狭い庭の次の一手を考える。たいした手筈はなさそうですが。

次の展示会は、このご時勢なのでいつになるでしょうか。

でもとりあえず、縁の仕上げなど少しずつ。

うーーーむ、もう少しインパクトのある作品を作りたいもの。

織り方は左から、平織り、昼夜織り、キャンバス織り、裂き織り、オーバーショット、そして綾織です。

タータンチェックができたら次は何しようかな。

最近バスに乗ったりすると、人さまのマフラーやコートなどのチェック柄をチェック、どうやって織るのかなと考えるのが遊びのようであり、認知症予防でもあり。


最近買った本。

左は一月末まで放送中でしたか。

着物の着付けの詳しい図解あり。思ったことは着付けは人それぞれ。選び方も。結局は自分が楽しければいいんだけど、最大限きれいに見せるための着付けは、やはり習うよりも慣れろかと思われます。

私達が若いころの帯は芯がとても硬くて締めるのが一苦労でしたが、今は柔らかくてかつ結びやすい、長さも充分ということで、また着てみたいものです。

今度オークションに出す本。

気が向いた時、片手に持てるだけ本棚から抜き出す。

よかったらお買い求めください。よろしく。

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タータン始めました

2022年01月14日 | 機織り

本日は整経

玄関から続く階段下、暖房なしで、作業中は寒さは感じなかった。

先月はまだ膝が痛くて椅子に座ったけど、本日はずっと立って出来た。

よかった。

先日買った糸は中細だけどやや太いので、ネットで似た色をまた買った。

こちらは半額以下。

足りないと困るのでつい多めに買う。多すぎ。

編み物用の糸で織る時は糸を張りすぎると、あとで縮んで硬い織り地になるそうな。

知らんかった・・・と言うか忘れていた。

年末のはその意味では失敗、今度こそ頑張ります。


近所の八百屋で柚子と水仙を買う。

いずれも税込み100円。

島の親戚から直接仕入れるとのこと。いつも新鮮。

なくなっては困る個人商店も、再開発で風前の灯火。

頑張って~

先日の鳴門のホテル、朝食会場は小さなカメラで。

でも食事しているのは私たちだけだった。最近はビュッフェスタイルは少なくなった。

落ち着いていただけるのでありがたいです。和食も好きだけど、塩辛いおかずが多いので、最近は洋食チョイスが多いかな。

明日は次男に会う用事があって、それ以外は機織りの用意、頑張ります。糸を張ってしまえば機織りは早い。頑張ります。

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最近の膝事情、トホホ

2022年01月14日 | 日記

昨年9月半ば、朝起きたら突然左膝が痛くなっていたんです。

30年くらい前、自転車で転倒、骨折したのと同じ場所。

そのうち治るだろうと思っていたけれど、どんどん悪くなるので整形外科を受診←早く行こうよ。

結果、半月板が損傷しいるとの診立て。

それから毎日湿布を貼り、痛み止めと胃薬は、最初は日に三回、今でも一日一回は服用。

それで大体収まっていたけれど、先日の旅行で、重い荷物持って旅館の階段上がったりしてまた悪くなった。

で帰宅後は、家にあった漢方薬も服用。これはその昔、実家の母が膝が痛いと言うのでせっせと送っていたのと同じもの。

漢方薬ですか・・・私にはよく効きます。膝が痛いのも忘れていることもある。けど、半月板は一度悪くなると治らないらしいので、気長に付き合うしかないようです。

今はまあ普通に歩けるのでありがたいことです。

重い荷物、堅い下り坂の道が応えますが、落ち葉の登山道をゆっくり下りるのは、今のところ全然大丈夫。山道でなくても、日常生活でもなるだけ歩くように心がけています。

昨日は税務署へ往復歩いて法定調書各種の提出。午後からはauからUQモバイルへの契約変更。こちらも歩いて行った。だいぶ安くなりそうです。やれやれ。

陽射しが日増しに春めいて、いったん税務関係の事務は中断して他のこともしたいのですが、まあ年寄りの日々はゆるゆると。

冬空。

近所の金柑。

金柑大好き。ない時はミカンをよく洗って皮ごと食べると近い味に。たまにですが。

今のミカンは甘すぎて柔らかすぎて物足りない。

もちろん人前では皮ごとは食べませんよう。それすると変な人と思われそうで。

林檎も薄く輪切りにして皮ごと食べる。芯は最後に残す。ゴミも少なく一石二鳥。

田舎育ち、野生児のばあちゃんはそうする方が心が楽なのです。

今の時期だと稲藁を積み重ねた藁ぐろの陰で、西風をよけながら弟や近所の子と凧揚げ。記憶の中の西風は今よりもずっと強く吹き、凧はどこまでも高く。

庭のクリスマスローズに蕾が。

春が待たれます。

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1/10 明石と姫路そして帰宅

2022年01月13日 | 旅行

1/10 宿を出て山陽鉄道、山陽本線の高架をくぐるとすぐに明石天文台が。

入館料は700円、シニア割引で半額。駐車代は200円。

ベランダを通る日本標準子午線。

泊まった宿の駐車場にも標識があるそうですが見逃した。

宿のサイトよりお借りしました。

天文台の展望台から。

展示いろいろ。

昔の時計、いろいろ。

香を焚いて時刻を見る。

時計の説明。

二つの時計。

地球の自転、公転のずれを微調整しながら時計を合わせているようです。

うーーーむ、この日は朝から膝が痛くイマイチ気分が乗らない。

宿の部屋が二階で階段で案内される。最近は感染防止で荷物もってもらえないし、大浴場は階段下りた地下。それがちょっと辛かった。

続いて少し離れた明石城。

天守閣はなし。手前は広い公園になっている。

この日は暖かくていいお天気でした。

続いて姫路城へ。

受付から天守閣往復、見学時間含めて60分だそうでパス。

小学校5年生の時、姫路にいた叔父に連れて行ってもらい、ものすごく歩いた記憶がある。

そのあと長い間、天守閣は修復をしていた。先般の修復は二度目。明治の初めころ、火災で焼失したと叔父が言っていたけど未確認。

新婚の叔父は書写山のふもとに住んでいた。書写山・・・今昔物語に書写山の行者の話などが出ていたと思う。この付近までは都人の住む世界、それから外は異界だったのでしょうか。

振袖いろいろ。

成人式日和でした。

写真撮らせてもらってごめんなさい。

成人式は人生に一度しかないけれど、私は出ていません。実家地方では20歳になった最初の成人の日に呼ばれるけれど、その頃の私は生意気盛りで、親の言うことはたいてい無視。まあ地元にいなかったし、連休でもなかったので日帰りは無理だし、ちょうど東大の安田講堂に機動隊が入った年ですね。

高校の先輩♂とその友達♂に誘われて野呂山の山頂までドライブしたけど、ものすごく寒かった。山の上が寒いって知らなかった私。

それが我が成人式の日。昔は貸衣装があまりなくて、自前で作る人も多かった。私も親が振袖作ってくれたけど、何回着たかな・・・都はるみさんの総絞りの振袖が、毎年、紅白で話題になっていたころ。高価なものでした。

私のは描き疋田でもなく染疋田、庶民御用達の振袖でした。写真に撮ると総絞りと見えるところがミソ。

すみません、振袖で長話してしまいました。

このあとお城の近くで昼ご飯食べて、夫はいろいろおやつ買っていたけど、私はこれだけ。

お城焼き。2個。お城の形がかわいい。

交代で運転しながら16時半には帰宅。

一月とも思えないいいお天気でした。

わずか一週間前にはPCR検査会場は閑散、行くのは迷ったけど検査で陰性だったし、夫は3回ワクチンしたので出かけました。

次も早くどこかへ行けるようになってほしいものです。

 

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緊急事態発生!!

2022年01月12日 | 事件、事故

2008年1月 小豆島で


夕方4時ころ、玄関に人が。

出てみると斜め向かいの、仲良くしている一人暮らし、80代女性の方が立っていた。

「明けましておめでとうございます」と言うのには返事なく、手にはスマホ、血相変えている。

「嫁さんに電話しようとしても繋がらんのよ」

と言われるので、受け取ってスマホ画面見ると機内モードになっていた。

そこをオフにしたら、「よかったあ、直ったあ」と喜んでもらえた。

「私ら、こんなのは分らんけんねぇ」とのこと。いえいえ、私も全然使いこなせてないけど、そんな私でもお役に立ててよかった。

最近の旅行、ナビはスマホ頼りで、ものすごく料金がかかる。明日は二人で契約変更に行く予定。少しは安くなるといいんですが。

こちら2008年のお節料理。

このころは大変真面目に作っていたようです。

 

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1/9~1/10 淡路島から明石の宿へ

2022年01月12日 | 旅行

1/9日曜日、北淡震災記念公園の見学後、淡路景観園芸学校アルファガーデンへ行きます。

最近来館者が減っているそうですが、いつまでも残してほしい公園です。


山の上の、こちらは学校のようでが、日曜日の夕方、人影が全くありません。

すみません、お邪魔します。

 

 

兵庫の景観150選に選ばれた眺め。

地形を利用し、遠くの景色も取り入れた庭づくりのようです。

イギリス式の風景ガーデン。植栽も元からあるように自然に見せているようです。

窪地に向かって降りていくと

噴水があります。

大型のガボゼ。

春や秋はきれいでしょう。カフェもあるようでしたが、もう閉まっていました。

残念。


続いて明石の宿へ向かいます。

道案内。複雑。

目的地は明石。

明石海峡大橋。夕暮れも近い。

本土に渡り、垂水インターで間違えて下道へ降りるコースに入り、待避所に車停め、料金所の係員に復帰する方法を教えてもらう。

知らない道は緊張する。

15年くらい前にも、京都からの帰り、吹田JCTで名神から中国道に乗り損ねて神戸まで行ってしまい、神戸市内をうろうろ、やっとのことで復帰したことも。

分岐の手前で「(中国道は)左!!左!!左!!」と絶叫するも運転者は直進。名神道路の終点まで。

広島へ帰るので右車線と思ったそうですが、名神は50年くらい前の、都市高速を除いたら、日本で最初の都市間の高速道路。中国道はあとからできたので、左車線からの分岐を追加したと思われます。

その成り立ちを考えたらねぇ・・・あまりしつこく言うと嫌われるので本日はこの程度で。

人に運転してもらって、道を間違えたと文句つけていた私はまだまだ未熟でありました。

 


やれやれやっと着きました。

初めは淡路島のリゾートホテルを予約していましたが、なんか私達には合わない気がしてこちらのお宿に。

料理旅館で、三宮に懐石料理の支店があるそうです。

明石懐石プランは部屋でいただきます。ビール二本目~♪

お正月らしい前菜。

カメの中に塩辛が。夜、喉が渇いて何度も目が醒める。

真薯・・・だったかな・・・

器は鶴。

レンコン餅

鯛の宝楽焼。

私は尾を食べる。食べやすかった。

夫は頭。食べにくそうだった。

アナゴの天ぷらに、手前はタコの蕪寿司。

今年はタコが不漁で生造りが出せないと、仲居さんが恐縮していましたが、他の魚はどれも大変おいしくいただきました。

蛸飯。

金粉。

いつかのお正月、弟が「姉ちゃん、金粉入りのお酒飲むか」と聞いてきた。

「姉ちゃん、俺のぉ」と、金粉つながりで笑う顔を思い出す。。。。

あは志し万可よふ千とりのなくこゑ荷いく夜ねさ免ぬ須まの(字がない!!)せきもり・・・と書いているらしい。

謎かけみたい。

オモト。

風呂は地下に。行くまでが寒かった。階段しかないので、膝に不安のある私はちょっとやばかったけど、何とか。

風呂場には大正天皇が皇太子時代に宿泊し、その時新調した風呂桶が展示してあった。料亭旅館 人丸花壇 明石

その他にも皇族がよく利用する宿らしく、写真を飾ってありました。

老舗のわりにリーズナブルなのは、建物が古いから?

私たちは人間がもう古くなっているので、古いものにはなじみます。

結納や顔合わせにも使うお宿らしく、そう言われてみれば料理も結納っぽく上品。


朝、ひとりでそこら辺を歩く。

 

 

海へ向かう途中に和風の建物が。

公会堂だそうです。

唐破風の玄関屋根。

振り向くと天文台。

海へは歩いて10分くらい。

朝焼け。

右、淡路島。

海辺のマンション

そろそろ帰ります。

玄関の外。

玄関

玄関

鎧とか

お正月。

朝ごはんは食事処で。

器は有田?

ロビーで。

食事の後はすぐ近くの明石天文台を見学しました。

それはまた後程。

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1/9 淡路島は見どころたくさん

2022年01月11日 | 旅行

1/9

8時半、いいお天気です。鳴門のホテル出発。

 

前夜のレストラン前。

土曜夜、人は少なめ。

下道走るとやがて橋が。大鳴門橋?

渡ります。

まず最初に「淡路ファームパークイングランドの丘」

9時半開園を待ちます。

園内は広い。子供連れで一日遊べそうです。

昆虫展示も。寒いのでじっとしています。どうやって羽化させたのでしょうか。

一番乗り。人影なし。

虎たちのお出迎え。目指すはコアラ舎。

写真はいかが?

飼育舎内。

こちらは大型の南方系だそうで。6頭いました。

「だいち」とか、日本風の名前です。

黒い塊がコアラ。寝てます。

こちらも熟睡中。鋭い爪を木に立てて、座って寝ます。

よく落ちないものです。

おや、起きてきました。

こっち向いて!

ありがとう~

いい写真が撮れました。

この後また熟睡。

カピバラは子供たちに人気。

ロックガーデン。

珍しい花だそうです。

ヨロイスギ。アフリカ地区に。

丘の斜面のロックガーデン。

八重咲きブーゲンビリア。初見。

ポインセチア。

カメいろいろ。

春の花。


続いて鮎屋の滝へ。

駐車できる場所を探して車を停め、滝へ降りていきます。

途中にお堂があります。麓の寺の奥の院らしいです。

滝が見えてきました。

遊歩道になっていますが引き返します。

赤い実は何でしょうか?

森の中に群生しています。


続いて洲本城址へ。

天守閣風の建造物は上がれません。

洲本市内。

大阪方面。

昼ご飯は北部の野島スコーラへ。

スコーラとはイタリア語で学校のこと。

2010年に廃校になった野島小学校の校舎を利用した観光施設。

食事と買い物ができます。

レストランではメインを選んで、あとはビュッフェスタイルで。

おいしくいただきました。本州に近いためかお客さん多し。


続いて野島断層などを保存する「北淡震災記念公園」へ。

説明版。

野島断層に屋根をかけて保存しています。

神戸のイメージの強い阪神淡路大震災、淡路島も大きな被害があったとの説明が。

T字路だったそうです。向こうへずれて左が盛り上がっています。

ずれた水路とあぜ道。

断層面。

断層面。反対側。

深いところにある液状化の跡は、足元のガラス板越しに見られます。

太平洋戦争、震災にも焼け残った防火壁が「神戸の壁」として保存されています。

敷地内に断層が走る家が保存されています。

見学できます。

震災後はよくニュースになったそうです。

立派なお宅です。

向こうの角が下がっています。

花壇が断層で1m以上ずれています。

家の裏、建物のすぐそばに亀裂が残っています。

このお宅もとても揺れたでしょうが、鉄筋コンクリート造りの頑丈な建物で耐えられたようです。それを記念館として残しています。

続いて震度7の体験です。

このあと座って体験しました。とても激しい揺れで、机に掴まって座っているのがやっと。立って歩くのは無理。

来ると分かっていてこの恐怖。実際の体験はどんなにか衝撃だったことでしょう。

写真パネルを見て当時の様子を思い出しました。

長男のセンター入試の翌朝。燃え続ける神戸の街のニュース映像を呆然と見続けた数日。センターの点数なんてまた来年がある。潰れた家、亡くなられた人たちを思うと大したことではないように思えるのでした。

そして、この時には津波も原発の事故もない。

災害の多い日本で、安全に暮らし、いざとなったらサバイバルできる方法を考えておかないと。と思わされました。

 

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快晴、兵庫県の旅

2022年01月11日 | 旅行

1/8 午後自宅発。

快晴。

分岐で。ここは左へ、また左へ。広島高速2号線から山陽道へ乗る。

瀬戸中央道。四国へ渡ります。向こう、香川県。

島、各種。

大槌、小槌はいずれも無人島。

引き続き快晴。暖かい。

途中、親族の家に寄り、庭先で10分くらい立ち話。すぐに立ち去る。人目はばかる広島ナンバー。


鳴門駅近くのホテルに投宿。食事に行きます。

ドイツ料理。

鳴門は第一次大戦後、ドイツ兵捕虜の収容所があり、地元民とも交流。

日本で最初に第九が演奏された土地で、ドイツパンやソーセージなどが伝わったそうです。

小さな町ですが、ドイツ軒というパン屋さんもありました。

このお店、名前はドイツ語。どういう意味?

黒ビール。

 

 

イタリア料理?

おいしかったので細かなことは考えない。

店内、見たところ私たちが最高齢者。最近はどこへ行ってもそう。

あれあれ、いつの間に。。。。

あとは歩いてホテルまで。

じゃらんの、昨年末に失効するポイント利用で安く泊まれました。やれやれ。


1/9

小鳴門橋、大鳴門橋を渡って淡路島へ。一日、淡路島の観光をする。

コアラ。ぬいぐるみみたいですが本物。

淡路ファームパークイングランドの丘。

コアラは南方系の大型が6頭、見ごたえあり。

野島断層。北淡震災記念公園。

1995年、阪神淡路大震災の断層が保存されています。

左が持ち上がって向こうへずれた跡。

繋がっていた水路が溜枡の所でちぎれています。


島内いろいろ巡りそろそろ夕方。

山の上にある「淡路景観園芸学校アルファガーデン」。

ガーデナーを養成する学校。ここはコニファー各種。

素晴らしいイングリッシュガーデンが広がっています。

入場無料。学校は休みで人影なし。


宿泊は明石市内。明石海峡大橋を渡ります。

垂水ジャンクションで、第二神明道路北線に乗るべく「姫路、姫路、姫路!!!」と助手席で絶叫するのも空しく、垂水で地道に降りるルートに行ってしまいました。

うわおぅ。

「ほらあそこの待避所に車停めて。(私)聞いてくる!!」

ダッシュで、車が来ないのを見計らいながら人のいそうな料金所へ向かっていたら別の所から係員が来てくれました。

わけを話すと「先で合流するので、坂を上って下りて最初の信号は直進、学園南でまた復帰してください」と教えてもらう。

やれやれ、初めての道。ここが一番気かがりでしたが、案の定、間違ってしまいました。

もうね、この年では慣れない都会地の高速道は走らないのが吉、たぶん二度目はないと思うけど、二度目はしっかり間違えないようにしましょう。


二日目の観光は夫にお任せ。城が好きだそうで。男はたいていそうですよね。

私は古い町並みの雑貨、骨董など見て趣のある店でコーヒー飲んだりが好きですが、今回はリサーチ不足。

朝、宿の近所を散策。

 

明石海峡大橋。

いろいろ観光して最後は姫路城。

成人式、おめでとう。後姿、お借りします。

姫路では無事開けたようで、よかったですね。

最近のお嬢ちゃんは、体格がいいので大振袖がよく似合います。


暖かい連休で楽に旅行できました。

事前に私はPCR検査、夫は年明けに三回目接種。二日くらい具合悪そうでしたが、痛み止めと漢方薬で何とか収まったようでした。やれやれ。

このコロナ禍、中世のペスト大流行のように歴史に残るのでしょうか。ペストでヨーロッパの奴隷制が崩壊したように、コロナが収まった後の世界は想像もできないことが起きているのかも。

しかし、今はコロナの終息がなかなか見通せません。私たちはもう人生大部分を済ませたのでまだいいけれど、子供たち、若い人たちはその時々にしかできない体験があるはず。行動制限され、人とも出会えず、こんなことは早く終わってほしいものです。

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瀬戸内、冬の恵み

2022年01月10日 | クッキング、ランチなど

やれやれ、お正月が終わり、店に出回る食材の種類も元に戻り、値段も落ち着いてきました。

カキは地元で養殖。

一袋税込み300円前後。朝早くてまだ値札がなかったけどたぶんそんな感じ。

右は小海老。山口産。

これ、海で獲るのでしょうか。

同じ大きさの海老が並んで生息しているといいけど、たぶん養殖かな。うーーーん?

子供のころもよく食べていた記憶が。

その頃近所に魚屋はなく、高松市の西浜という漁港で仕入れた魚を乳母車に入れ、歩いて行商に来る人から買っていた。歩いて我が家付近まで一時間くらいでしょうか。

我が家の門が十字路になっていてしばらく店開き。

魚を選んで下処理もしてもらう。すべて地元産、今思えば新鮮だったと思う。

広島でも仁保漁港で仕入れた魚を同じように行商に来ていた。

我が家付近には電車通りに大きなスーパーがあり、その前の歩道で店開きしていた。

どこかへ出かけた帰り、電車から降りて、きょうはちょっと魚も食べたいなと思う時、追加で買う。カタクチイワシ(小鰯)の刺身を枌へぎに入れてもらって、おいしかった。酢醤油で食べる。他の土地では食べないと思う。


20年くらい前にはまだあった商売の形態。もうなくなった。30年くらい前は本通りの角でも見たことがある。年取られたのか、保健所がやかましくなったのか、今は消滅。

我が近所の行商の女性、ある時、電車通りの植え込みに向けてお尻を出し、中腰で用を足しているのには驚いた。

けど、私が子供のころ(60年以上前ね。昭和30年代)、年配の女性は農作業の時は、用水路に向けて用足しするのが普通だったと思う。男性もね・・・

古きよき昭和というなかれ。それは郷愁の中にしかない。

女は今の方が生きるのはずっと楽。それは営々と働いてきた先人たちの譲与労働の蓄積のおかげ。

家業も介護も延々とただ働きだった女たちを偲びつつ、感謝しつつ、私は今年も楽しく生きると決める。お母さん、おばあちゃん、ありがとう。

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香川名物、餡餅雑煮

2022年01月09日 | クッキング、ランチなど

お正月が終わってやっと落ち着き、やっと落ち着いて自分のためのお雑煮を一人分だけ作る。

大根、金時人参、油揚げ、餡餅、白みそ仕立てでトッピングは本来、汽水域で養殖する、繊維の長い青のり。

最近は売ってないので、あっても高いので、お好み焼き用の青のりで代用。

たぶんアオサか何か。

夫に勧めず、あちらも欲しがらず、一人だけのお雑煮。

白みそと餡の甘さが混じり合い、しみじみと故郷。それを味わう・・・

この先も多分ずっと毎年。

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毛糸でワクワク

2022年01月08日 | 機織り

久しぶりに毛糸買いました。

世間では編み物する人など、もういなくなってるのかと思ってましたが、なかなかどうして、毛糸専門店が市内にありました。

ウール100%、中細。

タータン、織れるといいのですが編み物用の糸なのでどうなりますか。

毛糸や布は、いつも買っているのは別として、風合いや色がネットではいまいちわかりにくい。

それで買いに行ったのです。

一度織ってみると糸の使い方も分かるので次からは楽かもです。

毛糸触るといろんなこと思い出します。暖かい風合いに癒されます。

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「ぬるい毒」本谷由紀子

2022年01月07日 | 読書

ただただエッジの立っている作品。

とても才能のある人。

読んで楽しいのではなく、もちろん大変面白かったけど、心がざわつき、世界観が揺すぶられるという読書体験。


あらすじ

地方の短大生の熊田由理はある夜、向伊という男の電話を受ける。高校の同級生で借りた5千円返したいので、今からお宅へ行くと言う。憶えのない由理は断るが、相手は自分の名前書いた紙を持っていると言う。

夜、家の前に現われたのはものすごく美形の、そしてそつのない話し方をする男だった。これほどの男が同級生なら忘れるはずがない。すると男は別の学校だったと言う。

はあ?それで同級生とは強引なと、私は思うけれど、そして由理も思ったはずだけど、その先読みたいと私は思うし、由理も悪い気はせずにその日は別れる。

電話番号は卒業アルバムで知ったと言う。

一年後の正月に、向伊は気まぐれに電話かけてくる。東京の大学に通っていて、帰省している、他の同級生もいるので今から飲んでいる店へ来ないかと誘われる。

と、間隔は開いても、その時々で巧みに誘ってくる相手を由理は拒み切れない。

残りの二人も東京の大学生、同級生だと言い張るが記憶にない。

その場のちょっと華やかな都会の雰囲気

一人娘で地元に残ってゆくゆくは親をみて家を受け継いでいくことを期待される由理は、地元に帰った時の暇つぶしの相手で、「かわいい、きれい」とほめそやして遊んでいる。それが分かっているけれど、向伊に惹かれていく。惹かれつつ、バカにはされたくないと自分の気持ちを確かめていく。

いゃあ~ありそうな話ですね。恋愛は心と心が寄り添う美しいもの、それは理想でもしかしたら神話。

最初から最後まで同じ量だけ双方が思い合うよりも、それぞれの段階で熱量が違うのが普通。この話では由理がより深く思っているけれど、それは恋愛をきっかけに自分を変え、田舎を出たいと言う願望があるから。

相手は遊び人。大学生で、のちに時計台のある大学に通っていることが分かる。東京に大学はあまたあるけれど、時計台のあるのはそうたくさんはないはず。いずれも名門校。

由理は惹かれつつ、自分がただ一人の相手でないことがもどかしい。しかし由理は違う世界に行きたい。短大を卒業し、地元で務めてこのまま一生終えるのがつまらなく思える。

向伊の言い訳。付き合っている彼女は、以前にバイクに乗せて事故起こし、後遺症が残った。一生面倒見ると親に約束した。親はやくざ・・・なんて、本当に不誠実な男。

もどかしくて自分から誘い深い仲になると、なんと向伊は家に遊びに来て帰らない。そして東京で一緒に住もうと持ち掛けてくる。

親を、一年間と説得して、東京で部屋を借り上京する由理を待っていたのは、向伊とその取り巻き達の、どんな遊びにも飽きた退廃的な雰囲気。

飲み会の席で、向伊はきれいだと言い、彼女だと招介したくないわけじゃないと、もてあそび、他の全員が笑い転げる。ただの遊びを真に受けて、東京まで出てきた間抜けな女の子・・・

由理は鍛えられ、強くなっていた。めげなかった自分の自意識に自信を持つ。結末は胸のすくもの、バカ騒ぎが遠景になり、由理は一段高い場所へと。


よかった。面白かった。

こんな男いそうですよね。モテまくって、やがてモテて遊ぶのが自己目的化して、自分が何をしたいのかわからなくなった人。

最近の大学ではイベントサークルというのがあり、その都度企画して人集め、お金も取るらしい。バーべキューやスキーやパーティするのかな。女の子を酔わせて悪いことしまくっていたサークルが某KO大学にありましたね。その名もスーパーフリー、代表者のW氏は28歳なのに延々大学生だったのは、勤めるより良かったのでしょう。

著者は劇団を主宰し脚本も書く。人物の描写が生きているようで、言わせるセリフも無駄がない。

「人に興味を持たれ続けた人間にしか出せない億劫さ・・・この人のそばにいれば自分の価値まで上がる、自分のセンスも試される。

そんな人間の向伊。新潮文庫P139。

居そうですね。こんな人。芸能人に向くんじなかろうか。私たち世代だと沢田研二や布施明のような雰囲気かな。もちろんご本人は女の子と遊ぶ暇もなかったでしょうが。

しかし、由理は「私は無視されたくなかっただけ。私が必至で生きているところを馬鹿にするのはもうやめてと言いたかっただけ」同じくP149

飲み会の場を離れ、道端のビールケースから瓶を取り出して男たちの頭を割るつもりでコンクリートの壁に投げつける。そして決然と前を向いて歩いて行く。


長々と説明しても本作の魅力を伝えきれない。細部の描写が秀逸。神は細部にこそ宿り給ふ。

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新型コロナは陰性でした

2022年01月06日 | 日記

とりあえず。

3日に新幹線口のPCRセンターで検査キットをもらい、4日の昼前に検体を採って午後から届けました。

検査結果は昨夕スマホに知らせてきました。費用は無料ですが、二回行くのでちょっと手間。その場でしてもらえる場所もあるようですが、家でゆっくりしたかったので。

一安心ですが、ここへ来て急激な拡大。今まで以上に気を付けたいと思います。

またまた家籠りの日々でしょうか。。。。

とりあえず、パン焼き機でお餅を作る。

水の量が多すぎて手にくっつき、形が変ですが、年末に私が旅行中に夫が買ったのがとうとうなくなったので。

しばらくはこれで行きます。3合で12個。1個はもう食べた。


午前中は前月の経費帳をまとめ、午後からガソリンなど入れるのに付き合う。帰りにコジマに寄り、ついでにパソコンケーブルを新調したら、接続速度は少し早くなったようです。

きょうは全国的にコロナ感染者が激増、特に広島は増え方が激しいようで。岩国基地に近いのでその影響かと思われますが、しばらくは逼塞していた方がいいのでしょうか。

やれやれです。

その他に、今日は届いた糸の返品。2/48の糸。細すぎた。

毎日毎日、仕事は少しずつ。日差しも少しずつ明るくなって、2月までには仕上げたいものです。

 

 

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お正月も終わって・・・

2022年01月05日 | 日記

今まで年末に買った食材で何とかしていましたが、さすがに今日はお刺身など、新鮮なものも欲しくなって買ってきた。

きょう、友達から姑様へのお供えが届いた。

恐縮しきり。長い長い付き合いである。もちろん友達は姑様との面識はなく、これは私への「介護、お疲れ様。これからも友達付き合いをよろしく」というメッセージと有難くいただいた。

おっと、仏壇にお供えする前に開けてしまった。

四階まで持って上がるのが、もう億劫なのです。介護の間は一日に何度も駆け上がり駆け降りていたのに。

お焼香に来た人から頂いた。

故舅様の甥。中学生のころ、親が転勤のために一足早く札幌に引っ越して、年度末まで姑様が預かって学校へ通わせていたと聞いた。

「お母さんには世話になった」と話すその人ももう60代半ば。

姑は親戚付き合いもマメで、誰が来ても歓待し、食事を出していた。人とのつながりを大切にする人。

故姑様は掃除や片づけよりも料理が好きで得意だった。

私ですか・・・私は料理はまあ普通というか、やや下手。昔から年末年始はとにかく遊びたい。我が実家では、お正月は父の運転する車でドライブしての初詣でと決まっていた。


お正月の風景も結婚で激変。

特にお雑煮。最初の年、牡蠣の入った澄まし汁に四角なお餅が入る雑煮にびっくり仰天。そ、そ、それは・・・・ただの餅入り澄まし汁。私にとってはお雑煮ではありません。

私のお雑煮はこちら。

あんもち雑煮 香川県 | うちの郷土料理:農林水産省 (maff.go.jp)

餡餅は香川県だけですが、お雑煮の丸もち白みそ仕立ては近畿と香川徳島に分布。東京へ行く前の天皇家も白みそのお雑煮だったはず、今ももしかしたら。

餡餅雑煮・・・40代くらいまで大嫌いでした。甘くて柔らかくて・・・

でも50過ぎて、急に食べられるようになったのです。というか食べたくなったのです。

で、一人で食べていました。夫と息子は「気持ち悪い」と、遠巻きに見るだけ。

事程左様に、人の味覚は幼児体験が深く刷り込まれているということで。。。。

息子たちもお菓子いろいろ持ってきてくれた。

年寄り二人では食べきれないので要るのを持って帰ってと言うも、持ち帰らず。

少しずつ食べています。


我が家のお正月とお盆の集まりで、メインイベントはビンゴ。

お歳暮などをストックしていて、足りないのは買い足します。お菓子、乾物、カップ麺などが人気。

これは孫の提案で始めたのですが、今年もたくさん当たったと大喜び。要るの持って帰ってと、ただ分けたのでは面白くもなんともない。今回も下の孫がたくさん貰えたと大喜びしていました。やれやれ、よかった。

さて、楽しみの後には苦しみが。

確定申告の準備です。

いろいろなものを分別、個別にまとめる。

まずはそれから。まとめたあとは税理士さんに丸投げ。

給料関係だけは自分でまとめて税務署と自治体へ提出。20年くらい前、パソコン使うようになってからは劇的に能率化。電卓叩いて数字が合うわけがない。やれやれ。

今の悩みは紙での各種申告がやがてなくなるのではないかと。もう新しいこと、憶えたくない。年々億劫に。

終わると解放感が待っている。それだけを楽しみに今の時期頑張っています。

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団塊の世代

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