日記

日々のあれこれ

納税事務、やれやれ終わった

2022年01月31日 | 日記

毎年のルーティンワーク、もう30年以上やっている。

退屈なので、なるだけ長いユーチューブのファイルを探して流しながら。

この方、同学年なんですよね。これは20年以上前のNHKホールでのコンサートで。

毎年ながら、初めは経費帳と給料は電卓計算、手書きで。

今思えば大変だった。合計すると計算がなかなか合わないので。

レシートを日付順に並べて、広い場所がないので、今は機織り機を置いている部屋に広げて、ご飯の支度。後で行くと、三男、当時六歳くらいがその上でしっかり遊んで、シャッフルしてくれたこともありましたね。

三男なので、しつけも緩みがち。一段高くなったその部屋の上がり框に容れ物いろいろ並べて、水遊びしているのを見かけたこともある。

今年から富士山のふもとに単身赴任。どうしているのかなあ~あちらかな連絡ない時は無理してラインしないことにしている。男の子はうっとうしがられるだけ。一年半で本社に帰任の予定らしいけど、それまでに富士山が噴火しないことを願っている。

発掘写真館。以前使っていたレンタル日記にお絵かき機能があり、2008年の・・・いつだったかな、三男が帰省して、コタツで横になっている写真をもとにパソコンで描いてみた。

座布団二つ折りにして枕に。顔に2歳から大事にしているコアラのぬいぐるみを載せてくつろいでいる。

疾く過ぎゆくもの、それは人生という名の歳月。その時々で楽しんだからまあいいわ。

苦しかったこと、嫌だったことは思い出さない。その時間が無駄。


あとは二つほどファイルをCDロムに落とすだけ。んなもの、このいいお天気の日の昼間することないので、夜に。午後から出かけましょう。わーいわーい、この解放感~

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鈴ケ峰へ登る

2022年01月30日 | 山歩き

午後から、広島市街地の西に隣接してそびえる鈴ケ峰に登りました。

 

アルパーク内、ヤマダ電機に車を入れ、JRと広電の線路を渡り、山へと向かいます。

正面のあの山です。標高は312m、山頂は左側ですが手前の峰のみ行く予定。

途中の案内板。

団地の中を通って行きます。

家が建て込んでいますが、少し上がると海と島が。

大きいのが宮島。

着きました。今日は登山者が多かったです。

約一時間で312m峰へ。

展望良し。

宮島と対岸の廿日市市。広島市と市街地が続いています。

似島にのしまと右が江田島。足元は西区の草津から井口付近。

広島市南部。ほとんどは干拓で広がった土地。

皿山、江波山も今は陸封されています。

広島市中心部。奥は府中の団地。

反対側。窓ケ山と、美鈴が丘団地。その奥にもまた団地。

大きい都市は平野にあることが多いけれど、広島は三角州の上で、周りを山が取り囲んでいる。

市街地から郊外住宅地、山がわずか徒歩20分ほどで繋がっている。

手軽に登れるのは嬉しいのですが、そのぶん勾配はきつい。災害もしばしば。岩国五日市断層もこの付近を通っています。大きな災害がないことを願うばかりです。

 


10分くらいいて下ります。

30分ほどで登山口まで帰ります。

団地の中を通ってひたすら下へ。

どこからでも眺めがいい。気持ちのいい冬山歩きでした。

下りてきました。

動く歩道とアルパークの商業棟いろいろ。


アオキ

タカサゴユリ。咲きそびれた?

ウバメガシ。庭に植えたいのですが・・・

久しぶりの来た商工センターはおしゃれな店いろいろ。

パンと雑貨の店の前で。

珍しい花。

ヤマダ電機の駐車場は車のナンバープレートを読んで、料金は自動計算。

しばらくぶりですっかり様子が変わっていた。これなら車も入れやすいので、この付近へも時々買い物に来たいものです。

片道一時間弱の手軽な山歩き、これからも時々行きたいものです。

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「選挙活動、ビラ配りからやってみた。「香川1区」密着日記」 和田静香

2022年01月29日 | 読書

著者はフリーライター。音楽評論家湯川れい子氏のアシスタントを務めたのち、文筆業に転じ、「時給はいつも最低賃金、これって私のせいですか?国会議員に聞いてみた。」などの著作がある。

昨年秋、衆議院選挙が近づき、ふと、著書でかかわった小川淳也氏の選挙を「見に行こうかな」と香川県へとふらりと行くところからこの本は始まる。

私は早とちりして、先週見た「香川一区」という映画の関係者の制作裏話みたいなものと思っていたけど、映画とは関係なく、言ってみればルポ。

しかし、ルポルタージュという固苦しいものではなく、選挙事務所に出入りしていろいろな人と関わり、日々見聞きしたことをnote

noteの特徴、使い方、機能紹介|note公式|note

に発表し、のちに一冊の本にまとめたもの。

選挙戦の内側からみた本は、今まであるようでなかったのでは。選挙事務所がいいろな人が出入りしていろんなことして、文化祭のようなノリ。読んで面白かった。

選挙直前、選挙事務所でのトークイベントに登壇。また終盤になって、候補者の公式インスタグラムで小泉今日子氏と著者が小川淳也氏に質問するのがライブ配信されるなど、貴重な体験も。

全体を読んでの印象は、とっても楽しい選挙戦。途中からどんどん勢いがついて来て、青空集会にいろんな人が集まって来る。その人たちからの質問に答える候補者。エネルギーが集まり、また発散されていく。自分の意見を言う場のない人たちが、対等に語り合い、考えるつかの間の政治空間。それはお祭りも似ているのかも。

全力を尽くして、結果は、開票が始まると同時に当確の一報が打たれたこと。どよめく事務所。喜びの爆発。いゃあよかった、よかったですが、高松を離れる前、支援者の一人と秘書の人が著者をうどん店巡りに連れて行ってくれる。

がもう、池内、山越うどんの三店。なるほど、ポイント押さえていると思った。締めくくりとしてうどんって、いいなあ。


今年も新型コロナで、広島男子駅は中止。駅伝のスタートゴール地点の平和公園周辺は例年なら、各県の食べ物屋が出てとても賑やか。

香川県のブースは当然うどん。しっぽくうどんとワカメうどん。残念なので、自分で作りました。

根菜を入れるうどんです。人参、ダイコン、ゴボウを入れました。

それに揚げ、肉少々、海老天を。海老天とは小海老を練り込んだ練り物。

香川県にしか売ってないので、先日、香川の親族に買ってもらって家に寄って受け取りました。


この本では懐かしい地名いろいろ。そして知らない新しいスーパーもいろいろ。小川氏は円座の人だそうで。

円座、母の実家へ行くとき、円座で電車からバスに乗り換えていく。バスの切符を売るよろず屋の外でバスを待つ。夏はよしずの屋根の下が涼しかった。かき氷も販売。近所の人が鍋持参でかき氷を買いに来ることも。

円座・・・懐かしいです。子供のころは牛市が立っていました。売りたい人、買いたい人が一堂に集まるのです。車も充分にない昭和30年代、きっと牛も人も歩いて集まったことでしょう。


本とは全然関係ない話になりましたが、著者がいい思い出を持って東京へ帰ったことがよかったと思いました。

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統一テスト、本当に必要?

2022年01月29日 | 日記

久しぶりに以前のブログに戻ったので昔の写真見つけた。

この写真撮って別れた後、某男性、記念にクスノキの周りの車廻しで・・・以下略。

後日本人が白状。やんちゃもほどほどに。


以前はセンター試験、その前もなんか名前が付いていたように思うけど、要するに国が大学入試に、問題を出すことで介入し始めたのは、30年以上も前のことではなかったかしら。

私が受験した昭和40年代の初めは、各大学個別のテストだけ。私大は科目は3つ程度。

もう時効なので言ってもいいでしょうが、早稲田だと私の場合、英語、国語、日本史の三科目。午後三時過ぎには終わった。それから東海道本線、山陽本線、ご丁寧に呉線経由で夜行列車、急行安芸でこの地へ来て引き続きの受験。この話は鉄道大好きの長男に受けそう。

女の子の場合、親が着いてくるのが多かったけど、うちの母親の場合、大変な旅行好きで迷惑では絶対なかったと思う。

早稲田は父親が強硬に反対して行かせてもらえなかった。「東京は女の子の住むところじゃない」って。

もっとも願書も、父親が入院手術中に反対を押し切って出したので、結果としては記念受験になりましたね。半世紀以上前の遠い昔話です。

大学構内で、私は生まれて初めて、ミニの真っ赤なコートにロングブーツ、ロングヘア―の同世代の女の子を見たのです。


話がそれました。

導入の目的は、入試に難問奇問が多くて正しい学力が測れないとか、そんな理由だったと思う。国は、ゆくゆくは全国の統一テストへだけに移行させるつもりだったのかもしれませんが、愚考するに、入試制度をいたずらに複雑にしてないでしょうか。また内容は難しくないけれど、量が多くてそれに合わせた対策が必要と聞きました。こちらも大変です。

難関大学は、統一テストはざっとふるいにかけるくらいに考えていて、二次試験で本当の学力を試すつもりらしい。私の類推ですが。

難問奇問、いいじゃないですか。入試問題はどんな学生が欲しいかという各大学の自己表現。近年、手間のかかる入試問題の作成と事務関係を省略するために、統一テストを個別入試の代わりにする大学もあるようですが、それは自ら大学の個性を放棄する行為に私には思えるのですが。

一月半ばの雪の多い時期、全国一斉の時刻に始めるのは綱渡り的危うさがあると思う。近年は英語のヒァリングも。どこかで機器が不調でも、会場の外で騒音がして聞こえにくくても大変です。また民間の英語検定を導入しようとしたこともありましたね。クンクン、なんか巨大な利権の匂い。

阪神淡路大震災はセンター試験の翌日、もし一日早ければ、大変な混乱になっていたと思う。


まあ、それやこれやで若い受験生に過度の負担はいかがなものかと、ばあちゃんは愚考するわけです。

息子三人育てて思うことは、勉強する子は言わなくてもするし、しない子はいくら言ってもしない。しないことにアイデンティティを掛けるくらいに。勉強はしないけど、試験の打ち上げはクラスでしっかりやってましたね。やれやれ。

勉強させたがる私と、言っても無駄、本人の自覚を待つと言う夫との間で、子供そっちのけでしばしば揉めましたね。今となれば遠い景色ですが。

子供の勉強、入試では親もつい力が入る。それはまさしく親なるが故に。

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暖かい一日

2022年01月28日 | 日記

日差しが日ごとに春めいて、立春までもうすぐ。

辺りは明るく、木々の芽も少しずつ大きくなるこの季節が、私は好きです。

そう、立春のころ。

子供のころは、旧正(きゅうしよう)と大人たちが言って、もう一度餅つきしたりしていましたね。お餅は昔はもう、うんとついて、北座敷中に並べ、3月ころまで食べていたけど、最後はカビが生えて、それを包丁でこさげるのは祖母の役目。

梅の木の根元の水仙、鶏、牛、ある時期まで羊もいた。羊は業者さんが来て毛を刈り、毛糸や服地に加工して持って来る。もちろん加工賃は払ったと思うけど、地産地消、昭和時代前半には各地に小規模な繊維業があったことでしょう。

暖かいので、午後から銀行の振込一件、歩いて整形外科まで行き、あとは書店に寄る。

今年最初のアイス。だってコート着て歩くと暑かったんですう~と言い訳。

近所に三軒目のコンビニができて、これでセブン、ファミマ、ローソンがいずれも徒歩数分以内に揃い踏み。わざわざスーパーまで行っておやつ一つ買うまでもない時にはついコンビニで。

行けませんねぇ。年取って自制心も緩みがち。

でも冷たくておいしかった。


午前中は申告の下準備。

昼休みに帰った夫に、謎の振込数件について聞く。あちらも嫌かもしれないけれど、私だってすっきりしないのは嫌。でも、とことん追求しない。経費の計上漏れはもう知らんがな。

ああ、いつまでこんなとこするのかなあ。何年かはわからないけど、もうあれこれ言うのは避けたいところ。人生の残された時間、今までほど長くはない。心躍るような日はそうないと思うけど、無事なのが何より。一日を振り返って、今日も何もなかったなあと思う日がありがたいのだと、まるで年寄り。年寄りですけど。


夫のマフラーがくたびれているので、「織ってもいいよ。チャコールグレーにオフホワイトに、差し色は黄色か緑・・・」などとお伺い立てると、「要らん」と、おやまあ。

そう言えば習い始めの10年くらい前、嫁ちゃんにどちらかいい方選んでとマフラー見せたら、散々迷って一つ持って帰ったけど、『どっちも要らないんだけど』という顔してたと思うのは私の気のせい?

頑張って少しいいものをと思っています。

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マフラーの房を撚る

2022年01月27日 | 機織り

昨日織り上がったマフラーの房の始末をします。

3本ずつ2組取って回します。

一つにまとめて逆方向に回します。

髪の毛を撚る道具、乾電池で動きます。

本当の道具は手動式で高価。これで代用です。

結構時間がかかります。

もう少し細い方がよかったかな。。。。


統一テスト?の問題漏洩が問題になっている。ハイテク時代の入試、何かと大変です。

私の場合、受験はもう50年以上前ですが、まさに昔日の感。

高校の近くに大学があり、友達と土曜日の午後、願書を持参した。その頃は手渡しもありの時代、事務室は閉まっていて、当直室に回ると、若い事務員♂がコタツに入っていた。来意を告げると、ラクダ色の股引姿でコタツから出て来て受け取ってくれた。ズボンは皴になるので脱いでいたんだと思う。ちょっときまり悪そうにしていた。

少しずつ春の日差しになった、ちょうど今頃だったのかもしれない。

結局私は受験しなかったけど、友達はそこへ進学したので、願書は無事受け付けてもらったらしい。

その同じ大学で、私大の地方試験を受けていたら試験官がいきなり、「**さんと違うんな?」と聞かれて焦った。顔を見上げても全然知らない人。戸惑っているとさらに「お母さん、丈夫なんな?」と聞かれる。焦った。

あとで聞くと、その大学に勤めていた母の従弟とのこと。しかし、試験会場で受験生にいきなり話しかけるのはやめてもらいたいもんだ。母の一族らしいと、弟と笑った。

この話、前のブログには書いたことあるのですが、また書いてみます。

二つとものんびりした話ということで。何しろ太平洋戦争に負けて22年しかたってない戦後の続きの時代でした。

今回のことも、成績が上がらず焦ったのが原因だとか。一生が決まるかもしれない受験、誰しも少しずつ舞い上がって、たまにはとんでもないことをする人も出るんですよね。してはいけないことなので擁護は出来ませんが。

昔、娘の代わりに女装して女子大受けたお父さんがいて、周りの受験生がざわざわ、やがてバレたのですが、その頃は受験票に写真がなかったのかな。

女装して受ける。。。子供のことになるとまともな判断力がなくなるのは親の常。私も似たようなことしてきたかもしれないので、(男装して受験はしなかったけど)、とても笑えません。いえいえ、ちょっとは、いえ、かなり笑ったけど。

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タータン、終わる

2022年01月26日 | 機織り

今回は柄があるので退屈せずに終わりました。

最後に平織りを入れてほつれ止め。

ジョキ、ジョキ。糸を切って織り機から外します。

ああ、広い和風の家一軒借りて、織機を何台か置いていろんなもの織ってみたい。見果てぬ夢ですが。

とりあえずは糸や織り機周りの整理整頓。

毛糸の色数が限られているのでこんな感じ。

でも出来上がるとそれなりのインパクトがある・・・かな。

細部。

ウール100%中細で。ハマナカ ホームメイドピュアウール<中細>

織りやすくてお手頃値段でいい糸でした。出来上がりもふわふわ。

緑のもっと濃い色があればよかったのですが。

で、展示にはまだまだ作品が少ないので昔織ったのを出してみました。

教室に通っていた10年くらい前のもの。

懐かしい。

経糸は甘い撚り、ミックスのウール。いい糸です。友達に貰いました。

緯糸はグレー。

今回のタータンと全く同じ織り方=綾織りですが、糸が違うのと無地なので、全く違う織り方に見えます。

機織りはなかなかに奥が深く幅も広いので、ここでいいとやり切れることはなさそうです。その前に我が寿命が尽きるはずだけど、元気なうちは楽しみましょう。


毛皮の襟巻なくしたので映画館と広電に電話。最後は食事した店へも行ったけどなかった。残念。使いやすかったのに。

横川まで行ったついでに個人商店でお買い物。

カラフルなマスク10枚入り。顔の色に近いのを選んでみた。

ついでに西区区民文化センターの入ったビルのさをり織り教室へ行き、糸を色々見せてもらった。

品ぞろえが充実。教室の織り機は既に糸を張っていて、好きな糸で平織りをするだけ。体験は糸代と千円。カラフルでポップな作品いろいろ。去年、習っていた先生に大ビニール袋に二度も糸をもらったので、あれで織ってみたい。

で、その前にヘリングボーンにグレンチェック、わが青春のアイテム。ツィード糸で織ったジャケットが流行っていた・・・あれをやってみると自分を追い込んでみる。

納税関係、ほとんど手つかず。明日から月末までダッシュで仕上げて、完成の暁にはご褒美に遊びに行く。


本日到着。結局来週になった。

三度目、夫は具合悪そうにしていた。私もきっと。前もって好きな食べ物用意して老嬢予定。老嬢・・・・って私のこと?何という変換だあ~

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タータン、あと少し

2022年01月26日 | 機織り

昨日午後10時ころ、あと20センチのところまで来ました。

全体では150㎝の予定。

タータンの配色は難しい。

一つ勉強になりました。


本日の断捨離。

浅田次郎はなぜか二冊あった。読んだの忘れてまた買って、読んだの忘れてまた読んだのかもしれない。そして二冊あることに昨日気が付いた。いやはや何とも。

こうなれば、食後すぐ、まだご飯食べてないと言い出す日も遠くはないと思われます。やれやれ。

夜のピクニック、面白かった。確かテレビドラマにもなったはず。夜通しのウォーキングが、学校行事。青春群像いろいろ。

井上氏も小森氏ももう故人になられたはず。小森氏はまだご存命?

オークションに出しますので、よかったらどうぞ。


家が二つになったので、私なら実家をきれいにしてそこに居るけどねと、言ってみる。

夫はお皿、電気毛布など、実家から持って帰って使っている。

大量の味の素や化学調味料、昔はよく進物にしていたが残っていた。それも持ち帰り、味噌汁に入れたり、おかずに振りかけている。

立場が逆でもたぶん同じことしていると思うけど、座面の低い椅子を買いたいと言うと、「お義母さんのを使ったらええ」と言われたのでお断りした。

知ってるよ、その椅子。茶色っぽいグレーの細かな柄が座面。一気に年寄り風になる。まあ私も立派な年寄りですが、最後の悪あがき。

本日はまあまあ暖かくて、徒歩で税務署往復。愛用していた毛皮の襟巻、紛失。明日映画館と広電に問い合わせる予定。

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超光速、冬のタータンチェック

2022年01月25日 | 機織り

昨日は張った糸の一部を入れ替えたりして手間取った。

きょうからスタート。平織りで織り目を整えます。

昨日は合計で5時間くらい織り、75㎝まで来ました。

あと2日くらいの作業量でしようか。

細いところをグレーからこげ茶に替えるのに手間取りました。


織り方

4枚綜絖の順通し。向こうから順番に。

踏み木と綜絖のタイアップはこんな感じ。

両端は平織り用。今回は使いません。

踏み方は1324の繰り返し。

マフラーにするつもりで、なるだけ柔らかく織っています。

中細のウール100%の毛糸。ネットで購入。

あと二日くらいで完成予定。

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「夜蜘蛛」田中慎弥

2022年01月23日 | 読書

ちょうど10年前の作品。

作家の私は、新聞に自殺についての短文を書いた。それを読んだ読者から、自分の体験が小説にならないかと、長い手紙をもらう。

この作品はその手紙を採録した体裁。もちろんそれも作家の創作ではあるけれど、こういう構造だと、作家の生の声が出ていないと見せかけて、より自由に書けることもありそうですが、下手すると煩雑になることも。

それをこの作品は、改行のほとんどない迫りくるような文体でうまく切り抜けている印象。

まず題名の夜蜘蛛ですが、夜に出る蜘蛛は縁起が悪いので、たとえ親の顔に似ていても殺さなければならないという言い伝えが紹介される。

親の顔に似た・・・蜘蛛の背中の紋様・・・そこでまず背中がゾワゾワ)))))

私はこんな迷信知らないぞ。

私の祖父は無駄な殺生をとても嫌った人で、こんな話、祖父にしたら叱られたかも。


あらすじ。

手紙を書いてきた私の父親は昭和が終わり、天皇の大喪の儀の後、介護施設で自殺をする。父親は中国戦線のでかろうじて生き残り、戦後は父子家庭になりながらも姉と私を育ててくれた。時折話す戦争の話は子供の耳には、同時に話してくれる忠臣蔵や義経の話、日露戦争とまぜこぜになり、小学生だった私はつい「お父ちゃんは乃木大将とおんなじだね」と父親を英雄視してしまう。

父親はそれから変わったと私は思う。夜中にうなされたりするようになった。。。。

長い年月が経ち、年取った父親は私の家で面倒見ることになった。次第に衰えていく父親。粗相もするようになり、紙おしめを当てる。徘徊もある。このあたりの描写は微に入り、細に渡り、迫力がある。嫌うでもなく、淡々と。

やがて、父親は足の不調がもとで壊死した部分を切り取ることになり、姉が介護を引き受けることになる。父親は施設に入り、昭和の終わりを見届けて自殺する。遺書が残されていて・・・私は融けない謎のようなその言葉に困惑する。。。。


こうしてあらすじを辿っても、この作品の肌触りを説明したことにはならない。この独特のねばりつくような文体で、人間の存在の不思議さ、抱える闇の深さ、老いて衰えていくとき、人はどこまで行けば人でなくなるのか、など、いろいろに考えさせられた。というか、もっと心の奥に響いてくるような、この気持ちの悪さ。とでも言おうか。

独特の作家だと思った。好き嫌いは分かれると思うけれど、才能は認めた上で、読むのは気力が要ると思った。また時間をおいて別の作品も、縁があれば読みたいと思います。

この人も先日読んだ「作家の値うち」で高評価だったので手に取りました。

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青空、ひとりきり

2022年01月22日 | 日記

楽しいことなら何でもやりたい。

マンションとコンビニ。見慣れてしまったけど。。。。

笑える場所ならどこへでも行く

広島都市高速。この付近は、日清戦争直前に完成した駅と港を結ぶ鉄道路線の跡地。

何かを大切にしていたいけど心でもなく体でもない。

きらめくような想い出でもない。

ホテルの向こうに宮島。

青空 あの日の青空 ひとりきり。

海辺のライブハウス。

悲しい人とは会いたくもない。

涙の言葉で濡れたくもない。

倉庫いろいろ。

青空 あの日の青空 ひとりきり。

冷蔵倉庫。広島冷蔵から日本冷蔵へ。吸収合併?

冬空が澄んで気持ちのいい日でした。


9時半ころ、長男が用事で来る。

「コーヒー飲む?」

「いらん」

「お茶は?」

「飲む」

お茶飲みながら買い置きのおやつを食べていました。

このあと職場へ行くそうで。

ばあちゃんのお稽古バッグみたいなカバン持ってました。

「気を付けて帰るんよ」

職場へは自転車通勤。高校生の時のように立ち漕ぎで去っていました。

膝が痛いのに山に登ったらいけないと注意されました。老いては子に従うべきところですが、なかなか素直になれません。

「脂太りに~ジョイ!!」と歌いながら去る息子45歳。

台所洗剤で脂が取れるくらいなら誰も苦労しないわけで。(;´д`)トホホ

 

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地震だあ~

2022年01月22日 | 日記

 

テレビを見ていたら、スマホから地震速報が流れた。

しばらくすると揺れが。

揺れる玄関の明かり。

大きな地震のようでした。

広島は3のようです。

寝ていた夫が飛び起きてきました。大きかった~と言いますが、先日、北淡震災記念公園で震度7を体験していたので、そう大きな感じはしませんでしたが、各地、被害が広がらないよう願っています。

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映画「香川一区」を見る。

2022年01月21日 | お出かけ

本日封切り。横川シネマで。

客席は平日で、20人弱というところ。


昨年秋の衆議員選挙で、香川一区は自民党の平井卓也、立民の小川淳也、他に維新の会の候補も出て三つ巴の戦い。

小川氏は一勝五敗、比例区で復活当選を繰り返してきたけれど、昨年は2万票の差をつけて当選、その後結果として敗れるも代表選にも出馬した。

その選挙戦を追ったドキュメンタリー映画。熱い戦いがなかなかに面白かったです。

平井氏は地元で新聞社とテレビ局を持つ一族の人で、祖父、父に続く世襲議員。一方の小川氏はごく普通の家、お母さんは美容師、素敵な家に住み、しっかりものの様子が映像でよく分かりました。

香川という所は、全国から人が集まるような大都市ではないけれど、人が雪崩を打って居なくなる辺境でもない。気候は温暖、人は真面目、地縁血縁がまだ充分に生きている土地、と私は思っているのですが、多くの地方都市も似たり寄ったりでしょう。その意味では、選挙戦のあれこれは普遍性を持つものでもあると思う。

失礼だけどお二人の容貌がまたはまっていて、古いタイプの政治家の平井氏が、カジュアルな選挙戦をする小川氏に次第に追い詰められていくところも見どころ。見る方はそこにカタルシスを感じる。

私の出身地なので、私の狭い見聞から言いますと、血中選挙濃度がこちらの人よりも高いと感じます。選挙の際の判断基準は人柄でもなく、ましてや政見、政策でもなく、いかに自分たちに利益になることをしてくれるかという期待値から。それが地縁血縁、そして仕事縁という社会に張り巡らされたネットワークを通じて投票行動として現れる。

選挙がネットワークを頼りにし、ネットワークは選挙を通じて補強される。そうした従来の選挙運動に、小川氏はあえてカジュアルさを前面に出し、なんか楽しそうと集まって来た人にも支えられて選挙戦を戦う。

とても映画になりやすい選挙区だと思った。

私が選挙民ならやはり小川氏に入れるかな。それは小川氏を全面的に支持するのではなく、平井氏はもういいでしょという思いから。

小川氏が少子化や貧困問題、あるいは憲法改正についてどんな考えなのかは映画の中では明らかにされていなかった。それ扱うと深みにはまるので、ひたすら小川氏のひたむきさに焦点を当てた印象。

小川氏に注文があるとしたら、もの言う時、いつもうつむき加減で自信なさそう。顔を正面に向けて正々堂々と。元々美形なので、くしゃくしゃの泣き顔ではなく、落ち着いた柔和な表情も見せてほしい。

これからもしっかり勉強していただいて、日本のために働いてください。


横川シネマは我が家からは遠い。広島の市街地が三角形とすると、頂点に、我が家は右下の底辺辺りに。路面電車で40分くらいかかった。久しぶりにのんびり電車に乗るのもなかなか良かったのですが。

昼前なので、横川の昭和感満載の商店街の、これまたレトロな店でラーメン食べた。メニューはうどん、ラーメン、お寿司各種。女性が一人でしていて、大きな寿司桶ですし飯作っていた。

ラーメンはスープがしっかりしていて、これまた懐かしき昭和のラーメン。おいしかった。横川駅周辺のレトロな商店街に飲食店街、その外れの山陽本線のレール近くに映画館はあります。館主は目利き、シネマコンプレックスには間違ってもかからない渋い映画がかかるので、平日にふらりと一人で見に行きます。

本日の映画は日本の選挙の断面を切り取って、なかなかに秀逸でありました。明日は監督の舞台挨拶があるそうです。


追記 平井氏は高松第一高等学校から上智大学外国語学部英語学科へ進み、小川氏は高松高校から東大法学部へ行ったとか。Wikipediaより。

我が実家地方では、大学よりも高校が大切。私の叔母の一人は、高松高校の前身の一つ、旧制高松高等女学校へ、小学校の同学年からたった一人進学したのを一生の誇りにしていた人でした。

中年に差し掛かって仲人していた時も、「よその土地の大学や短大はええか悪いか分からん、香川県では高松高校出とったら、女の子の縁談は間違いない」と、誠に分かりやすいことを言っておりました。今の時代、あからさまに学歴差別を口にすることもないでしょうが、香川の人は高松高校を郷土の誉れと思い信頼しているようで、それも今回勝利の一つの影の要因かなと愚考するわけです。

私ですか、一応高松高校ですが(成績は地味)、広島県人の夫及びその親族にはその神通力も通じ難し。残念無念。

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「代筆屋」 辻仁成

2022年01月20日 | 読書

昨年読んだ「作家の値うち」では辻仁成氏が(私が考えている以上に)高得点だったので、読んでみた。この作家は、今はなきすばる文学賞でデビューし、のちに芥川賞も取り、以後コンスタントに作品を発表している。

私生活では歌手で女優の中山美穂さんと結婚、離婚し、一人息子さんとパリで生活していて、パリの情報もいろいろなメディアで発信している人。

あらすじ。

駆け出し作家だったころの私は、行きつけの喫茶店のマスターの紹介で、ひょんなことから人の手紙の代筆をアルバイトにしていたことがある。それを思い出して、シチュエーションは変えて紹介してみる・・・が導入部。

最近の若い人は私信としての手紙を書くのは稀と思うけど、逆に言うと一字ずつ手書きの手紙は、文や字の巧拙を越えて、相手に与えるインパクトは昔以上だと思う。その「重さ」が面倒だとしても、うまくいったとき効果は絶大、その後の人生を変える力もある。

それを前提としてこの作品を読んでみたら、やはりメールやラインでは表せない細かな心のひだ、そして面と向かっては気恥ずかしい決め台詞も、手紙に載せると総違和感もない・・・そのように描いた作品だと思った。

それはやはり手紙の独壇場かもしれない。便箋と封筒を選び、筆記具に気を遣い、書いて封をして切手を貼ってポストへ落とす一連の動作が、今の時代となってはあたかも伝統芸能の所作のようにも思ってしまう。

相手に手紙が届き、返事を待つ間の心の揺れ。来れば嬉しいけれど、来なければ待つ。いつまで待つ・・・そうやって待ちくたびれて尻切れトンボになった関係の一つや二つ、私たち世代の方なら身に覚えがあることでしょう。

通信手段は手紙、はがき、一家に一台の固定電話、電報しかなかった時代。恋愛もまた様式にのっとった奥ゆかしいものだったのかもしれない。今の若い人の恋愛事情が分からないので。

いえいえ、私の感想などはどうでもよろしい。

「作家の値うち」の中では77点と及第点。

小さな出版社に頼まれ、辻氏は気負わずに書いた印象。短編集なのでどこからでも楽に読める。悪い人が出てこない。悪く見えても、手紙を書いてもらうために自分の思いを口に出す時点で、気持ちの整理がつき、次の一歩が踏み出せている。

すごく前向きの作品と思った。そこがまあ、長く生きてきたばあちゃんには物足りない面もあるのですが。


尋ね猫

人見知りで臆病な大型猫、ポン太くんが二週間ほど前に家出したそうです。

知り合いではないのですが、近所に住む人がこのビラを持って来られました。

ボン太くん、この寒空の下、どこでどうしてる?

おうちの人がとっても心配しているので、早く帰りましょう。

それとも迷っている時に誰かに保護されて、そこのおうちの子になったのかな。

飼い主にとっては大切な家族。早く出てくるといいですね。

「野良猫が集まるところ、知りませんか」

「最近はエサをやらなくなって、猫も減りましたよ。うちの庭には時々糞をしに来る猫がいますけど、気を付けて見てみます」という会話を昨日はしました。

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「街場の天皇論」 内田樹

2022年01月19日 | 読書

昨年、あるお嬢ちゃんの結婚が国論を二分するほどの騒ぎとなり、マスコミが提供する情報は手軽な話題として消費つくされ、改めて「天皇制」って何?これからこの制度はどうなって行く?と考えた向きも多かったことでしょう。

私の周りでも、初めは軽い世間話の延長のつもりが、意見の違いが思わず露呈してしまい、気まずい雰囲気になったことも二度、三度。

あの方たちは決して雲の上の人ではありません。もしかしたら隣人よりも身近に感じる。それが例え錯覚にしても。


本書は2016年、前の天皇が退位したいと述べたことを直接のきっかけとして、各媒体に発表したものを集めた本。それぞれの文章は短くてエッセィという体裁だけど、内容はかなり歯ごたえがあり、いろいろと考えさせられた。

まず著者は「天皇のお言葉」をきっかけとして、日本に天皇制は必要な制度、聖的権威と現実の権力(言い方はちょっと違っていたかもしれない)の二つの中心があることで日本は安定する。そのことに気が付いて天皇主義者になったと表明する。

前の天皇の在位中は、災害が多かった。被災地に出向き、体育館に避難している人たちに膝をついて励ます姿が、私自身記憶に残っている。話しかけられて感極まって涙ぐむ映像もたくさん見た。

著者は、癒し、祈る天皇を見てこれからも必要な制度と感じたとのこと。


これと同じご意見を、前のブログのコメントでいただいたこともある。で、私の考えですが、長い天皇制の歴史の中で、祈る姿は果たしてすべての時代を貫く普遍的なものだったのだろうかと。人は自分の見たことで判断し勝ち。国民に寄り添うという姿勢もおそらくは時代の要請で、ご本人はそこにご自分の存在意義を見出されたのかなと想像するのです。

いつの時代もこの制度は脆弱で、危うい。権力と距離を取りつつ、助けられつつ、この日本的制度が続いてきた。

皇帝とか王とか、たいていの国で歴史のどこかの段階で生まれてきたと想像するのですが、日本の場合は古代のヤマト政権が、中国と交流する過程で、中国の制度に習って日本風にアレンジもして生まれた制度。それが天皇制。そんな理解でいいのかな。

権力に取り込まれ、祭り上げられ、利用され・・・それを天皇家の人々がいちばん警戒しているのかなと思います。紆余曲折はありつつも、しばらくは続いて行く制度かなと思います。彼のマッカーサーも日本統治のためには必要としたのですから。


今現実にある制度だからうまく運用しよう。内田氏の意見は簡単に言うとそうなんですが、私個人としてはまた違った意見です。皇族には人権なんかなくていい、自分を犠牲にして国民に寄り添うから尊いという意見もありそうですが、私は身分制の残滓のようなものを残しても誰も幸せにならない。そう思っています。

何かの間違いでまた先の戦争のようなことになりかねない。それを懸念しています。


天皇制の考え方は本当に人それぞれ。結構関心も深い。そこにその人の世界観が集約的に表れる。知識人と呼ばれる人たちが、そこのところに触れたがらないのも、分かる気がします。一度足を踏み入れると、そこは無数の意見が混とんと渦巻く嵐の海のようなもの。整理するに難く抜け出すのは容易ではないし、あらぬ方向から攻撃されることも。その空恐ろしさも含めて天皇制の空間。

というようなことを考えました。

この本は先日の旅行中、読む本がなくなる不安から鳴門市内の書店で買う。

シャッターを閉めた夜の商店街で、道に明かりがこぼれていたのでつい立ち寄り、他のお客さんいなくて、つい買った一冊。

地方の個人経営の書店には、筋のいい本をよく置いてある。オーナーは二代目、三代目という感じ?

本はもちろんどこでも売れないのだけど、教科書や学習参考書で学校がお得意さん。それで経営が成り立っているのが古くからの書店の強み・・・と勝手に想像しました。

落ち着いた書店がある町はきっといい町に違いない。鳴門はドイツ兵の捕虜収容所があり、早くからドイツ、ヨーロッパの文化が根付いた土地でもあります。

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