日記

日々のあれこれ

長い休み2

2006年08月31日 | 暮らし

昨夜10時頃、息子の友達、Nくんが遊ぼうと家の前まで来た。小六のときの仲良しで、昨年、息子が車雑誌のビデオに出演したのがきっかけで連絡をもらったとか。

ブロン、ブロンと派手なエンジン音、低い車高。息子と同じ種族である。
「お久し振りです」と寄って来たNくんに「まあ、大きくなって~」と私。

そうそう、一緒に遠くの私立中学を受けたんだよね。当日はN君のお母さんに車で送ってもらって、Nくんは漫画とウォークマン持参の受験だったね。
二人とも不合格、それから別々の学校に進み昨夜は11年ぶりの再会。

「息子さん、お借りします」と言って車に乗り込み、車はあっという間に居なくなった。

息子の画像拝借。
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長い夏休み

2006年08月30日 | 暮らし
息子が私のパソコンに張り付いている。今流行のmixiをやっているらしい。私も入れてと頼んだが「イヤッ、体重制限があるのでお母さんはダメッ」と相手にしてもらえない。

私が帰宅すると、猛烈な速さのブラインドタッチでレスをつけたりしている。見たいなあ。でも見れない。見るの恐いなあ。知らない息子の姿が出てきそうで。

京は夫の仕事場の窓枠をペンでを塗ってもらって助かった。車に色を塗るのはお手のもの「塗装の魔術師」と呼ばれているらしい。友達の古い車に建材のペンキを塗りヤフオクで15万円で売ったとか。家でも手際よく塗っていた。

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気分は地中海?

2006年08月29日 | 暮らし

最近作った作品です。
気分は地中海。
転写紙(シール)と金は絵の具&マーカーで。
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半夏生(ハンゲショウ)

2006年08月26日 | 暮らし

ペンキ塗り

今日は午後から三男と二人で医院の外の、窓周りの塗り直しをした。
西向きなので窓が奥まっていて其の周りのコンクリートの部分の塗装。
夫は所用で出かけていた。

塗装は養生が肝心、塗るのは最後の仕上げ。大変だったが、何とか完成。
三男は私と違ってひょろ長いのでこんなとき便利。

暑い中お疲れさん!!

写真は半夏生 ドクダミの仲間。白い葉が涼しげ。8/20吾妻山

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2006年08月25日 | 暮らし

秋の花だが、山では夏頃から咲いている。
花のつき方でいろいろ種類は分かれるらしいが、ヤマハギでいいのだろうか。

朝晩少しずつ涼しくなった。
三男は長い長い夏休み、家の手伝いをさせたり、話をしたり。。。ゆるゆると日が過ぎていく。

周りに、親が離婚した人がけっこう多いと話していた。本人には何の責任もなくてもその影響は甚大である。でもみんなたくましくやっているそうで。
こんな話が出来るのも息子がそれだけ大人になったと言うこと?

昨日の夕方、父親の付き添いで服を買いに行った。社会人になるまであと一踏ん張り。
頑張れ、お父さん!!
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金水引

2006年08月24日 | 暮らし
夏の弔ひ  立原道造

逝いた私の時たちが
私の心を金(きん)にした 傷つかぬやう傷は早く愎るやうにと
昨日と明日との間には
ふかい紺青の溝がひかれて過ぎてゐる

投げて捨てたのは
涙のしみの目立つ小さい紙のきれはしだつた
泡立つ白い波のなかに 或る夕べ
何もがすべて消えてしまつた! 筋書どほりに

それから 私は旅人になり いくつも過ぎた
月の光にてらされた岬々の村々を
暑い 涸いた野を

おぼえてゐたら! 私はもう一度かへりたい
どこか? あの場所へ(あの記憶がある
私が待ち それを しづかに諦めた――)

三男が、夜中の二時頃、自分達の世代が戦争責任を問われても困ると言い出した。

母の返答。

あなた達には戦争責任はない。戦争を始めた人に責任がある。
それは戦争を止めることの出来た人である。東京裁判は天皇制を続けさせるのが大前提。
日本を混乱なく戦後の世界体制に組み込むため、連合国側はまだまだ必要な制度と考えたのだろう。

しかしながら、過去に何が起こりこれからどうすべきかは若い世代も是非考える必要がある。
あんたの大叔父はニューギニヤで餓死した。何百キロを敗走し、二千人の部隊がたった十七人になる過酷な戦場でやっと友軍地区に辿り着いたが、生きて日本へ帰ることは叶わなかった。22歳の若者が、寂しく死んでいったことを憶えていて欲しい。

何の心配もなく生活し、勉強できることに感謝し、平和でみんなが幸せになる世の中であるよう若い人に頑張って欲しいと。

深く納得するようであつたが、その後、生活態度が変わる兆しなし。
父親が屋上の手摺の塗装をさせたが、雑な作業だと呆れていた。
やり直しですね。戦争中の先人の苦労を思えば何のこれきし。

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ギボウシ

2006年08月23日 | 暮らし

晩き日の夕べに   立原道造

大きな大きなめぐりが用意されてゐるが
だれにもそれとは気づかれない
空にも 雲にも うつろふ花らにも
もう心はひかれ誘はれなくなつた

夕やみの淡い色に身を沈めても
それがこころよさとはもう言はない
啼いてすぎる小鳥の一日も
とほい物語と唄を教へるばかり

しるべもなくて来た道に
道のほとりに なにをならつて
私らは立ちつくすのであらう

私らの夢はどこにめぐるのであらう
ひそかに しかしいたいたしく
その日も あの日も賢いしづかさに?
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夏の高原を彩るギボウシ。地味な色、風に頼りなくそよぐさま。
花を縫って歩くうち、どこまでも歩いて、やがて何を探していたかさえ忘れてしまったあてどなさ。

いつか再び会うことがあれば、きのうの続きのように話をする。
そう思いながら過ごした長い年月。

時間は過ぎていくのではなく、積み重なるもの。その先に豊穣はあるのだろうか。
夏の終わり。高原の花と風。

ギボウシ 8/20 吾妻山
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ペンダント

2006年08月22日 | 暮らし
絵付けをしたペンダントです。
マイセン風の花は転写紙で。柄違いで二つ作ってみました。

今日は午後から天候急変。出かけてジュンク堂の喫茶室で山を見ながらコーヒーを飲んで一休み。夏も終わる。

きょう小阪修平「思想としての全共闘世代」を読了。
時あたかもベトナム戦争の激しい頃、反戦の声が全国で大きくなった頃でもあった。
大学改革の運動は頓挫してしまったが、あの時代の空気を吸った者として、もう一度あの経験を考え直そうというのが著者の主張である。

自分自身にひきつければ、反戦の気持ちはずっと持ち続けてきた。個人の力で出来ることはほとんどないが、ひとたび戦争になるとどんな酷い目にあうか、それをいつも考えていきたいと思う。

昨今、国への帰属意識を生きる支えにする風潮があるが、いざとなると国は個人を守らない。国が守るのはせいぜい領土だけ。我々の親の世代は関東軍や沖縄戦でそのことを骨身にしみたはずなのに。。。
不勉強が一番いけないと思う。物事を知り、深く考えないと、単純で空疎なスローガンに同調しがち。

私は個人的には皇室もなくていいと思っている。皇族の人に個人的な思いは何もないが、あの人たちを身分制度のくびきから解放しない限り、日本は近代以前の部分を残した国ではないだろうか。

被爆証言の中で被爆後の広島の街を歩きながら「戦争は嫌だ。ハエやウジにまみれて死ぬのは嫌だ。天皇陛下も要らない」と男泣きに泣く叔父さんの話(ノー・モア・ヒロシマ第2集「黒焦げで帰ってきた弟」)に胸をえぐられる。

戦後の日本はそこから出発したのではないだろうか。
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野菜市にて

2006年08月21日 | 暮らし

県北を20年くらい前旅行したときはコンビニなどは皆無。吾妻山へ行く途中によろずやが一軒だけあって、肉を冷凍したまま売っているのに驚いたことが。

今は道の駅や野菜市などが増え、旅行しても買い物が出来て楽しい。
ある野菜市に大きな牛の銅像が。きっと肉牛の品評会で全国優勝か何かをしたのだろう。
肩が張っていかつい牛である。後ろの景色がまたよい。

昨夜最終の新幹線で三男帰省。二週間くらいいるそうな。
学部のときと打って変わった過ごし方。勉強をしている姿は一切見かけない。
えんかいな?(母心配)
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釣船草

2006年08月20日 | 暮らし

私はこの花が好きである。今ごろから咲き始める秋を告げる花。
花は一本の花柄でぶら下がっていて、風に揺れ涼しそう。
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小鬼百合

2006年08月20日 | 暮らし

きょうは植物観察のツアーに行った。庄原市内の巨樹をみて吾妻山の草原に。
ここは昔たたら製鉄をし、その後は放牧もしていたので草原が広がっている。

20年くらい前、貸し別荘に泊まり家族で(長男は高校野球を見るため残る)吾妻山へ登ったがきょうは登山はなし。
きょうは麓で山野草をたくさん見た。

別荘も今はなく、牛も全然見かけなかった。あの時は三男は長いズボンがなくてパジャマのズボンにスリッパという格好。登り始めるとすぐ「おんぶ、おんぶ」とせがみ、とうとう夫が山頂まで担ぎ上げた。

今日は殆ど人影がない。子供づれの人はオートキャンプなどをするのだろうか。
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空蝉

2006年08月19日 | 暮らし
 
庭の楠でセミが羽化していた。クマゼミだと思う。
南方系のセミで、四国での子供時代、見たことがなかった。
というか広大な水田地帯の真中、木は庭木のみ、昆虫は蛾にカミキリムシ、カナブンくらい。一番よく農薬を使っていた時代ではなかったかしら。まさに「沈黙の春」

セミもバッタも広島の街中の方が却って多い。この歳で、庭でセミが羽化するのが単純に嬉しい。

光源氏にかき口説かれて、夏の薄い衣だけをその手に残してするりと逃げる空蝉。
逃げられれば追いかけたくなるのが人の情。拒否してるのかそそってるのか・・・全く。
きゃはーー堪らんなあ。

と、そんな余情から遠く隔たった時代になっても、セミだけは律儀に同じことを繰り返す。

最近の夫はスピーカー作りに忙しい。いい趣味である。家にいるし、お金はかからないし。二か月に一度仲間で見せ合う。それもけっこう。
スピーカーなら材料費だって知れているから暇つぶしにはもってこい。
でもくれぐれも手に怪我しないように頼みます。
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伊予風露

2006年08月18日 | 暮らし

今年の夏は遠出をしなかったので、今になってどこか遠くへ行きたくなった。
一番の理想は、母親の実家の田舎家。しかしあの大きくて涼しい家はもうない。
30年近く行く機会もなく、今は従兄が今風の家に建て替えたらしい。

ということで今度広島県の巨樹と山野草を巡るツアーに参加する。
人に連れられて歩くのは大嫌いな性格だが、行く先を調べて自分で運転して、高速代にガソリン代と計算するとたまにはいいかなと・・・・

田舎に住みたいなと時々思うが、実際に家を買うのは大変。一年くらい貸してくれる人はいないかしら。
広い座敷で風に吹かれて文庫本を読む。寝たいときに寝て、起きたい時に起きる。
したいことをして、したくないことはしない。
いいなあ。どなたか、田舎の空家、貸してください。家は広くなくていいけど、庭は広い方がいいです。・・・なんて見果てぬ夢か。

印刷所から貰ってきた地図のファイルが開かない。ショボ~~ン。さて次ぎの一手はどうしますか。

イヨフウロ@筒上山 葉が少し紅葉しています。
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アヤメ

2006年08月17日 | 暮らし

この間頂いた本、一冊目をやっと読了。面白かった。猪など山の動物を獲る話。
教わった頃、先生は二十台半ば。それでも下宿の部屋に入り切れないほどの本を持っておられた。
何で知っているかと言うと、卒業直後、K君とM君に誘われて先生の下宿にお邪魔したからである。
師の恩

このことを後で仲のよかったO君に話したら「何で呼んでくれなかった」と責められた。
O君とは二年ほど付き合って別れたけれど、先生のことを思い出すと、同じクラスだったあの三人の個性的な男の子を思い出す。

古いアルバムをめくるように、時々こうして昔を思い出すととても豊かな気持ちになれる。歳取るって悪くないなあと思う。
野生のアヤメ 深入山で


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大南蛮煙管(オオナンバンギセル)

2006年08月17日 | 暮らし
ススキは切り開いた土地に、草の次に生えてくる。古来から荒地を象徴する植物だった。
ススキが生えるようになると荒廃も年季が入ってくる。

源氏物語絵巻では、荒れ果てた末摘花の屋敷にススキが茂り、光源氏と紫の上との別れの場面では最後に心が行き違った二人を象徴するように庭のススキが風をはらんでいつそう大きくゆれている。

ナンバンギセルはススキの根元に寄生し、宿主の地味な風貌に比べるとどこか逞しく、光合成も必要ないので花だけのちゃっかりした形である。

深入山 7/30

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団塊の世代

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