迷宮映画館

開店休業状態になっており、誠にすいません。

ヒロシマ ナガサキ

2007年08月27日 | ドキュメンタリー映画
社会の教員になって20年。歴史や政治経済などをもっぱら教えてきたが、「歴史が好きだぁ!特に世界史!」などといわれたことはほとんどない。「歴史、、、大嫌い」といわれたことは腐るほどある。

「昔のこと、勉強して何になるの?」「こんなことを勉強しても何にもならない」「戦争なんかもういい」「こういうのは勉強したくない」・・・・・。20年、毎年のように聞かされた来た言葉だ。

んでは、なぜに社会という科目が嫌いになっていくのだろうか。特に暗記物の歴史が嫌われるのはなぜ?
人間は意味のないものを覚えるのは苦手だ、生活に密着していない言葉や、数字。最近の人は、便利な携帯電話のおかげで、電話番号を覚えるのがものすごく苦手になってるそうな。そんなことはどうでもいいのだが、なので、意味のあるもの、映像が浮かぶもの、キャラクターがつけられるもの。。。。そういうものでなければ、人間は興味を示さない。関心を持たない。覚えようとしない、というよりも、そんなものは頭に入る余地がない。腐るほどの轍を踏んで、私は、さまざまな言葉に意味をこめて、興味の持てるようなものに変える。絵が見えてくるように・・・そういう努力をしてきた。

いや、「勉強しろ!!」これで皆が勉強してくれればそれで済むのだが、勉強って楽しいんだ、こうやったら人間像が浮かんでくる!!という勉強法が、なんぼか楽しくないか。そう心して、20年教壇に立ってきた。

そして、私が口をすっぱくして熱弁しても、どんだけキャラクターを膨らませてもかなわないのは映像の一こまである。真実の持つ映像の強さは、本当に「目は口ほどにものをいい」なのである。

これまで、数多くの映像を見せてきた。思いつくありとあらゆる映像だ。映画はもちろん、戦争の実写。すでに太平洋戦争アメリカ軍のフィルムは総天然色だ。第一次世界大戦から、満州事変、日中戦争、太平洋戦争。空襲に原爆投下。その後の1フィート運動の「予言」に「人間を返せ」。「ドキュメント沖縄戦」。「ラジオ・ビキニ」等々。

どれも目を背けたくなるようなものばかりだ。「あたし、どうしても見れないんです」と下ばかり見ている子もいた。ちゃんと見なさい。それが現実なんだから。でも、絶対に強制はできない。

そう、見たくないもの、目を背けたいもの、悲惨なもの、みたら気持ち悪いもの、悲劇・・・それが戦争なのだ。でももし、戦争が引き起こされてしまったら、「見たくない」と言って、下を向いてはすまないのだ。

私の授業で、ちゃんと戦争の現実をその目に見た人たちがどう受け取ったかはわからない。もう忘れたかもしれない。でも、見たはずだ。目を背けないで欲しかった。なぜに映像に残したとということが大事なのだ。ただの記録として撮ったのかもしれないが、見るほうにはちゃんとそれを受け取る責任がある。

金を出して、映画館まで出向き、この映画を見ようと思った人は絶対に目を背けてはいないだろう。それを見に行ったのだから。そういう人が多く、多くいらっしゃり、戦争とは、原爆とは、これが現実なんだとはっきりと受け止めた人が、多くいることが絶対に世界のためになる。原爆も戦争も終わっていない。

渋谷あたりの若い方々との対比を印象的に見せていたが、その演出だけは少々鼻についた。知らないことを強調させるよりも、教えるべきではないか。それじゃあ、映画的には面白くないか。


最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
こんばんは (カオリ)
2007-08-30 00:45:07
山形の上映最終日に見ました。
この現実に目を背けられたら、どんなにいいんでしょうかね。でも、それでは苦しい人生を生きていかねばならなかった人たちに申し訳ないです。

>カオリさま (sakurai)
2007-08-30 14:59:05
もう、東京に帰られたんですか。
暑い夏でしたが、さすが山形、あっという間に秋です。
昨日あたりからめっきり寒くなりました。あぁぁ、きっとまたあっという間に冬が来るんですよね。やだやだ。

「放射能ってどういうの?」と言うのを最近生徒に聞かれたことがありました。最近の若い人はやはりものを知りません。というか、知る機会が少ない。ほかに山のような知る選択肢があって、優先順位からはずいぶん置き去りにされてます。
おまけにあまりに知らないことを指摘すると「ゆとり教育の賜物だあ」とか言いはじめますからね。
ますます、責任重大だなと思いつつ、とにかく、多くの人に見てもらいたい。
知ると言うことの大切さを知ってもらいたいなあ、と強く思います。

コメントを投稿