キネ旬の文化映画部門のベスト10で、堂々一位に選ばれたので、そのタイトルはどこかで見た覚えが・・という方もおられるかもしれませんが、この映画を全国に先駆けて、当山形のフォーラムで、1月24日・25日・26日の3日間、上映が行われることになりました。
ぜひ、見ていただきたく、紹介します。
なぜ、「満蒙開拓団」という、今考えると常識外れのような、とんでもないことが行われたのか・・・?ということを考えると、またまた歴史の遡りになってしまうので、詳しい言及はとどめるが、ここは明治新政府からの国策が、大いに関係してくる。
世界全体が、帝国主義とよばれる流れの中で、自己の領土をいかに広げればいいかと思案していたさなか、日本も未熟ながら、その流れに入ってしまった。
まず内政を・・と考えてた良識人もいたが、海外に目を向け、国力を誇示し、列強と同じように植民地を手に入れることが、日本にとって何より大事なことだった。そして、その矛先が朝鮮半島だったのだ。
朝鮮半島を植民地にするという方策から、日本の道は定まってしまったような気がする。日清戦争が起こり、その結果を受けて、10年後に日露戦争が起きる。大いなる道の方向違いは、ここでロシアと痛み分けになったことだ。双方決着がつかず、互いが勝ったと言い張った戦争だが、実際は、ロシアの国内が忙しくなって、日本なんかにかまってられなくなる。
結果、中国東北部を手に入れた日本の進撃が始まっていく。このとき国際世論(おもにイギリス)は、ロシアの進出を快く思っていなかったので、日本が中国東北部の支配権を握ることに、不満はなかった。
その後、第一次世界大戦、ロシア革命、世界恐慌という未曽有の大惨事を超えて、資源と土地を持たない日本は活路を満州に求めた。国内の状態は、悲惨を極めた。
私が高校の時使っていた教科書にはこんな写真が載っていた
飢えて大根をかじる東北の子供たち・・・・『詳説日本史(山川出版)』より
世の中は、戦争への道をひた走りに走っているとき。軍部に逆らったら首相でも殺されてしまう!というような右翼の事件(5・15事件。2・26事件)も起きる。
軍に逆らえばどうなるか?ここに居てもろくに食うものもない。満州に行けば、広大な土地が貰え、己の力次第でいくらでも収入が得られる。もう小作じゃない!
おらの土地だ。そして、正しい情報など入ってこない・・・・・。
貧しい農民が満州に渡って行って、なんとかして自分で生きていこうとしたのだ。その土地は、もともとそこに住んでいた中国人から取り上げた土地だ!!など言うことは一切知らされず、ただひたすら、お国と家族のために彼らは渡って行って、働いた。そして・・・・・どうなったか。
映画の中で、数々のエピソードが語られるが、どれも眉間にしわを寄せずには聞けないような話ばかりだ。でも、そうやって語ってくれた人の話を聞かずにどうする?我々には、ちゃんと聞く耳がある。聞いて、何ができるか?何もできない忸怩たる思いをするだけかもしれないが、聞くことに価値がある。聞くべき話だ。
終戦間際に満州に渡って行って、ソ連が宣戦を布告し、戦闘が始まったその時に荷物が届いた家族。逃げ惑うさなか、苦渋の選択で家族を犠牲にした人、その場に歩けなくなった祖母を置き去りにした人・・・・・。
数えきれないくらいの人々が亡くなってしまったが、そこに公墓を建て、供養してくれているのは、中国人なのだ。貧しい農民を満州においやり、逃げかえるときは、我先に逃げ、弱い彼らを見殺しにし、そのあとの墓すらも建てない情けない政府を我々は抱いている。
そんな事実が映しだされていくのだが、これはぜひ見ていただきたい。何度も言うが「こういう映画見れないのよ・・」と言って、見ないで終わらせるのはやめましょう。見ましょう。まず、私たちができることはそのことです。
映画の詳しいことについてはこちらをどうぞ。この映画の上映会のHPです。
我ながら、「トロピック・サンダー」と並べて、この映画を見るという節操のなさに、あきれ返ってますが、ぜひ、お許しください・・・。
監督 羽田 澄子
ぜひ、見ていただきたく、紹介します。
なぜ、「満蒙開拓団」という、今考えると常識外れのような、とんでもないことが行われたのか・・・?ということを考えると、またまた歴史の遡りになってしまうので、詳しい言及はとどめるが、ここは明治新政府からの国策が、大いに関係してくる。
世界全体が、帝国主義とよばれる流れの中で、自己の領土をいかに広げればいいかと思案していたさなか、日本も未熟ながら、その流れに入ってしまった。
まず内政を・・と考えてた良識人もいたが、海外に目を向け、国力を誇示し、列強と同じように植民地を手に入れることが、日本にとって何より大事なことだった。そして、その矛先が朝鮮半島だったのだ。
朝鮮半島を植民地にするという方策から、日本の道は定まってしまったような気がする。日清戦争が起こり、その結果を受けて、10年後に日露戦争が起きる。大いなる道の方向違いは、ここでロシアと痛み分けになったことだ。双方決着がつかず、互いが勝ったと言い張った戦争だが、実際は、ロシアの国内が忙しくなって、日本なんかにかまってられなくなる。
結果、中国東北部を手に入れた日本の進撃が始まっていく。このとき国際世論(おもにイギリス)は、ロシアの進出を快く思っていなかったので、日本が中国東北部の支配権を握ることに、不満はなかった。
その後、第一次世界大戦、ロシア革命、世界恐慌という未曽有の大惨事を超えて、資源と土地を持たない日本は活路を満州に求めた。国内の状態は、悲惨を極めた。
私が高校の時使っていた教科書にはこんな写真が載っていた
飢えて大根をかじる東北の子供たち・・・・『詳説日本史(山川出版)』より
世の中は、戦争への道をひた走りに走っているとき。軍部に逆らったら首相でも殺されてしまう!というような右翼の事件(5・15事件。2・26事件)も起きる。
軍に逆らえばどうなるか?ここに居てもろくに食うものもない。満州に行けば、広大な土地が貰え、己の力次第でいくらでも収入が得られる。もう小作じゃない!
おらの土地だ。そして、正しい情報など入ってこない・・・・・。
貧しい農民が満州に渡って行って、なんとかして自分で生きていこうとしたのだ。その土地は、もともとそこに住んでいた中国人から取り上げた土地だ!!など言うことは一切知らされず、ただひたすら、お国と家族のために彼らは渡って行って、働いた。そして・・・・・どうなったか。
映画の中で、数々のエピソードが語られるが、どれも眉間にしわを寄せずには聞けないような話ばかりだ。でも、そうやって語ってくれた人の話を聞かずにどうする?我々には、ちゃんと聞く耳がある。聞いて、何ができるか?何もできない忸怩たる思いをするだけかもしれないが、聞くことに価値がある。聞くべき話だ。
終戦間際に満州に渡って行って、ソ連が宣戦を布告し、戦闘が始まったその時に荷物が届いた家族。逃げ惑うさなか、苦渋の選択で家族を犠牲にした人、その場に歩けなくなった祖母を置き去りにした人・・・・・。
数えきれないくらいの人々が亡くなってしまったが、そこに公墓を建て、供養してくれているのは、中国人なのだ。貧しい農民を満州においやり、逃げかえるときは、我先に逃げ、弱い彼らを見殺しにし、そのあとの墓すらも建てない情けない政府を我々は抱いている。
そんな事実が映しだされていくのだが、これはぜひ見ていただきたい。何度も言うが「こういう映画見れないのよ・・」と言って、見ないで終わらせるのはやめましょう。見ましょう。まず、私たちができることはそのことです。
映画の詳しいことについてはこちらをどうぞ。この映画の上映会のHPです。
我ながら、「トロピック・サンダー」と並べて、この映画を見るという節操のなさに、あきれ返ってますが、ぜひ、お許しください・・・。
監督 羽田 澄子
こんなことがあって今があるのですね。今も日本は中国にとって非道な国なのでしょうか・・。辛い過去をさらけ出し、涙にくれる人達を見ながら、こういう機会がないと知りえない知識を与えて下さった方々の勇気に感謝しないといけないですね。来週からの「キャタピラー」も覚悟して臨みたいと思います。
それはよかったです。
フォーラムで上映したときは、とってもたくさんの方にご来場いただいて、よかったでした。
年配の方ばかりでなく、ぜひいろんな年代の方に見てもらいたいですね。
先日も、シベリア抑留から帰ってこられた方々のお話をTVでやってましたが、われらはやっぱり聞くべきだ・・・と、痛感しました。
若松監督は独特の解釈をなさいますから、楽しみですね。