サイババが帰って来るよ

Count down to the Golden age

神のレッスンシリーズ(19)

2018-05-21 04:00:13 | 日記

ポニョ:今日の記事でダイアナさんは「私には幸せな結婚への根深い願望がある」と言われたけれど、当時、ダイアナさんは既に結婚されていたぜよ。

ヨシオ:その辺の前後関係はどうなっているか知らないし、知りたくもないけれど、このシリーズの最初に紹介した女性は、その当時、ダイアナさんはまだ結婚していたけれど、別居状態やったと主張していたな。

ポニョ:離婚していたのかな。それとも前夫は病気で亡くなられたんやろ。まだ生きておられたんやろか。

ヨシオ:俺は知らんっちゅうに。どっちでもええやないか。そんな事より俺が面白いと思ったのは、ダイアナさんがサイババさんに紹介された新しい夫が自分には完璧やったと言われたやろ。
その後で、夫は私の欠点を映し出す鏡としては完璧だったと言われたけれど、それって間接的に、「新しい夫の中にたくさんの欠点を見つけてしまったわ。彼は私が望んでいたような完璧な夫じゃなかったけれど、その彼の中に見つけた欠点は、実は私の中にある欠点なので、私の霊性修行に役立つという意味では完璧な夫だわ」と言っているんや。俺はこのコメントを読んで笑ってしまったな。

ポニョ:おいらには理解出来ない世界でヤンス。という事で本文に入りますね。


結婚と家族

あなたの富と財産のすべてを神の預かり物としなさい。神があなたにそれらを与え、 さらには家族も与えました。家族は、神聖な預かり物として愛し、育て、導くために、 神からあなたに与えられた人々として扱わなければなりません。こうして、あなたは自 分の執着を礼拝にまで高め、それを霊的進歩の道具にしなければなりません。
サティヤ サイ ババ


完璧な配偶者

私には幸せな結婚への根深い願望があり、ある日、それを内緒で母に話した。私が良 い夫を選べないことに母がすっかり同意したので、私は母かスワミのどちらかが私の夫 を選ぶべきであり、自分にはとても無理だと心を決めた。スワミはすぐに反応なさった。 まるで私が、直接スワミにその断固たる決意を伝えたかのようだった。2、3日の内に、 スワミはご自分が私の夫を選ぶとおっしゃった。(この話は前著『追憶』の中に詳しく 書いた) 当時、私はまだスワミの帰依者になってから10年で、学ぶのも確かに遅かっ た。スワミが選んだ相手と結婚すれば、その後はその「完璧な夫」と末永く幸せに暮ら せるのだろうと信じていた。「完璧」という部分については正しかったのだが、長年の 間、夫が私の「完璧」という概念に沿った行動を取らないたびに落胆した。完璧な関係 とは、必ずしも私が定義した「完璧な配偶者」でないことに、気づかなかったのだ。
最終的に理解したことは、ロバートは私にとって完璧だったということだ。彼は、私 の成長にとっては完璧だった。私の欠点を映し出す鏡としては完璧だった。私のボタン を押し、心の内で私が自分の反応の源を観察せざるを得ないようにさせるには完璧だっ た。自分の反応を観察することは、霊的原理を行動に移す上で、常に進歩を測る最高の 道具だった。反応が大きければ大きいほど、人に自我という偽りの感覚を与える捏造さ れた概念への執着もますます強くなった。結婚は、私たちの欠点や弱点をさらけ出す、 とびきりきれいな反射鏡になり得る。しかも、その鏡で見ているのは、配偶者の姿では なく、自分自身の姿なのだ。


調整する前に理解すること

私たちの結婚式が執り行われた時、スワミは「調整する前に理解すること」の重要性 を強調なさったが、その導きも日常生活のさまざまな問題に役立っている。理解すると いうことは、他人の行動や振る舞いを説明するために、相手に関する事実や情報を集め る知的プロセスよりもはるかに重要であることに私は気づいた。自分自身さえ理解でき ないのに、どうして他人を理解できるだろう? 理解とは、まず自分自身を知ることから始まり、それができた時、初めて他人を理解する英知を入手できるのだとわかった。
理解が内側からもたらされなくてはならないように、愛と幸福もまた私たちの内側か らもたらされなくてはならない。これらの特質は、他人から来るものでも、他人から与 えられるものでもない。価値あるレッスンを学ぶため、結婚(愛と幸福と理解を受け取 る期待がとても大きい場)以上に優れた環境があるだろうか? 私たちが外界に捜し求 める成就は、常に内側にあるのだ。
結婚は、この世に暮らす人々にとって、世俗的な影響力を持つ原理を実践することを 始める最高の訓練場である。もし一人の人間と仲良く暮らせないなら、どうして多数の 人間と仲良く暮らせるだろう? スワミがおっしゃるように、
「家庭に調和があれば、国家に秩序があります。国家に秩序があれば、世界に平和が あります」ということだ。スワミは後に、次のように語って、私たちの結婚について似 たような忠告を与えて下さった。
「夫と妻の間にはもっぱら調和があるべきであり、どんな相違もあってはなりません。 一体性は神性です。一体性を実践しなさい」
他人と調和して暮らす最大の障害物の一つは、相手への期待である。期待とは、たい てい私たちが何か他人から得たいもののことだ。しかし、望みのものを受け取れないと、 しばしば他人を責めたり、何らかの力を使ったり、操作したりして、欲しいものを手に 入れようとする。期待は、もし何かが得られるとすれば、それが失われることもあり得 ることを前提とする。このことは、私たちの多くの感情や他人との交流を制限するとい う損失への恐れを生む。

もし他人への期待を内なる自分に向けるなら、自分が他人から受け取ることを期待し ていたまさにそのものを、他人に与えることができるようになる。与えることは、霊的 に一致した関係をもたらす唯一の方法であり、それは真理の原理への相互コミットメン トによって高められ、鼓舞される。アッシジの聖フランシスコが自らの祈りの中で美し く表現している通りだ。
聖なる主よ、どうか私が、慰められるよりは慰めることを、理解されるよりは理解 することを、愛されるよりは愛することを求めますように。なぜなら、与えてこそ受け 取り、許してこそ許され、己を捨てて死んでこそ永遠の命を得るのですから。
期待ということに関して自分の欠点を正直に注意深く調べてみると、私たちは多くの 場合、他人からして欲しいと思うまさにそのものを、自分は与えていないことを発見する。根本的な法則の一つは、受け取るためには喜んで与えなければならないというもの だ。


新婚夫婦へのスワミの手引き

私たちの結婚式を執り行う一年前、ホワイトフィールド近くのブリンダーヴァンのア シュラムで、スワミはご自分が執り行ったある西洋人夫婦の結婚式に出席するよう、ロ バートを招待なさっていた。その結婚式の間、スワミは結婚の意義について説明なさっ た。以下は、ロバートの日記から抜粋したその出来事の記載である。
スワミは大げさに質問を始められ、 「人生の目的とは何ですか?」と尋ねて、ご自分でこうお答えになった。 「神性と真理を発見することです」
スワミは付け加えられた。 「人生は愛です。それを楽しみなさい。人生はゲームです。プレーしなさい。人生は
光の中にあり、光は人生の中にあり、その光はあなた方一人ひとりの中にあるのです」 それから、スワミは新婦にお尋ねになった。
「結婚の意味は何ですか?」

スワミはご自分でお答えになり、 「助けることと、感覚の制御です」とおっしゃった。
スワミは結婚に関する夫婦相互の責任を強調なさったが、他の人々への慈善も奨励され た。
「空腹な人には食べ物を、裸の人には着るものを、貧しい人々にはお金を与えなさい」 そして、スワミは質問なさった。
「指輪はどこにありますか?」 新郎新婦は指輪を持参していなかった。下に向けた手のひらをくるくると三度回して、スワミは二個の結婚指輪を物質化なさった。
それは真ん中にトパーズの石がはめ込まれ、 周りをダイヤモンドで囲まれた指輪だった。トパーズの石はハニー(蜂蜜 honey)の色 だとスワミはおっしゃり、それから結婚後にハネムーン(蜜月 honeymoon)がきます、 とユーモラスに付け加えられた。
サンスクリット語の詠唱と共に、スワミは新郎新婦の指にそれぞれ指輪をはめられた。 花嫁の指に指輪をはめた時、スワミは「見てごらん、ぴったりです」とおっしゃった。 スワミは二人に、ワイルドライフ(放縦な生活)ではなく、ハッピーライフ(幸福な生 活)を送るよう励まされた。
それから、スワミは新郎新婦の頭に手を置かれ、結婚の祝詞をお唱えになった。スワミは説明なさった。
「結婚前、二人はそれぞれ別々でした。しかし、結婚後は半分ずつ、つまり、夫の左 半身は妻の身体となり、妻の右半身は夫の身体となりました。ですから、これは完全な 融合ではありません。完全な融合は、神とのみ存在します」
結婚の儀式の間、スワミは川と海の象徴的な表現を使って、融合について再びお話し になった。スワミはおっしゃった。
「人生は海へ流れ込む川のようなものです。融合する前、それぞれの川は別々の名前 と形と味わいを持っています。しかし、融合した後は、名前も形も味わいも一つになり ます」
そして、スワミは花嫁に金の刺繍が入った美しい青色のサリーを贈られた。青色は ラーマとクリシュナの色であり、インドでは神性と霊的熱望の象徴であると、スワミは 説明なさった。
「海は青い。空は青い。海は深い。空は高い。これらをあなた方の霊的達成の深さと 高さにするように」
花嫁は、スワミの贈り物と配慮にとても感謝した。スワミはお答えになった。 「これは私の義務です。私は欲望や期待なしに与えるのです」 そして、甘く、優しくお歌いになった。

「愛は無償。“愛は私の姿。真理は私の息吹。至福は私の食べ物。私の人生は私のメッ セージ。拡大こそが私の人生”」〔「ラブ イズ マイ フォーム」〕
スワミはユニヴァーサル プレヤーを詠唱なさった。

「アサトー マー サッドガマヤ
タマソー マー ジョーティル ガマヤ
ムルッティヨールマー アムルタム ガマヤ」


〔非真より真実へ、暗闇から光明へ、死を超えて不滅へ〕

スワミは、僕たちが自分の感覚で見て経験することは現実ではない、と説明なさった。 それどころか、それは一時的で絶えず変化する性質を帯びた幻影の様相である、と。ス ワミはその祈りの意味を「暗闇から光明へと我らを導きたまえ」と解説なさった。そし て次のように締めくくられた。
「過去は過去です。未来は不確実です。現在に生き、幸せでいなさい」

ジャパマーラの使い方の有益な解説があとに続いた。スワミは手の五本の指を持ち上 げて、親指は神であると示し、親指がなければ他の指は役に立たないことを示唆なさっ た。スワミは人差し指(親指に最も近い指)を人生になぞらえられた。他の三本の指は、 三つの特質であるサットワ(浄性)、ラジャス(激性)、タマス(鈍性)のグナ(属性) だった。ジャパマーラを繰る時、数珠は人差し指と中指(サットワのグナ)の間で動か される。このようにして、欲望は減らされ、昇華される。スワミは、ジャパマーラはい つでも右手で持つと付け加えられた。
それから、スワミが個々の帰依者の要望に答えて対応される長い時間があった。
ある年長の女性に対し、スワミは彼女が白内障を患っており、カルシウムとカリウム が不足しているとおっしゃった。彼女の仕事はストレスの多いものだったが、仕事は続 けるようにとおっしゃった。スワミはこう言い添えられた。 「幸せの秘訣とは何ですか? 幸せは好きなことをすることではなく、自分がすべきこ とを好きになることにあります」
注意を僕に向けて、スワミは愛についてお話しになった。 「霊的な愛です。法律は愛ではありません。愛は愛。愛は命。愛は神です」