サイババが帰って来るよ

Count down to the Golden age

お茶の子サイサイ

2017-04-06 16:00:11 | 日記
人生におけるテストや障害物は神の恩寵です。
それは,神のあなたに対する怒りではないのです。SSSvol9p82

ポニョ:前回の歌詞を忘れたエピソードが面白かったやろ。

ヨシオ:サイババさんは、私は全てをコントロールしている。でも人の心を変えるのは難しいと言っておられるけれど、実はお茶の子さいさいなんやな。

ポニョ:だからお茶の子サイサイと言うんかな?

ヨシオ:アホな事を言ってないで、また別の面白いエピソードを紹介してくれるか。

ポニョ:この前、ヴェーダナラヤンさんの話を紹介した時に、サイババさんから突然サイスクールのサンスクリット語の先生になりなさいと言われたけれど、サンスクリット語はチンプンカンプンで自分が全然知らない言葉を教えれるわけがないとサイババさんに手紙を書いて渡したら、サイババさんは君はサンスクリット語の先生になるんだ。と言って自らの足に触れさせた途端、サンスクリット語があっという間に理解出来て、インドでサンスクリット語の最優秀先生に選ばれて、大統領から表彰された話を紹介したけれど、今回も似たような話をされていたな。あんたが好きなウータカマンドの小学校を卒業し、アシュラムの中学校に入学した生徒がホームシックになり、遂に喘息を誘発して寮の部屋から一歩も出れなくなったんや。でもサイババさんがやって来てその生徒にヴィブティを物質化して飲ませ、足を触れるように言うと、瞬く間に喘息の咳が止まり、それ以来一度も喘息になっていないんや。しかもホームシックもどこかにぶっ飛んで行ったんや。

ヨシオ:サイババさんの神聖な力が、その御足を通じてその生徒に流れ込んだんやろな。

ポニョ:タブラが上手いシンガーの人はアシュラムのサイスクールに通っていた頃、テストの時に横に座っていた友達に答えを教えたんや。それが先生にバレてしまい、全校生徒の前でその友達と二人こっぴどく叱られたんや。次の日の朝のダルシャンで、サイババさんがある生徒を叱っておられたんやけれど、その生徒に「君は良いもっと良い生徒にならなくてはいけない。あそこに座っている生徒のように」と言われて昨日テストで答えを教えた生徒を指されたんや。そしてその生徒に「自分の近くに来るように」と言われてその生徒と友達のように肩を組み、「君は本当に良い生徒だ」と何度も言われたんや。その答えを教えた生徒はそれまで先生から批判されて落ち込んでいたのに、その日をきっかけに先生からも一目置かれる学校のヒーローになったんや。

ヨシオ:サイババさんも子供の頃、出来の悪い友達の為にテストで代筆をしたりしておられたから、自分と同じ穴のムジナやと思って親しみを感じられたんやろな。そうか。サイスクールではテストでズルをしてもええんやな。

ポニョ:あのね、そんな風に短絡的に間違った結論に持って行かないでくれますか。

ヨシオ:俺たちは、神さん抜きでは役立たずで、地球の資源を無駄使いしているただの生き物に過ぎないけれど、この生徒のように神さんを友達とすれば、役立たずな0の前に神さんの1が付き、0が10になって役に立つ人間になれるんや。

ポニョ:10も花札では役立たずの数字やぜよ。前回、シンガーたちにいろんな試練をサイババさんが与えていたけれど、ヴェンタカタギリの王様がサイババさんに亡くなったお母さんに会いたいと頼んだら、死んだはずのお母さんが壁からスルスルと出て来て、王様である息子にこのサイババさんはクリシュナのように帰依者を試されるから気をつけなさいと言われたよな。

ヨシオ:サイババさんは帰依者を無視されたり、試練を与えられて、一段上のレベルに帰依者を引き上げようと努力されるんや。ある学生がサイババさんに声もかけてもらえず、目も見てくれない。それにもちろんパダナマスカ、足にも触れさせてくれなければ手紙もとってもらえない状態が長く続いていたんや。その学生はとても心が傷ついて、サイババさんに「どうしてあなたは僕に拷問のような目に遭わせるのですか?僕はあなたのしうちにとても傷ついています。」と手紙に書いてダルシャンに持って行ったんや。どうせまた手紙も取って行かれなければ、声もかけてもらえないだろうと思いながら座っていると、サイババさんはその手紙を取り、その学生の前で封を破りながらこう言われたんや。「君は自分が理解していない言葉を使って手紙を書いてはいけない。拷問とは人の痛みを何とも思わずに、痛みを与える人がそれを与えることによって楽しんでいる事だろう。私はそうではなく、私は君を心から愛しているので、このような態度を取っているんだよ。君がこの試練によって傷ついているようだが、私も君にこういう態度を取る事によって、君よりもっと傷ついているんだよ。」って言われたんや。

ポニョ:サイババさんは何をされても、されなくても愛、愛、愛だけなんやぜよ。愛しかないのが神さんなんや。アシュラムでバジャンのシンガーをしている学生の前に立って、サイババさんはその学生に「君のお母さんの具合はどうだい?」と聞かれたんや。その学生は「おかげさまで元気です。」と答えたんや。するとサイババさんはもう一度、「君の母さんの具合はどうだい?」と同じ質問をされたんや。その学生は少し自信を無くしたような小さな声で「おかげさまで元気です」と答えたんや。するとサイババさんはもう一度、「君の母さんの具合はどうだい?」とまた同じ質問をされたんや。その学生は蚊の鳴くような声で、「おかげさまで、母は…」と言いかけたけれど、途中で観念したように下を向きながら「母は病気がちで家で寝ています」と答えたんや。その学生は母一人子一人の母子家庭で、北インドの貧しい村から来ている学生で、自分以外誰も母親の面倒を見る人がいないんや。それでサイババさんは「お前はここで神にバジャンを歌って捧げ、神を満足させて喜ばせようとしているが、故郷の村で病気になって一人で寝ている母親の介護をし、幸せにさせるのがお前がせねばならぬ義務だ。村に帰ってお母さんのお世話をしに帰りなさい。お前の母親の中にいる神は、それを望んでいるのだ」と言われたんや。

ヨシオ:人は誰でも人として生まれた限り、与えられた義務があるんや。そういう義務を放棄して生きて行っても、また生まれ変わって同じような状況下に置かれるんや。カルマからは決して逃れることは出来ないんや。だからサイババさんは自分がしなければいけない事を好きになりなさいと言っておられるんや。

ポニョ:サイババさんがされる事や言われる事は全て、愛、純粋な愛だけやぜよ。コダイカナルからの帰途、暑い南インドでも特に暑いと言われている街を車で通過中、サイババさんがその道を車で通られると知っている地元の帰依者たちが、道の横で熱い地べたに座りながらバジャンを歌っていたんや。外の気温は五十度近くあって五月のとても暑い日やったんや。サイババさんは、帰依者たちが今にも溶け出しそうなアスファルトの上に長時間座り続け、サイババさんの御姿を一目見ようと座っているのを見て、車を止め、裸足で車から降りて帰依者たちがバジャンをしているところに歩いて行き、バジャンの間中、ずっと熱いアスファルトの上に立ちながら、帰依者たちが歌うバジャンを聞いておられたんや。でも警備の警察官などは履き物や靴下を履いていても一分もそこに立っていることが出来なくて、熱いトタン屋根の上の猫のように足を上げ下げしていたんや。サイババさんにどうか車に戻って下さいと頼んでも、サイババさんは「あの帰依者たちはこんなに熱いところに何時間も座って私を待ち続けていたんだ。彼らの方が私たちよりももっと大変なんだよ。」と言ってお付きの人たちを諭しておられたんや。サイババさんもその後足の皮膚が火傷を負って四日間も水膨れが出来てしまったんやで。それほどサイババさんは何の私心も無く、帰依者たちの事だけを考えてこの世界に降臨されているんやぜよ。まさしく愛の化身やぜよ。

ヨシオ:その愛の化身がこの世界を創造し、そのサイババさんを神さんだと認めて信仰している俺たちはとても幸運やな。

ポニョ:人は死んだら神への愛のみを次の生に持って行けると言われたけれど、こうして肉体を離れられたサイババさんの神聖さを一点曇りも無く信じ、100%帰依出来る人って、前世からしっかりと徳を積んで来た人なんやな。何の徳を積んだのか知らないけれど。

ヨシオ:オクラの世話をして来た徳やろな。

外部に現れたものと関わる限り、疑いや信仰の弱さという重荷を運ばなければなりません。
外部と関わっている限り不必要な物事に巻き込まれるのを避けることはできないでしょう。
信仰心は活火山のようなものです。
活発な火山で発芽する種子はありません。
疑いは種子のようなものです。
疑いが増えるなら、それはあなたの信仰心が弱く、不安定であることを意味しています。
そのような信仰心は死火山のようなものです。
信仰心が強ければ、どんな疑いも生じることはありません。
疑いのあるところに信仰心はありません。
疑いを持つ原因は、自分にあるのみです。
神は目撃者としてのみ行動します。
神はあなたに真我の悟り〔自己実現〕の道を示します。
あなたの疑いは、あなたの過去のカルマ(行為)ゆえに生じたり消えたりします。
神性を悟るには、まず一切の疑いを取り除かなければなりません。
その時々に、神はあなたにさまざまなテストを受けさせます。
それはあなたが想像しているような懲罰を目的とするものではありません。
その目的はあなた信仰を強めることです。24/7/83