サイババが帰って来るよ

Count down to the Golden age

劇作家になりたいな

2017-01-20 16:00:12 | 日記
エゴを持ち続けている限り、どのような霊性修行も実践できません。
あなたが行ってきた様々な霊性修行が心やエゴ、すなわち「私という意識」を伴って行われたために、あなたは今まで向上できなかったのです。
中には「私は肉体である」として、自分を肉体と同一視しながら霊性修行をしている人もいますが、そのような修行はあなたを真の目的地に連れて行ってくれないでしょう。
ラーヴァナ、カンサ、バスマースラといった者達はこの部類に属します。
~生きとし生けるものすべてのものの内に同じ神聖さを感じ、体験することが真の愛です。STPSp196

ポニョ:いよいよ今日は大統領就任式の日ですね。日本時間で夜中の二時から就任受諾演説が始まるんやぜよ。おいらは夜は起きない主義やから朝になってから見ようと思っているんや。CNNニュースが就任式でトランプと副大統領が暗殺されると報道したんやで。その後オバマ政権が再び引き継ぐって。ひどいやろ。

ヨシオ:奴らの昔からのやり方やろ。どっちに転ぶか分からないけれど、歴史が大きく動いているなって気はするよな。

ポニョ:水面下で激しい権力争いが続いているんや。主要メディアは報じていないけれどトランプのアドバイザーのロジャーストーンという人が、ポロニウム210という毒薬を飲まされて殺されかけたんやで。すごい権力争いやぜよ。だから目が離せないんや。

ヨシオ:ポニョの退屈しのぎにちょうどええな。

ポニョ:またそんな他人事みたいなコメントをする。まともに話が出来ないな、あんたとは。それに昨日東アレッポで人命救助活動をしていたといわれるホワイトヘルメットが一体何をしていたのかを現地の住人にインタビューした秀逸なドキュメンタリーが公開されたんや。でも早速そのジャーナリストのツイッターのアカウントが閉鎖されてこの動画を拡散出来なくしたんや。本当に卑劣やぜよ。
https://www.facebook.com/vanessa.beeley/videos/10156061466428868/
何れにしてもこれは見ものやったぜよ。元ホワイトヘルメットで雇われていた人のインタビューもあるんや。彼らは役者でテロ組織に本部を置いていたんやで。見え見えやぜよ。真理は隠せませんでした。またイタリアの有名な予言者タフーリが五百年前に、イタリアのサレント海岸に二日続けて雪が降った時に、この世界は終わりを迎えると予言したんやけれど、今年初めてそのような大雪がサレントの海岸に二日続けて降ったんや。
ヤシの木が実り、穏やかな南風に恵まれたサレント。この雪にふれたことのない地に、雪が2日間降り、そして、2つの空の激しい輝きが現れた時に世界が終わることを私は知っている。私がそれを望んでいるわけではないが」

http://indeep.jp/apocalypse-signs-of-16-centry-italian-nostradamus-come-true/
ポニョ:まあ今年は色々起こる年になりそうやぜよ。サイババさんの再降臨が近いな。というわけで本題に入るけれど、この前サイババさんが夢に出て来られて、あんたが劇作家になりたいという夢を持っていたけれど、それよりサイババさんの教えを広めなさいって言われたんやろ。劇作家って全然あんたに相応しくないぜよ。

ヨシオ:そうか?俺の娘もプロの作家やで。俺も昔から書き物が好きなんや。学生の頃は前にも言ったけれど、コミュニティ新聞を作っていたんや。いろんな人にインタビューして記事を書いていたんやけれど、その仕事はとても俺に合っていたな。

ポニョ:人にインタビューしても、それをメモしたり録音しなくても覚える事が出来るって言ってたよな。

ヨシオ:人と接する機会があまり無いから、逆に接した人との会話を覚えることが出来るんやと思う。

ポニョ:そんなもんかな。ところで劇作家になったらいろんな劇の台本を書いたり戯曲を書く為に、劇のいろんな構想を考えているって言ってたよな。

ヨシオ:そうなんや。最初は手始めにシータの視点から見たラーマヤーナを劇にしようかなと考えていたんや。好きなシーンは、シータがラヴァナに誘拐されている間にラヴァナに弄ばれたのではないかというラーマの王国の住人が疑っているという噂を聞いたラーマが、国民の気持ちが第一だと考えて、シータを宮殿から追い出すシーンなんや。

ポニョ:そのシーンは覚えているぜよ。そのエピソードを読んで腹が立ったぜよ。なんでそこまでしなくてはいけないんかなって思ったんや。そのシーンで世界を維持するヴィシュヌ神が、そのお妃であるラクシュミー女神に向かって、「そろそろ君の好きなようにすれば良いよ。」と言うと、ラクシュミー女神は、「それじゃ私は、貴方様より一足お先に天上の館に戻っております」と言ってシータの肉体から離れて神界に戻って行くエピソードやったやろ。それで面白かったのは、その後、ラクシュミー女神が抜けたシータに向かって同じような事をラーマが言うと、シータは「それじゃ私は、聖者様達がおられる森の中の庵で、自然に囲まれて誰にも邪魔されずに貴方様の事を思いながら平安に暮らしたいと思います。」と嬉しそうに言って荷造りを始めたんや。同じシータの身体やのに、ラクシュミー女神が抜けた後と前とでは、答えが違うって所が面白かったぜよ。

ヨシオ:そうやったな。そのラーマとシータの会話が面白いから、それをクライマックスに持ってこようとしたんや。第一幕目はシータの誕生の秘密や。シータの育ての親であるジャナカ王が召使い達を引き連れて田んぼの視察に行っている時に、あぜ道の真ん中から赤ん坊の泣き声が聞こえるんや。それで掘り出してみると女の赤ちゃんが土まみれになりながら、あぜ道の中から出てきたんや。そしてその赤ん坊を自分の養女として育てようと宮殿戻るんや。それから二、三年の時が流れ、重た過ぎて誰も持ち上げることすら出来ないシヴァ神の弓がある宮殿の大広間で、シータがボール遊びをしていると、ボールがシータの手から離れてコロコロとシヴァ神の弓を乗せてある台車の下に転がって行ったので、シータはボールを追いかけてハイハイしながら台車までたどり着き、そのクソ重い台車を軽々とその小さな手で押して動かしてボールを取ったシーンや。それを見てジャナカ王はシータは怪物ジャナカと思って、とても驚いたんや。それで「この娘の夫となる者は、このシヴァ神の弓を持ち上げられなければならい事が条件だ。」とおふれを出したんや。それでその弓を持ち上げようと挑戦しに、あの悪魔の王ラヴァナもやって来たけれど、誰一人として持ち上げられなかったんや。でもラーマだけは軽々と持ち上げてそのシヴァ神の弓を力一杯引くと、弓は大きな音を立てて真っ二つに折れて、シータを射止める事が出来たというエピソードがあったやろ。それが第二幕目や。そんな感じで劇の台本を書こうかなって思っていたんや。

ポニョ:確かにシータを中心としたエピソードを舞台用に書き換えたら面白そうやぜよ。良い劇が出来るやろな。

ヨシオ:そうやろ。普通台本って、一ページにつき約一分の劇が進行するんや。そのまま書いていったら約二時間の劇になるはずやったんやで。

ポニョ:二時間の劇って長いぜよ。でもサイババさんがあんたに劇作家にならないようにアドバイスされたのは分かるような気がするぜよ。だってあんたがシータの物語を書いたら、神聖な物語が喜劇になりそうやないか。

ヨシオ:そう言われればそうかもしれんな。劇のタイトルは「シータの憂鬱」にして、実は中身は笑いでいっぱいのコミカルな劇にしようかな。

ポニョ:やっぱり。これやからババがストップをかけたんや。あんたらしいよな。ラーマヤーナの物語を喜劇にしてしまうなんて。あんたは漫才の台本を書いている方が似合うやろな。

ヨシオ:喜劇にしたらあかんのか。まあ冗談やけれど。実際はもっと真面目に書いたんやで。今度機会があればいい紹介するわ。でもババさんは、俺にこのままブログを続けるように言われたので、残念やけれど劇作家への道はちょっとお休みやな。シナリオの書き方とか色々勉強したんやけれど、ババさんは俺にとって一番大切な最良の道をいつも選んで下さるから文句は言えないな。

ポニョ:神さんが金槌で自分たちは釘やっていう話を以前したよな。釘は頭を打たれても文句は言えないって。釘は打たれる事によって役に立つから。まあでも、神さんにこうしてアドバイスされるだけでも有り難いよな。

ヨシオ:でもいろんな劇の台本の構想だけは持っていても悪くないから、心の中で温めておくことにしようかな。

ポニョ:漫才の台本やったらババさんも書いても良いと言ってくれると思うけど。

ヨシオ:あのな。吉本新喜劇に雇われたくないわ。吉本新喜劇は俺が通っていた扇町中学から歩いて三分のところにあったんやで。何れにしても俺たちは所詮、神さんが遊んでおられるゲームボードのコマの一つに過ぎないから、グタグタ文句を言わないで神さんに全てをお預けすれば、俺たちの為に最良の選択をさせて下さるんや。

神は完全に自由です。
それゆえ自由意思、すなわち神意を持っているのは神のみなのです。
今日、すべての人が自分は自由意思を持っていると称して何でも自分で決められると思っています。
しかしそうした意思は、今日と明日とでは違っているかもしれません。
それに反して、神の意志は決して変わりません。
あなたがあなたの自由意思を用いる限りは、それが成功するときもあれば失敗することもまた勝つことも負けることもあるでしょう。
もし成功すれば、あなたは高慢で利己的になります。
もし失敗すれば、落胆して失望します。
けれども神の意志は超越的なものです。
あなたがすべきことは、ただ神の意志に委ねることだけです。
そのことが良いことであれ、悪い事であれ、人生に何が起きようと、それは自分にとって最も良い事だと思い、喜んで受け入れることなのです。
神からの贈り物として受け入れなければなりません。
そうすることが真の英知であり、信愛なのです。
実際あなたは自分にとって何が良いのか知りません。
神のみがその人にとって、最善の時、理由、内容、方法を知っています。
すべては神の意志、すなわち神意により起こります。
このことを知り、それを心から信じ、ひとたび神の意志に全託するならば、得意になったり利己的になったり、高慢になったり、落胆して落ち込んだり失望することも決してありません。STPSp270

ポニョ:全託っていうやつやな。でもそのゲームボードのコマは、自分が他のコマよりも上がりに近いとか後退したとか言って喜んだり悲しんだりしてるんや。ゲームボードのコマは、まるで自分の力でゲームボードの上を上がり下がりしていると思い込んで、人生の喜怒哀楽を味わっているような錯覚をしているのがおいら達なんやな。

ヨシオ:実際にそのコマを動かしているのはゲームを作り、それを楽しんでいる神様やのに、ゲームボードのコマが、まるでそのゲームの中で自分たちがゲームをしていると思い込んでいるんや。

ポニョ:それってアホやぜよ。とは言ってもおいら達もそのアホなゲームボードのコマなんやろな。

ヨシオ:人ってこの広大な宇宙から見たら、小さな砂つぶよりも小さな存在やのに、その砂つぶが「私」や「私のもの」というエゴを持っているせいで神さんを無視し、自分が全てをコントロール出来るみたいな錯覚をしてるんや。でもそれは単なる錯覚ではなく、元々人は神さんやったから、その潜在的な記憶が一人ひとりに微かに残っている証拠なんや。

ポニョ:つまり自分たちは、元々全てをコントロール出来ていた神さんやという記憶が微かに残っているって事か。そのセオリーは面白いな。だから人は不老不死を求めるんやろな。エジプトのミイラのようになってもええから、人は死を受け入れられないんやな。知ってる?人の肉体って死んだら一番最初に鼻の肉が腐って陥没するんやで。だからエジプトのミイラはその鼻の部分が陥没しないように工夫をしてあるんや。でもおいらの鼻はまだ肉体が死んでいないのに陥没仕掛けているけれど。サングラスやメガネをかけても鼻の上に乗らなくていつもずり落ちて来るから苦労してるんや。

ヨシオ:それって陥没って言わないやろ。鼻が低いだけやないか。俺の通っていた小学校は菅北という学校やったけれどな。

ポニョ:陥没小学校ですか?あのね、あんたの小学校とおいらの鼻が低いのと何の関係があるんや。

あなたが聖なる英知の炎を見ることができないのは、エゴがあるからです。
エゴはどのようにしてあなたの心に入るのでしょう?
それはあなたが真実の道を手放したときに、あなたの心に侵入するのです。
あなたが真の自己を知らずに、世俗的な思いや感情を育てるときに、あなたは利己的になります。
エゴを取り除くには、世俗的な思いや感情をコントロールしていなければなりません。
エゴを取り除かないままに英知を獲得することはできません。
アートマ(真我)のまばゆい光を見るには、心を覆っているエゴというすすを取り除かなければなりません。23/1102
https://m.youtube.com/watch?v=jMwYHcAt1vk