サイババが帰って来るよ

Count down to the Golden age

好意を抱いちゃったよ

2017-01-07 23:00:59 | 日記
以前、ゴヴァルダナギリの丘が小さな少年によって高く持ち上げられた時、牛飼いの少年少女たちはクリシュナが神だと気づきました。
今日、ゴヴァルダナギリのような丘ではなく、山脈全体を私が持ち上げるのをあなた方は目にすることでしょう。
その時が来るまで我慢強く私を信じて待つのです。P 22cap5SSS,Vol3

ポニョ:今月おいらが楽しみにしているドキュメンタリー映画「好意を抱いちゃったよ」が公開されるんや。日本語のタイトルはおいらが勝手に付けたけれど、正式な英語でのタイトルは「Accidental Courtesy」っていうんや。
https://m.youtube.com/watch?v=V7fh5J_mo5E
ヨシオ:また映画の話か。今度はどんな映画やねん。
http://www.businessinsider.com.au/daryl-davis-making-friends-with-kkk-documentary-2016-12?r=US&IR=T
ポニョ:アメリカの人種差別主義グループでKKKって聞いたことがあるやろ。

ヨシオ:ああ知ってる。「君(Kimi)はキチガイ(Kichigai)で狂って(Kurutte)いる。」という意味の頭文字を集めてKKKって呼んでいるんやろ。

ポニョ:違うっちゅうに。黒人を対象として差別している心が狭い人たちの集団なんや。でもそのグループの会員にデービスさんという黒人ミュージシャンが近づき「君は僕が黒人という理由だけで嫌っているけれど、実際僕の事を肌の色以外何にも知らないじゃないか?一緒に食事をして僕の事を紹介させて来れないかな」と言って夕食を一緒に食べるんや。そこでその人種差別主義者の人にいろんな質問をしたり自分を紹介したりして、その人種差別主義者の人と仲良くなって心を打ち解け合うんや。

ヨシオ:それってめちゃ勇気が無ければ出来ない行為やな。

ポニョ:そうやろ。おいらも最初にそのデービスさんの話を聞いて世の中にはこんな勇気がある人もいるんやと知って嬉しくなったぜよ。それで今まで二百人以上の人種差別主義者を改心させてKKKから脱会させたんやで。

ヨシオ:ふーん。なかなか出来ない事やな。俺やったら「君は人種差別主義者ですか。それは間違っていますよ。でも君の信条を信じるかどうかは君次第やけれど、そういう狭い考えでこの世の中を生きて行けば、なかなか神様に到達出来ませんよ。俺たちは肌の色が違うだけでその下に流れている血の色は誰でも同じですよ。」なんて言ってあとはその人種差別主義者の人が改心するかどうかは、その人次第やから俺の言いたい事は終わったので、後はその人の中にいる神さんにお任せしてその人の事を忘れてしまうやろな。

ポニョ:あんたはそうやっていつも飄々と生きているけれど、おいらから見たら少しクールっていうか、心が入っていない様な気がするぜよ。最近も解放されたシリア最大の街アレッポに女性のジャーナリストが二週間ほど入ってレポートしていたけれど、カメラを前にシリアの子供達の話をしている時に何度も声を詰まらせてしまうんや。シリアの子供達が体験した戦争の悲惨さがそのジャーナリストを通じてこちらに伝わって来たぜよ。あんたの様に飄々としたジャーナリストやったらそういう同情心とかが伝わって来ないと思うぜよ。

ヨシオ:俺は別に戦争ジャーナリストになりたいと思っていないからええやないか。

ポニョ:おいらが言いたいのは霊的な道を歩んでいる人達は、往々にして他人の不幸や苦しみをその人が過去から持って来たカルマを支払っているだけやとか言って、そういう他人の苦しみや不幸を見ても自分はいつもハッピーにならなければいけない。だって外側に見える全てのものは自分の中にあるものの反映、反響、反応やから。だから何を見ても聞いても自分がハッピーやったら全てのものはハッピーに見えるなんて言っているのを聞くとなんか悲しい気持ちになるんやぜよ。

ヨシオ:ポニョはフーテンの寅さんみたいに人情家やもんな。そう思って当たり前やろな。

ポニョ:シリアのジャーナリストが取材した子供達の置かれた状況ってとてもひどいんや。多くの子供達が両親を失ったり負傷したりしているから、自分の幼い兄弟たちを養うために酷い労働環境と低い賃金で学校にも行かず働いているんや。モハメド君を例に取ると週に六日、一日十一時間も働いて月給千六百円なんやて。それでも絶対に難民にならずに幼い兄弟姉妹を自分が両親の代わりになってこの生まれ育ったアレッポで育てるんだと決意して頑張っている姿を見たら涙が出て来たぜよ。あんたはそういう悲惨な事件や出来事を見てもそれに感情を移入したら、その思いが霊体に深く刻まれて生まれ変わる原因となるとかなんとか言っているけれど、実際にシリアの子供達の苦境を見て知るとおいらは霊体に思いが刻まれようが、また生まれ変わろうがそんな事に関係無く、彼らの為に一肌脱いで一生彼らに寄り添いながら支援して行きたいなという気持ちでいっぱいになるんやぜよ。そういう困った人たちの同情心や憐れみの心が無ければ霊性なんて、「どこ吹く風ですか?」の世界になってしまうぜよ。シリアの全ての子供達が幸せになるまでおいらは何百回でも生まれ変わっても良いなと思うんや。サイババさんも貧しくて子供達の食べ物を与えられない母親が絶望して自分の子供達を殺し、自分も井戸に身を投げて自殺した新聞の記事を読みながら、目から大粒の涙が出ていたぜよ。霊性って何があっても、何を見ても聞いても冷静になる事ではなく、そういう苦労をしたり苦痛な状況に置かれている人達に寄り添って全てに愛を注ぐ事なんじゃないかなって思う時があるんや。自分の外に見る世界は自分の心の反映だ、自分がハッピーじゃないから外の世界もハッピーじゃない様に見えるなんて芸当は、とてもやないけれどおいらには出来ないズラ。

ヨシオ:今、ポニョが言った事はとても重要な事やな。それと同じ事をヴィヴェカナンダも言ってたよな。「私はインドから飢え死にしそうな野良犬が一匹でもいる限り、その野良犬の為に生まれ変わる」って。すごい愛に溢れた高尚な魂しか言えない言葉やな。ポニョが同じ様な事を言うなんてちょっとイメージが狂うけれど。

ポニョ:何でですか?本当に心からそう思っているんでヤンス。シリアの戦争孤児とオクラの為には何度も生まれ変わっても良いって。

ヨシオ:ほら。だんだん本音が出て来た。実際神の化身もこの世に人の肉体を取るという事はめちゃ面倒くさいのに、何度も人間の体を取って生まれ変わって来られるけれど、それは俺たちの為なんや。

ポニョ:人の世にダルマを取り戻す為に来られるって言われたぜよ。

ヨシオ:面白いのはポニョも知っているけれど、シルディサイババはシヴァ神が生まれ変わっているやろ。そして次に生まれ変わるプレマサイババはシヴァ神のお妃のパールヴァティ女神が生まれ変わられるんや。そしてそのお二人の間に来られたサティアサイババさんは、シヴァ神とそのお妃パールヴァティ女神様の二人が同時に生まれ変わっていてめちゃパワフルな神の化身なんや。だから三人の生まれ変わりの中で一番大きなお仕事をされるんや。でも今までのところサティアサイババさんがされた目に見えるお仕事って、インドに無料の病院をいくつか作ったり、無料の教育機関を作ったり、アシュラム周辺にいろんな施設やデカン高原に水路や水を送るパイプを張り巡らせたりしただけやろ。もちろん世界中にサイババセンターを作られたけれど。でもサイババさんが言われた様に世界中をダルマが支配するゴールデンエイジの世界を作るという宣言からは程遠いやないか。でもそう言う事が一日で起こる様な大きな出来事が待っているんや。

ポニョ:それがサティアサイババさんが満を期して行われる一生一代の大きな奇跡やもんな。世界中の大空に現れ、山脈を持ち上げ、何千もの体になって人々の間を歩かれるんや。そんな事が起こると地球上はサイババ一色になってしまうぜよ。でもそれまでにこの世界に住んでいる人々が神を求めなければいけないほどの大艱難な時代がやって来るんやぜよ。人が神を求めないと神様はやって来られないもんな。

ヨシオ:そう言う事やな。話は戻るけれど、サティアサイババさんはシヴァ神とパールヴァティ女神二つの要素を持っておられて、そのシヴァ神の男性原理とパールヴァティ女神の女性原理のうち、どちら側がより多くサイババさんの体を通じて現れているかはその時の状況によって変わって来るんや。だからその悲しい新聞の記事を読まれていた時はパールヴァティの要素がより多く現れていたんやろ。でもそれもわざとされているんや。霊性ってどんな事があっても常に冷静になる事と、悲惨な目に遭っている人たちに同情し、愛を持って寄り添って生きて行くことは相反する事ではないんや。この前も話したけれど、自分の周りにあるもの全ては一時的なものであって、いつかはこの世から消え去ってしまうものばかりなんや。ポニョが梅田の駅周辺を歩いている時にたくさんの人がいるなって思うけれど、そのうちの誰一人、百年後に生きている人はいないんや。この世界で名と姿を持つ全てのものはいずれ消え行く運命にあるんや。ポニョが可哀想やなと思って同情したシリアの子供達も年取っていつかは肉体を離れて霊界に旅立つ時が来るんや。そして自分が自分だと思っていた肉体って魂を入れるただの容器やったんやと悟る日がやって来るんや。これはもちろん誰でも早かれ遅かれ体験する事なんや。そして肉体を離れた後、魂となった自分は真の自分ではないと気づいて、真の自分を探しにまた肉体を取ってこの世界に帰り、最終的に真の自分は誰かという事を悟るまで、人の魂はこの世界と霊界を行き来するんや。そしてある人は過去に犯したカルマによって大きな試練をこの世界にいる間に体験し、飛躍的に真の自分を悟れる機会を持つことが出来るんや。

ポニョ:つまりあんたが言いたい事は、人はこの世で体験する悲惨な事件や苦しい思いなどは全て真の自分は一体誰かという事を気づく為なんやな。しかもそれぞれの人たちの真の自分を見つける旅は、それぞれ人のカルマに応じて、旅の苦しみの程度も変わって来るんや。

ヨシオ:この世界が本当の世界だと人は思いがちになるけれど、この世界は単なる魂の学校なんや。だからいろんな魂が生まれ変わって来て、それぞれのカルマに応じて色々と苦労をするけれど、その苦しみを他の魂たちが助けて同胞の苦しみの程度を和らげるという行為は、その行為によって苦しんでいる人たちが助かるだけではなく、ポニョ自身も自分のカルマを減らす事が出来るんや。

ポニョ:それって一石二鳥やぜよ。そうか。カルマの法則やら輪廻転生などの霊性の事を知ると、確かにこの世のゴタゴタを見ても知っても冷静になるぜよ。そうか他の人達の苦しみや悲しみに同情して助ける事はとても大切やけれど、それらに対して感情的にならずあんたの様にいつも飄々といした態度で対処して行く事が大切なんやな。

ヨシオ:この世界が真の世界だと人は勘違いしているから、なんでも必死になって感情的になってしまうんや。真の世界はあっち側にあるんや。こっち側じゃないんや。それが分かるまで人々は何度も生まれ変わって、あっち側の世界とこっち側の世界を旅人みたいにウロウロしなければいけないんや。でもこっち側の世界で欲望を満たそうと思っても、それはいつも失敗し、失望のまままたあっち側の世界に戻って行くんや。こっち側の世界のものを追い求めている限り、決してそれを得る事が出来ないと悟るまで。

人は皆、自分の源からはぐれて荒野をさまよっています。
そして、その源へと戻る帰り道を見つけるために、肉体をまとって、この喜びと悲しみ、成長と衰え、希望と失望の世界にやって来るのです。
それは決められた滞在時間内で果たさなければなりません。
一日ごとに太陽はこっそりとほんの少しずつその期間を盗んでいきます。
けれども幻の明かりと荒野のざわめき、そしてそれらの強い印象の見せかけの甘さに心引かれて、人は運命の神の呼び声をないがしろにしています。
五感は人をだまし続け迷路の奥へ奥へと連れていきます。
これは人が笑顔と感謝の身振りをしながら死んでいく代わりに、うめき声と嗚咽を上げながら死んでいく時まで続けられます。
生まれてから死ぬまでの年月は、無駄なものを手に入れることや価値のないことを達成することに費やされています。
なぜなら、満たされない欲望と不健康な感情でハートがいつもチクチク痛み、それが人の本性である平安に影響を及ぼしているからです。
これがずっと人につきまとっている迷妄、マーヤー(幻力)であり、それが人の神髄である神性を影に隠しているのです。22/12/70