サイババが帰って来るよ

Count down to the Golden age

天地創造の秘密に迫る❹

2019-04-18 04:00:32 | 日記
私は天地創造の秘密をこの地上や天国にしまっているのではなく、この二つの境目のところにしまっているのです。
あなた方は、それを瞑想などによって目覚めの状態と睡眠状態の間のかすかな隙間から一時的に見ることが出来ます。
神はその創造の二元性を人の身体の中にしまっておきました。
あなたはその二元性のうちのひとつでも見ることが出来ますか?P, 344 ANDI


ポニョ:昨日は意思の力をどのようにして顕現するかという話やったな。でも、どう考えても食欲や性欲をコントロールするのは難しいぜよ。

ヨシオ:もちろん、普通の人は一度にそういう事をコントロール出来ないから、少しずつやって行けばええやろ。例えばババの日である毎週木曜日だけは、断食するって決めればええやんか。

ポニョ:多分それも難しいやろな。

ヨシオ:俺の昔の相棒は、家族でシヴァ神を信仰していたんや。だから子供の時から毎週シヴァ神の日である月曜日に家族中で断食してたんやで。

ポニョ:おいらの家でそういうことをしたら、もう半分ぐらいの家族は死んでいると思う。

ヨシオ:一週間に一回ぐらいの断食で死ぬわけがないやろ。

ポニョ:いや、精神的に死ぬと思う。もし毎週月曜日に断食したらその日には、みんなお腹が減り過ぎて小さな事でも頭に来て、お互いムカついて来て兄弟喧嘩をして殴り合ったりするので、やっぱり半分ぐらいの家族は殺されてこの世にいなくなっているやろな。

ヨシオ:断食したぐらいで殺し合いするんか。ポニョの家族は。

ポニョ:食欲は断食して行けば少しはコントロール出来るかもしれないけれど、性欲は難しいぜよ。この前も読者の方が性欲のコントロールなんて無理ですなんて言ってたから、現代の世は性欲を刺激する広告などがどこを見ても氾濫しているし、ババがカリユガ期では、結婚するのが解脱の近道だって言ってますよと返事しておいたんや。

性欲と食欲という二つの欲望が、すべての人にとって克服すべきものであって、それらが残っている限り苦しみは消えることはないのです。Premavahini p, 72

ヨシオ:確かに性欲のコントロールって難しいよな。ポニョは易経って聞いたことがあるやろ。

ポニョ:難波の心斎橋筋商店街を歩いていると、真冬の寒い夜に、一人で通りの隅に椅子を二つ置いて、易経、運命鑑定って書いてあるランタンに火を灯して座っていたおじさんがいたな。おいらは、とても可哀想になって「おじさん、おいらの運勢を見てくれますか?」と頼んだんや。すると、「暑い南の方へ行きなさい。そこであなたはこの世に降臨した大物の霊と会うことが出来ます。」って言われたんや。その時は、このおじさんは寒いところに座っているので暑いところに行きたいという願望が、そのようなお告げとなって出て来たんやろなと思ってありがとうさん、と言ってお金だけ置いて帰ったんやけれど、その事があってから、一ヶ月以内にババのダルシャンを受けにインドに行ってたんや。もちろん、運命鑑定のおじさんに見てもらった時はババの事は知らなかったんやぜよ。

ヨシオ:ふーん、その話は知らなかったな。初めて聞いた。そのおじさんはサイキックかもしれんな。それで、その易経の易っていう字やけれど、日の下に月って書くやろ。つまり日と月を合わした字なんや。

ポニョ:そう言えばそのように見えるな。それで?

ヨシオ:見えるんじゃなくてそうなんや。つまり、「易」という漢字は日(陽)と月(陰)を組み合わせた会意文字で、昼と夜の移り変わりや変化を表すとともに、陰陽も象徴しているんや。中国における宇宙観では、太極という大元の神、ヴェーダではブラフマンが二つに分かれて陰陽が生じたんや。陰陽というのは陰あっての陽、陽あっての陰で、二つは別々のように見えているけれど、一対であって切り離すことができないんや。前にもこの話を何回かしたよな。

ポニョ:「天地創造の秘密に迫る❶」で説明したよな。
http://blog.goo.ne.jp/saiponics/e/c6dd41ff23e073077c4b04b377d298c1
ヨシオ:今日で一応「天地創造の秘密に迫る」シリーズは終わるけれど、近い将来少し視点を変えて続きをお送りしますので楽しみにしていて下さい。

このようにインドで伝わっている天啓経典であるヴェーダと同じように、中国の自然哲学である陰陽思想と五行思想が一体化した陰陽五行思想は、宇宙の森羅万象のあらゆる現象は陰と陽の結びつきによって成り立つと説明しているんや。

ポニョ:陰と陽、光と影、プラスとマイナス、天使と悪魔、男と女のようにこの世界は全て一対になっているもんな。

ヨシオ:今日は、あげまんと下げまんは出て来ないのか?

ポニョ:この前、それを使ったけれど、余り評判が良くなかったんや。

ヨシオ:このように陰で表される女と陽で表される男の交わりが陰陽道の規律に則るように営まれることは、自然の理なんや。天地創造の摂理にも則った事なんや。そのためには、気功家が尊ぶ房中術のような養生を守って夜の営みをすれば良いんや。

ポニョ:日本にも貝原益軒「養生訓」の中に、「四十にして接して漏らさず」という記述があるのを読んだことがあるぜよ。つまり、四十歳になれば夜の営みをしても、精液を出したらいかんってことなんやろな。「男は辛いよ。虎さん我慢するの巻」やな。でも四十歳はきついやろな。そんな事をしたら鼻血が毎日出るやろな。まあ、おいらはとっくに干上がっているけどな。若い人は大変じゃ。

ヨシオ:こちらでも、性年齢は早いけれど、干上がるのも早いみたいやな。この前に、水道屋と大工のおっちゃんが喋っているのを聞いていたら、「こいつ、もう五十歳にもなってまだやってるんや。ええ加減にせえや。」とか言って、水道屋をからかっていたな。するとその水道屋は、「俺は再婚してめちゃ若い美人の嫁はんがいてるんや。お前とこの嫁はんみたいに、アイスクリームの食べ過ぎで脂肪で皮膚がパンパンに腫れている嫁はんと違うんや。」とか言って、言い争いをしていたので笑ってしまったな。

ポニョ:確かに、おいらが見た限りでもオーストラリアの女性はめちゃ太っている人が多かったな。脂肪で皮膚がパンパンに腫れているって表現がピッタリやぜよ。ダイエットコークの飲み過ぎやろ。アスパルテームが入っているから、神経がやられていつもお腹が空いたと思ってしまうんやぜよ。話は戻るけれど、ババは年寄りになると霊的なパワーをたくさん持つようになるって言っておられるけれど、それって夜の営みで霊力を使わなくなるからかな?

ヨシオ:それもあるかもしれないけれど、このシリーズの二回目でラーマクリシュナさんの話をしたやろ。

ポニョ:あゝ精液と霊力の関係の話やったな。あれは面白かったぜよ。

ヨシオ:それだけじゃなくて、人って肉体じゃないやろ。だから肉体が年と共に衰えて来ても霊体は衰えないやろ。つまり分かりやすく言えばいつも相対的に元気な霊体が、衰えれ来た肉体から常に飛び出そうとしている状態になるんや。

ポニョ:飛び出そうって、どういうことと何や。

ヨシオ:そうやな、分かり易く説明すると肉体がもうガタガタになって来ているから、肉体に入っている霊体の霊力が自分の霊力を持て余し気味になって、肉体から出て来たがるんや。だから、常に半分霊体が肉体から出てしまいそうな状態になって霊体が持っている霊眼やらでこの世界を見れるようになり易くなるんや。だから肉体の目でしか見れない俺たちよりもっといろんな事が見えたり、感じ取れたり、聞き取れたり、未来や過去が見えたり、その人のオーラが見えたり、今まで肉体の低い波動に阻まれて出て来れなかった神の叡智が容易に出て来れるようになるんや。

ポニョ:だから、ババは年寄りをバカにしたらいかんって言っておられるんやな。

一般に、子どもたちは、70歳を過ぎた人間は役立たずで、社会でも家でもお荷物だという印象をもっています。
しかし、実際はそうではありません。
実に、熱意、勇気、そして、精神的な強さは70歳を越えると増加します。
心的能力とアートマの強さは、人が70歳を越えて初めて頂点に達するのです。
それまで人は、並みの人間のように振る舞い、他の人の手本となる努力をすることはありません。人間の内なる心的能力、神聖な力、意志の力は、70歳を過ぎてから完全に表出し、人が人生において新しい目標を定めることを促すのです。
その結果 、老人は人生について熟考し、その神秘を探求するようになります。
老人に潜在している神聖な力は、若者がもっている能力を上回っています。
その神聖な力は老人の行動においてありとあらゆる形で現れます。 10/2/05

ヨシオ:もちろんそんな霊力が出て来なくても、年寄りは尊敬して大事にしなくてはいけないけれどな。このように年を取って肉体の力が弱くなっても霊力は変わらないので年寄りはその霊力がより強く顕現することが出来るんや。若い人でも睡眠不足の状態で身体の機能が充分働いていない時も霊力が顕現し易くなるんや。

ポニョ:そう言えば、クリシュナがアルジュナにヴァガバッタ ギーターの中で睡眠を取り過ぎたら瞑想が上手くできないって言った一節があるぜよ。

ヨシオ:ババも半覚醒時に天地創造の秘密を神様は隠しておいたので君たちは探し出せますか?と言っておられたな。このように肉体と霊力の顕現は相関関係にあるんや。俺のお袋も死ぬ間際になって肉体が極端に弱った時に、霊力がまともに出て来たのでとても驚いたな。

ポニョ:そうでなくても、お袋さんは人一倍霊力が強い人やったな。

ヨシオ:ああそうやったな。まだ若い頃からあの人のオーラの色は赤やとかいろいろ言ってたな。まあ、そういう事を言うのは俺にだけやけどな。また死ぬ間際に「サイババさんがもうすぐまた帰って来られるな」って言ってたな。亡くなる半時間前の事やけどな。それに俺たち夫婦が居間で話していて結論が出なかった問題を、居間から結構離れているお袋の寝室に行くと、その問題はこうすれば良い、なんて人が尋ねていないのにアドバイスをしてくれたので驚いたことも一度や二度では無かったな。また、自分の部屋にいてるのに他の家族のメンバーが何をしているか知っていたな。

ポニョ:肉体から離れてウロウロされていたんやろな。

ヨシオ:一番驚いたのがもう、自分の事が何も出来なくて車椅子生活している時に、他の人の心の動きを読んでいたことやな。あの人は今、心で口で言っている事と違う事を思っているから気をつけなさいとか、今、あの人は自分の良心に向かい合うことが苦しくて席を立ったんやで。とか言っていたな。

ポニョ:認知症になって十年以上にもなるのに、それはびっくりやな。

ヨシオ:もう自分の事なんて少しも出来ないし、俺のことも覚えていないんや。なのにだんだん顔が神々しくなって行って、一言一言の言葉が、ババがお袋を通じて話しているって分かるんや。特に、顕著やったのが以前にも記事にしたけれど、俺がうっかりしてお袋をお風呂でのぼせさせた時に、お袋が赤い顔をしながら俺に、「この身体をお前の不注意であろうとこのように扱ったら、熱かった。」と言ったんや。

ポニョ:それは嘘や。前に言ったのは、「不注意とは言え、こんなふうにしてこの身体を扱ったら、寿命が来る前に肉体が死んでしまうやろ」と言って、ピンタされたって言ってたやないか。何が、「こんなふうに扱ったら、熱かったや。」下手やけど、上手いダジャレやったぜよ。

ヨシオ:一体どっちやねん。

神はマーヤのために人を形作りました。
二つのマーヤの門があります。
一つは性的欲望で、もう一つは舌の欲望です。
これらの二つの欲望をすべての人は克服しなければなりません。
さもないと、それらを持っている限り苦しみがその後から続いてやって来るからです。
すべての世俗的な欲望は、この二つから派生しているのです。
それ故この二つの欲望を克服した者だけが、この物質世界を成功裏に渡りきることが出来るのです。
これらの欲望は、罪を作る元凶でもあります。
そして罪はマーヤの根をもっと張っていくことになるのです。Prema vahinip, 96




天地創造の秘密に迫る❸

2019-04-17 04:00:30 | 日記
あなたは光です。
それと同じ光が、他の人の中にもあることが実感出来るでしょう。
意識が肉体から離れ、あなた自身が光そのものとなります。
それが解脱です。CWSSBJp260

ポニョ:天地創造の秘密に迫るシリーズの話やけれど、心を鉄粉に例えた話が良く分かって良かったぜよ。

ヨシオ:鉄粉って自分の身の回りにあるから、イメージが掴みやすいよな。神の特質は、サット、チット、アーナンダ(存在、純粋意識、至福)とサット言われても、チットも分からないから、説明されて初めて…

ポニョ:アーナンダそうなんだ、って分かるんや。今日は二人とも冴えてるな。ばっちしカンカンやぜよ。

ヨシオ:どこからカンカンが出て来るんや。

ポニョ:昨日の記事で気になったのが、ババが「意思の力を正しく用いる者は、有徳の人物として光を放ちます。しかし、意志を誤った方向に用いるなら、邪悪な人間となります。」と言っておられたけれど、サットという宇宙に充満している鉄粉が悪い事を思っている人間が強く意思すれば、それらが結びついて大きな力となり、社会に悪い影響を与えるということやろ。

ヨシオ:そういう神へと向かうべき意思の力を、世俗的な方向に向けて生きている人がほとんどやもんな。でもそう簡単に磁力で表される意志の力と鉄粉で表されるサットが結びつく事はないんや。ほとんどの人は、それらのうちの極めて限定的な力だけ使っているんや。意思すればなるなんて言って。

ポニョ:ある受験生は自分の志望校に入るために何でもするって決めて、お百度参りをしたり、性的な欲望を絶ったり、断食をしたりしていたんや。そして自分が入りたい志望校の写真を壁に貼って、その大学に行きたいと常に強く願っていたら合格したんや。それで自分が就職したい会社の写真を貼って、いつものように苦行をしてその会社に就職したいと願っていたら本当に就職出来たんや。次に自分が欲しい車の写真を壁に貼って苦行をし、毎日この車が欲しいと強く願いをかけていたら、ある日その車を買えたんや。そのうち起業家になろうとして、こんなビルがあったらええな。そこを本社にして会社を設立するんやと思って、自分が欲しいビルの写真を貼ったらそのビルのオーナーになって今では会社の社長になったという話がムーという雑誌に載っていたな。苦行によって得た強い意思の力が、サットと結びついたら、いろんな事を成し遂げることが出来るんやな。でも、それって欲望をコントロールしなかったら意思の力が弱くなる事と矛盾してるのと違うか?

ヨシオ:ババが言われた欲望のコントロールという意味は、今ポニョが言った様に苦行をして、性欲や食欲などの五感をコントロールという意味や。だから舌の感覚を制御するために大好きなコーヒーを飲むことをやめただけで、意志の力が増すって言われたんや。インドで五感のコントロールをするために苦行を積んでいるヨギが、スペシャルなパワーを持つことが出来るやろ。でも金に目が眩んだヨギは、それを金儲けの為やブラックマジックの力として使ったりしてるんや。

ポニョ:そのように見れば悪魔崇拝者が小児性欲癖などの欲望をむき出しにして、五感のコントロールと程遠いところにいるから、奴らの持っている力って物や金、権力や軍事力そしてマスコミを使った洗脳力に裏打ちされているだけやって事やな。もちろんレイライン上にあるお城の中でいろんな儀式をして、世界を恐怖の波動で覆うと無駄な努力はしているけれどな。でも五感をコントロールして強い意志を持って生きて行けば、この世の中でいろんな事が出来るって面白い世界やな。

ヨシオ:本当の苦行って五感に支配されている肉体は自分では無いと悟る事なんや。自分が肉体だと思っている限り神様のような途轍もない大きな意志の力を顕す事は出来ないんや。でも神様はそういう力を一人ひとりに顕せる機会を与えて下さっているんや。人は自分の中に宇宙創造の力と結びつけるぐらいの途轍もなく大きな力があるのに、それに気付かず欲しいものがあると、まるで乞食のように手のひらを上に向けながら人に何かを求めたり、コネを利用したり、親の傘をきて世間を渡ったり、金持ちの友達に媚びたり、権力を持っている者の後を金魚の糞のように着いて回ったりして自らの品性を落としているやろ。それって、神さんから見たらとても可笑しい事なんや。

ポニョ:ババはあなたの中に願望成就の牛を持っているのに、どうしてあなたの外にそれを探しに行くのですか?と言っておられるよな。

ヨシオ:つまり、先ほどポニョが言ったように誰でも五感を苦行によってコントロールしたら、そういう力を得ることが出来るんや。でも人は僕はどうしても性欲だけはコントロール出来ませんとか、ポニョのように食欲のコントロールだけは勘弁して下さいとか、綺麗な女性が歩いていたら声をかけたくなったりするやろ。それは心が五感の奴隷になっている証拠なんや。五感が心を支配したら人は悪魔のように振舞ってしまうんや。五感がコントロール出来ていない限り、決して鉄粉に例えられる宇宙に充満しているサットと、意思の力とを結びつけることなんて出来ないんや。だからさっきも言ったように普通の人は意志すればなる、なんて言っているけれどそれは限定的なものなんや。でも、五感を制して得られるパワーを世俗的なものではなくて、神の方へ向かう事に使って初めて人は、人として生まれた目的を達することが出来るんや。さっきの人の例のようにいくら苦行をしてそういうパワーを付けれたとして、起業家として自分の社屋を持ったとしても、それがどうやっちゅうねん。例え富士山の半分の土地を買えたとしても噴火してぶっ飛ぶだけやないか。

ポニョ:あの~ちょっと話が飛び過ぎていると思いますが…。そうか、五感のコントロールが鍵なんや。

あなたは解脱への扉をたたいているのか、それとも執着への扉をたたいているのか。
奥に神がいる扉をたたいているのか、それとも悪魔が潜んでいる扉をたたいているのか。
一体誰のところに行きたいのでしょう。
誰に救いを求めているのでしょう。
誰よりも思いやりのある人、人間の姿でやってきて自ら模範を示している人に求めているのでしょうか。
宇宙の母に願っているのでしょうか。
宇宙の母に食べ物を求めているのか、悪魔に求めているのか、どちらなのでしょうか。
皆さんは神様の方を見ているようでも、神そのものを求めてないのです。
確かに神様に祈ってはいます。
ところが皆さんは取るに足らない物質的なものや、世間のことばかり願っています。
願いがかなう木の下にいて、わずかばかりのインスタントコーヒーの素を願っているのです。
願いがかなう木に向かって、すべてを超えた摂理を求め、永遠の悦びに満たされるように祈らなければなりません。SGc5c23

ヨシオ:それに心っていつもあちこちさまよって落ち着かないやろ。

ポニョ:お猿さんのように木の枝から木の枝へ飛び移り、いろんな物を追い求めるから、心の事をモンキーマインドっていうくらいやもんな。

ヨシオ:どうして、心がいろんな物を追い求めて落ち着かないという理由は、昨日も言ったけれど心って鉄粉のようなもので、欲望に代表される様に磁石によって引き寄せられるからなんや。

ポニョ:つまり、欲望が出す磁力線に引かれて心という鉄粉が動き出すけれど、その途中にもっと欲望が強いものや、見たこともない新しいものが現れると、そっちの方に欲望という名の磁力が強くなり、心という鉄粉が引きつけられるんやな。だから、欲望がある限り人の心は落ち着かないし、神の方へも向かないんや。

ヨシオ:だから、ババは心って欲望という糸で織られた敷物みたいやって言っておられるんや。

ポニョ:ということは、欲望って何かを見たり、聞いたり、美味しそうな匂いを鼻で嗅いだり、おなごの気持ちの良い肌に触れたり、美味しい味を舌で味わったりして、人の五感を使って欲望を満たす事になるから、心って感覚を通じてのみ世界に飛び出して行くって事になるよな。

ヨシオ:おなごの気持ちの良い肌ってなんやねん。でも、ポニョがその綺麗な女の人に見とれている時に、俺が話しかけても耳がつんぼになってしまうやろ。また、一生懸命誰かの話を車の中で聞いている時に、目的地に着いても途中の景色を思い出せないことってあるやろ。そのように、心が何かに集中すると、一部、あるいは幾つかの感覚器官をシャットアウト出来るんや。

ポニョ:でも、心って感覚器官を追いかけて欲望を満足させたり、欲望という磁力線によって影響されるって言ったやないか。

ヨシオ:その通りや。だから、心という鉄粉がとても強力な磁力線によって引き寄せられていたら、近くに少々弱い磁力線があっても影響されないやろ。

ポニョ:それは常識やぜよ。

ヨシオ:それに、その途轍もなく強い磁力線によって、鉄粉がお互いに強くくっ付き合うことだって可能やろ。

ポニョ:そういう場合だってあるかもしれんな。

ヨシオ:人は、この欲望や誘惑の渦巻く物質世界に住んで、その影響を受けずにいる事ってとても難しいやろ。心は常に物を追い求めてさまよい、物だけでは無く、権力、地位、名声などのような目に見えないものも追い求めている。このような時代にあって心をそういう世俗的なものから引き離す方法は、心を神の方にしっかり向けて,鉄粉がまるで一片の鉄の塊になるぐらい強くくっ付かせれるぐらい、神に集中しなくてはいけないんや。このカリユガという時代は、ポニョが知っているように物や金が人を支配し、欲望が渦巻いている時代やけれど、このカリユガ期においては、神の御名を唱える事だけが、あなたを神の方に導いて行くのです、とババが言われているのはその為なんや。

ポニョ:そういや。星やんの神を思う気持ちはめちゃ強かったな。雑談をしていても、いつも一分もしないうちにまた、神さんの話題に変わるんや。でも、この欲望という名の磁力線が、おいら達の周りに張り巡らせれていて、心という名の鉄粉が所構わずあっちこっちに引き寄せられているけれど、神の名というチョー強力な磁力線を自分が発する事によって,鉄粉を神の名に引き寄せたままにしなくてはいけないんやな。ということは、心って鉄粉みたいやけれど、一度、強い磁力線によって鉄の塊みたいになったら、他の欲望が発する弱い磁力線に影響を受ける五感でさえもコントロール出来るって事になるよな。

ヨシオ:そうやな。心は一見、五感に従い、五感によって影響を受けるように見えるけれど、人は自分の知性を働かせれば、心によって五感をコントロール出来るんや。実は、人の知性が心の支配者なんや。つまり、欲望をコントロール出来る知性が心の主人になれるんや。

ポニョ:可愛い女の子が道を歩いていても、君は所帯持ちやから声をかけたらいかんぜよ。と自分の知性が囁くけれど、知性が欲望をコントロールしている限り、知性が心の主人って言えるわけであって、欲望をコントロール出来なかったら、そういう風には言えないぜよ。お姉さん少しお茶でも飲んで行きませんか?なんて言ってしまうやろな。

ヨシオ:それはポニョの知性じゃなくて痴性や。

ポニョ:知性と痴性か。おいらはどちらの方が優勢なんやろな。痴性を使って欲望を満たそうとしている人の方が、この今の世界には多いのんと違うか?

ヨシオ:そうなんや。だから今、全てが逆さまやから世界が混乱しているんや。本当は心が五感を支配し、知性が心を支配し、太霊から分かれたジヴァと呼ばれる人の中にいる個霊が知性を支配し、その個霊が光そのものである太霊に融合する時、人は太霊と一体感を味わうことが出来るんや。つまり自分は光の子であって、その大元の光の中に戻って行くのが解脱なんや。

ポニョ:こうして見ると、現代の世は本当に逆さまになっているよな。

ヨシオ:それに心で思った事って、昨日もゴパール君の例をあげて説明したけれど、サットとチットが結びつく事になるので、すごいパワーを持っているんや。それに想念自体のスピードも、全宇宙にサットが充満しているので、光より速くあっという間に伝わるんや。付け加えて言えば、人の心臓って左にあるやろ。でも、霊体の心は右にあるんやで。

ポニョ:おいらにも分かるように、サット伝えてくれているのに、チットも分からないなんて、アーナンダ、こうなんだといろいろ難しいな。

ヨシオ:何をほざいているんや、ポニョは。

心は、一つの思いから他の思いへとすばやく飛び移ります。
少しの間、あるものに愛着を示したかと思うと、次の瞬間にはそれを見捨ててしまいます。
口を閉ざしておくことは出来ても、心を閉じたままにさせることはまず不可能でしょう。
心とはそのようなものです。
心は欲望という糸で織られた反物なのです。
五感を通じて外界に飛び出して行くのです。
しかし、人は修行によって心を慣らし、役立たせることができます。
もし私たちが人に役立つ仕事や良い事をし、普遍的、絶対的、永遠なものである神に、いつでも思いを寄せていれば道に迷ったり破滅したりしません。
心は五感の支配者なので感覚より強い力を持っています。
知性が心の支配者で、個々の魂が知性の支配者で、神が個霊の支配者なのです。
感覚が心と結合し、心と知性とが結合し、知性が個霊に従う時、あなたは至高神との一体感を味わうことができます。SSnewsVol14
心の力を表現することなどとても出来ません。
思考の速度は、光や風やこの世界の何よりも速いのです。
人にこのような計り知れない力を与えられているというのに、人は自分で弱いものだと思い込んでしまうことは悲しいことです。
また、心と肉体の心臓とは何の関係もありません。SS3/90


天地創造の秘密に迫る❷

2019-04-16 04:00:43 | 日記
意思の力を正しく用いる者は、有徳の人物として光を放ちます。
しかし、意志を誤った方向に用いるなら、邪悪な人間となります。
欲望を減らせば減らすほど、意志の力は強くなります。
過剰の欲望を持ち続けるならば意志の力は弱くなります。
喫煙、コーヒーを飲むなどのいくつかの習慣の内、その一つなりとも減らすことが出来るならば、意志の力は強くなり、知的な能力も増大します。7/4/93

ポニョ:この前、夢精の話をしてくれたけれど、夢精では霊力が失われ無いのに、どうして意図的な射精では失われるんやろか。

ヨシオ:ここで少しラーマクリシュナさんが弟子に秘密に言われた言葉を紹介しよか。

 「神を覚るためには精液を出さないようにすることだ。十二年間出さないでいると特別な力が生まれてくる。体内にメダ神経という新しい神経ができて、あらゆることを思い出し、記憶し――また、あらゆることが理解できるようになる。精液を出すと、人間として最も重要な力が弱まるのだ。夢精は害がない。夢精で出したあと残った分で十分役に立つ。女と過す必要はない。
  聖チャイタニヤがある人に、『あなたは信者たちにこんなに多くの教えを授けておやりになるのに、彼らがさっぱり進歩しないのはなぜでしょうか?』ときかれて、こう答えた。
 『この連中は女と交わって精力をムダ使いするから進歩しないのだ。だから真理(神)を体得することができないのだ。穴のあいた壺に水を入れておくと、みんな流れ出してしまう』」(『不滅の言葉』田中嫺玉訳p. 140より)


ポニョ:結構ストレートに言われているんやな。面白い。という事は、夢精では霊力が出ないんか?

ヨシオ:それは意思の力、心の力が関わっているからなんや。それほど、俺たち一人ひとりが持っている意思の力、心の力ってパワフルなんや。以前記事にしたけれど覚えているかな?王族の息子さんが、ババの部屋の前に座りながら、王族の金を横領していた番頭を殴って懲らしめるイメージを頭の中でしていたら突然ババが部屋から出て来て、お前は頭の中で何回その男を殴って殺したら気が済むんや。この世界ではそれは想像の世界の話やけれど、神の世界ではそのお前が想像していることが本当になるんや。お前がそういう悪いことを想像するとそれは何倍にもなってお前に返って来るから気をつけなさい。と言われたやろ。

ポニョああ、思い出した。そのあと、ババはその人を部屋に連れて入ってその人にヴィジョンを見せたんやったな。あれは面白い話やった。ちょっと引用してみよか。

ここから過去記事です。

ヨシオ:このゴパール君はグジャラティというところにある王国の跡継なんやけど、悪い奴がいて、お婆ちゃんを騙して銀行口座から大金を引き出して横領したり、慈善事業に寄付した金を横取りしたりしてたんや。その事がばれて、ゴパール君は頭に来てたんや。家の人たちは全てババの帰依者でこの世に何の偶然もない。全てを神に捧げたと思えばええやんか。これはカルマを支払ってるんや。仕方のない話やと言って、受け入れていたんやけど、ゴパール君は受け入れられなかったんや。それで、サイの高校に十一年生から編入したんやけど、編入して三ヶ月程してベランダにいる時に、突然ババがインタビュールームから怒った顔をして出て来られて、ゴパールよ。ちょっと中に入れ。と言われたんや。そして、驚いて恐々インタビュールームに入ると、ババはいきなり、お前は一体何をしとるんじゃ。と言って叱られたんや。ゴパール君はベランダに座っていただけで、何も悪いことはしていないのに、どうして叱られているのかさっぱり分からないので困惑してたんや。それでババに、あの~僕が何かしましたか?ベランダに座っていただけなんですが。と答えるとババは、そこに三十分座っている間に三回も人を殴り殺しているやないか。と言われたんや。ゴパール君はベランダの座っている時にその男の事を思い出し、頭の中でその男を殴っているのをイメージして想像に耽っていたんや。

ポニョ:ババが怒って来られたのはゴパール君がそういうことを想像していたからか。頭の中で想像しただけで叱られるってボーッと出来ないな。

ヨシオ:だから、ババの近くにいつもいるって大変難しいことなんや。とても気を使って気を抜くことが出来ないんや。だから、いつも頭の中で良い事を思って、且つ、頭の中で思ったことと言葉と行為が自然に一つに出来る、子供の心を持ったような人でないと難しいんや。

ポニョ:おいらはそれが普通に出来ているな。逆に、何で人は頭の中で思ったことと違うことを言葉として言えるか理解出来ないし、それをやろうとしたら声が震えたり、言葉に詰まったりするからちょっと無理やな。

ヨシオ:ポニョのような人間はババのそばに居てても大丈夫やろな。それでゴパール君はババに、あなたは何でも知っておられるでしょう。あの男は僕の家のお金を盗んでいたんです。許すことなど出来ません。あなたがなんとかして下さいよ。と言うと、だからこうしてお前をここに呼んで殺される事から救っているんや。と言われたんや。ゴパール君は全然意味が理解出来なかったので、どうして僕が殺されるんですかと聞くと、ババは、このお前たちが住んでいる世界では気に入らない連中がいれば殺して消してしまえばそれで良い、と思っているんだろうけど、神の法則では違うんだ。神の法則では、頭の中でイメージした途端にそれが実現するのだよ。だから、良くないことを頭の中で想像すると七倍になってその人に戻って来るので気をつけなさい。お前の場合では、三回も人を殴り殺したので、その七倍だから21回も将来殺されそうになるんだ。でも、その男はお前の事を全然何とも思っていないので、お前のようなカルマを作っていないのだ。さあ、これでもまだその男のことを、嫌いか?と尋ねられたんやけど、ゴパール君はそんなの不公平です。まだ嫌いです。そんな簡単に許せないです。と言ったんや。

ポニョ:この前は十倍になって返って来るって言ってなかったか。状況に応じて違うんかな。でもこのゴパール君はやっぱり、おいらと反応が一緒やな。おいらも同じ事を言うやろな。ほんまに不公平やんか。なんでその男の事をボコボコにしてしまう事を想像しただけで、そんなカルマを作り、将来21回も殺されそうになるんや。絶対不公平やんか。受け入れることなんて出来ないぜよ。

ヨシオ:まあそれが普通やろな。それで、この後ババはゴパール君にヴィジョンを見せられたんや。突然ゴパール君がいたインタビュールームが断崖絶壁の上に変わって、その男が目の前にいたんや。ババの声がしてさあ、お前がやっつけたかった男がいるぞと言われたので、一発ぶち込んだんや。すると男は悲鳴をあげてゆっくりと後ろ向きに歩き、地面にある先のとんがった石につまづいて後ろに転び、崖から落ちそうになっているシーンやったんや。その時ババの声が何処からともなく聞こえて来て、ゴパールよ、何が見える?と聞かれたんや。ゴパール君は男が崖から落ちようとしています。と言ってその光景を冷たい目で見ていたんや。するとババは、その男は手に何か持っているだろう。と言われたので、よく見るとなんと、可愛い赤ちゃんを必死に一方の手に持っていたのが見えたんや。その赤ちゃんはゴパール君を無垢な目で笑いながら見つめていたんや。ゴパール君は男に恨みはあってもその赤ちゃんには何の恨みもないので、赤ちゃんを助けなければいけないと思い、とっさにその崖から半分落ちかけている男のところに行き、その男の身体を抱えたんや。そして渾身の力を込めて男を崖の上に引っ張り上げようとしていたんやけど、とても重くて、ババに助けてください、と大きな声を出してお願いしたんや。すると、なんとか男を引き上げることが出来、赤ちゃんも助かったんや。

そしてゆっくりと目を開けるとババが来てゴパール君の肩に手を置き、ゴパールよ。これでもまだその男のことを嫌っているのか?と聞かれたんや。ゴパール君は、いいえ彼に対する恨みは消えました。もう嫌いではなくなりました。と言ったんや。そして、これはお前の為に私が仕組んだ、恨んでいる人を恨まなくなるレッスンなのだ。これからの人生で、もし嫌いな人が出来たら、今日のようにお前の中にある愛の泉から愛の水を汲み出し、その者をお前の愛の水で溺れさすのだ。自分の愛が引き出せるものならなんでも良い。今回は赤ちゃんだったけれど、それが可愛い子犬でもなんでも良いのだ。とにかく、自分の愛の泉から愛を引き出せるものをイメージして、その自分が恨んだり嫌いだったりしている人の上に投影するのだよ。そうすれば、その者を今のように嫌いではなくなるようになるだろう。一番理想的なことは、その男もお前もお互いに愛を持つことなのだ。
でもそれが難しければ、お前だけでも、あの男を嫌いにならないようにイメージすれば良いのだ。でないとさっきも言ったように、もしこのまま放置したらあの男ではなく、お前が新しいカルマを作ってしまうのだ。あの男が何処か遠くにいてお前のことを嫌っているかどうか、そんな事は問題では無いのだ。大事な事は、お前がその男を愛しているかどうかなのだ。と言われたんや。

ポニョ:これは、すごいレッスンやぜよ。こんなレッスンをされたら誰でも、嫌いな人がいなくなってみんなを好きになれそうやな。

ヨシオ:ゴパール君も同じ事を言っていた。もういつでも、心を開いてその男と一緒にコーヒーを飲みながら談笑出来るって。恨みのうの字さえもう無くなったって言ってたな。
ちょっと、年取ったゴパール君です
過去記事終わり

ヨシオ:このように、意思の力、心の力ってとてもパワフルやから気を付けないといけないんや。最初の話に戻るけれど、性の営みをするという意思の力が射精時に入っていると、霊力も一緒に出てしまうんや。でも、夢精では覚醒時のような意思の力が働いていないやろ。

ポニョ:ババは君たちは実は途轍もない大きな神の力を有しているのです。何でも出来るのです。君達はまるで自分の巨大な力に気付かずに、自分よりはるかに小さな飼育人の命令に従っている大きな象のようや。と言っておられるけれど、その大きな力って意思の力、心の力の事なんか?

ヨシオ:心って本来何の力も無いんや。それが意思の力と結びついた時に大きな力となるんや。ババが心の力と言われる時、意思の力が心に作用している状態を指しているんや。分かりやすく言うと、この宇宙空間全体に鉄粉が充満しているとしよう。宇宙空間を膨大な量の鉄粉が隙間なく漂っているんや。そして、人の意思の力を磁力に例えるとどうなる?

ポニョ:そうやな。その大量の鉄粉を自分が出す意思の力、つまり磁力で自由な形に作り上げて行くことが出来るんや。

意思は至高神の本性です。
至高神はたんに意思するだけで、何事をも直ちにやり遂げます。
しかし人間は意思したことを、思いのままに成し遂げることは出来ません。
意思の力が決定的な要因です。
人間の意思は、一瞬にして物事を成就させる力を持ちません。
人が強い意思力を持つ事が出来れば、その時彼は至高神の力と等しい力を持つことになります。それを称して、神への帰融と言います。
瞑想によって、神へ帰融することが可能になります。
~内在のアートマの見地に立つことなしに意思と願望を培えば、揺れ動く心は、意思をしたり願望 をしたりする目的のものと交じり合ってしまいます。DVJp39

ポニョ:なるほど、心ってただの鉄粉でそれ自体動かず、あるというだけで何もしないけれど、一旦、磁力に例えられる人の意思が働くとその磁力によって鉄粉はどのような形や物になってしまうって事やな。

ヨシオ:説明する便宜上、心という言葉を使ったけれど、正確に言えばサットと呼ばれるのが鉄粉に当たり、チットと呼ばれるものが純粋意識でそのサットに意思の力を吹き込むんや。そしてそれらが全て至福アーナンダで包まれているのが創造主なんや。

「サット・チット・アーナンダ」〔実在・純粋意識・至福〕は神の基本的な特質です。
しかも、これらの基本的な特質は、生まれつき人間に備わっています。
ところが、人はこれら基本的な原理を実践に移すことができず、誤った認識のためにそれらを無駄にしています。
1972/7/8

ポニョ:あーなんだ、そーなんだ。チットも知らなんだ。

ヨシオ:何を言ってるんやポニョは?そのようにしてババは無からいろんな物を物質化されるんや。鉄粉に例えられる動かず、全てに充満しているサットが、神の意志によって姿形を取ったものが俺たちが住んでいるこの世界なんや。

ポニョ:なるへそ。今の例えは分かり易いしぜよ。すると、姿形の無い鉄粉に例えられるサットが、今自分たちの周りにある五代元素に姿を変えているんや。

ヨシオ:それをまやかし、迷妄、マーヤーと呼ぶんや。今回は分かりやすい様に鉄粉に置き換えたけれど、元々は実態を持っていないものが姿を現したんや。

ポニョ:その宇宙に充満している姿形が無いものが、意思を持ち、しかも至福に満ちているのがブラフマンつまり創造主なんや。その創造主と同じ意志の力を持ち。自由にその意思の力で宇宙に充満している鉄粉に例えられるものをコントロール出来る力を与えられているのが人間なんやな。だから、自分たちは象のように大きな力を持っているのにそれに気づかず、蟻のように小さな事に思い悩んで、自分の持っている大きな力を顕現せずに毎日をしょうもない事に時間を潰して過ごしているのがおいら達なんや。

ヨシオ:その通りや。意思の力を目の前の取るに足らないような小さな物に向けてそれを欲しがったり欲望を満たしたりしているのが人間なんや。そうではなく、もっと大きな神御自身を求めれば、人は神そのものとなり全てのものを自動的に手に入れることが出来るんや。人はその意思の力を欲望に向けて無駄にしているんや。欲望に向かう意思の力をどんどん減らして行くと、逆に意志の力が増えて行くんや。

ポニョ:欲望に向かう意思の力と神さんの方に向かう意思の力は反比例するんやな。それはおいらでも良く分かるぜよ。当たり前田のクラッカーや。

ヨシオ:クラッカー?また、食べもんが出て来た。だから今日の晩御飯のおかずはオクラの天ぷらやったらええなとか、世俗的な事ばっかり思ったらあかんって言っているんや。

ポニョ:でも、そんな小さい事や食べ物の事でおいらは幸せになれるんやぜよ。

ヨシオ:それはまた別の話や。

物体はどのようにして生じるのでしょうか?
物体は意志の力によって創られます。
(ここでスワミは黄金の鎖を物質化なさり、スワミがこれを意志したとおっしゃいました。)
この鎖は、私の意志から生じ、意志する前には存在していませんでした。
すべては神の意志によって生じます。
神はマーヤー〔幻影〕の原因です。
全創造物はマーヤーと神が結合したものです。
マーヤーがなければ創造はあり得ません。
それゆえ、マーヤーはすべての人に影のようにつきまといます。
人はマーヤーの影響のもとに人生を送ります。
マーヤーは影と同じように私たちから去ることはありません。
マーヤーはあらゆる迷妄の原因です。
太陽が昇るとき、影はとても長くなっています。
太陽が頭上にあるとき、影は足の真下にあります。
このように、影は長くなったり短くなったりします。
ですから、私たちは影を人生の基盤とするべきではありません。26/12/07

天地創造の秘密に迫る❶

2019-04-15 04:00:56 | 日記

すべての人間が、友愛に満ち、この世の幸福を願う人であることが求められています。
しかし今日の人間には、そのような友情と愛の感情が欠如しています。
ミツバチが花から蜜を吸うように、人間は、あらゆるものの中に善を見ることができなければなりません。
皆さんは、悲しみの井戸からさえも、幸福の水を汲み上げることができなければなりません。
それが愛の真の性質です。
楽しみは、苦痛と苦痛の中間点に過ぎません。
神の創造物の中には、楽しみと苦痛が共存しています。
たとえば、神がどのように人間の身体を作ったかを考えて見ましょう。
美しく輝く顔の上には、真っ黒な髪の毛があります。
しかし、実際は、黒い髪が顔の美しさを際立たせているのです。
同様に、楽しさに価値があるのは、苦痛との関わりがあるときに限られます。
あらゆるものの中に善と悪が共存しています。
しかし今日、人間は善に引き付けられることがなく、あらゆるものの内に悪のみを見るのです。28/7/99

ポニョ:昨日はヴェーダの教え、外的な世界と内的な世界、そして人を迷わす為に、神が姿を物質という形で現したこの世界について記事にしたよな。ところで、神が人を迷わす為に現した物質世界と神御自身の関係やけれど、一見別々のように見えるよな。だって、自分の周りに起こっているいろんな出来事や、物質、人や生き物を見て、すぐに「あゝ、神さんがこんなところにいてる!」なんて言える人っていないやろ。

ヨシオ:これ以上突っ込んで話すと、天地創造の秘密にまで話が行ってしまうから難しくなるけれどそれでもやるか?面白くないと言って、アクセスする人が減ってしまうで。

ポニョ:別においらはええけど。だって、一年半前にブログを始めた時はアクセスがたったの四人からスタートしたから平気やぜよ。

ヨシオ:そうか。それじゃ始めるけれど、神さんが自らの意志の力で、姿を現したのがこの物質世界なんや。だから、砂糖の甘さが砂糖の中にあるように、また太陽の光や熱が太陽の中にあるように、そして氷の中に冷たさがあるように、神さんと神さんが自らを現した物質世界は、切っても切り離すことが出来ない仲なんや。というか、それらは二つに見えていても実は一つなんや。

ポニョ:だから、不二一元って言うんやな。

ヨシオ:姿形の無い、属性も持たず、至福に満ちた神が自分で意思し、自らをマーヤー(迷妄)のヴェールで包んで俺たちの目に見えるように現されたのがこの物資世界なんや。

ポニョ:そして、「君が見ているのはまやかしですよ。君は本当は神様御自身を見ているんだよ。物質や生き物や人を見て、話して、体験していると思っているようだけれど、それらはすべて「私」なんだよ。そう!君自身も「私」なんだ。それを君に与えた短い人生で悟るんだ。それには、君に私が与えた五感を使って探そうとしても無駄なんだ。五感では私自身を覆っているマーヤー物質世界のヴェールしか見えないんだ。
もっと、自分自身の中に深く沈潜して霊的な目、内的視力を使って周りを見てごらん。内的視力を英知で満たすんだ。するとマーヤーというヴェールで覆われたその下に「私」という名の君が見えるだろ。そう!君がずっと探していた神さんって君自身だったんだ。つまり君は「私」だったんだ。面白いゲームだろう。この世界にこれほど面白いゲームってないよ。「私」が私自身を宇宙というヴェールで包み私自身を隠して君に探させる宇宙規模の隠れんぼゲームだよ。
君がこのゲームを楽しんで遊んでいるのを見るのが私の一番の喜びなんだよ。ただ、それには、君が今住んでいるこの世界が、君がいるべき本当の世界ではないって事を分かって欲しい為に、わざとこの世界を少し住み辛くしているんだ。人生が快適で何事も順風満帆に進むんであれば、私が作ったこの宇宙大のかくれんぼゲームを誰もしてくれないだろう。だから、この君が住んでいる世界を、常に移り変わり全てが変化するように、そして、少し残酷なように創ったんだ。よく出来ているゲームだろう。

(世界は残酷)というようにわざと創ってあるのです。この世界の目的は人の不満をつのらせることにあります。そういう傾向に人を持っていかねばならないのです。それが充分強くなった時に初めて、人は神を捜し求めるのです。Interview with New York devotee

ポニョ:このゲームは、私がちょっと頭の中で想像し、意思しただけで創り上げたんだよ。君が、この私が創ったゲームを楽しんでくれることを望んでいるよ。そう、大事なことは、どんな事が人生で起こっても、それは君がこの世界は本当の世界じゃないって事を分かってもらうために私が仕組んだ罠なんだ。だから、いつも唇に微笑みを浮かべて人生の苦難を乗り越えて行ってね。だって君が、私が楽しむために作ったゲームで悲しい思いをしたり、苦しくなって涙を流すのを見ているのが私には一番辛い事なんだよ。というのも、君は私自身だからね。私は、どんな小さな君の心の痛みまで感じることが出来るんだ。そんな時に私は、私の作ったゲームの中に私自身を神の化身として参加して、君に、この世界はただのゲームだからそんな真剣に悩まなくてもいいよ。
ほら、これを読んでご覧。ここに答えが書いてあるだろ。ちょっと難しいけれどこの本を読んでね。ヴェーダって言うんだ。ここにこの世界は、ただのゲームだよって書いて説明しておいたからね。分かったかい。何?難しくて読むのは嫌だ?あかんヴェーダやて?ちょっと、私をおちょくるのをやめなさい。私は神様なんだよ。ヴェーダが難しくて読めなかったら、ポニョのブログを読めばいいよ。ひっちゃかめっちゃなブログだけれど、時々本当の事が書いてあるよ。そしてこの世界の創造の秘密が分かったら、私のようにいつもニコニコして生きて行くんだよ。分かったかい。何?まだもう一言、言いたいことがあるって?何だい?遠慮しなくてもいいよ。
君と私は一つなんだからね。ええ⁈なんだって?ポニョのブログはアホらしくて読めない?あかんヴェーダ?おのれ、ヴェーダをなめたらいかんぜよ。ヴェーダは又の名を天啓経典と言って、私が直接、瞑想をして深く沈潜している聖者の耳元で囁いて書かした聖典なるぞ。何があかんヴェーダや。神さんをなめとんのか?優しくしてたら、つけ上がりやがって。おんどりゃ~しばき倒したろか?」と神さんは思っておられるんやろな。

ヴェーダは軽視されてはなりません。
全創造の神秘がヴェーダの中に含まれています。
ヴェーダは人生の目的と目標を定めています。
創造、維持、破壊に関するすべての事柄がヴェーダの中に含まれています。9/8/2006

ヨシオ:ああ長かったな。ポニョ神さんの説明は。でも面白かったな。久々のポニョの神さんになり切り芝居は。あかんヴェーダが良かった。でも、ポニョ神さんって俺みたいやったな。

ポニョ:母親からいつも良い友達を選びなさいってよく言われたな。ガラの悪い友達を選ぶと、悪い影響を受けてしまうって言ってたな。本当にあんたと友達になれて良かったな。

ヨシオ:あのな....。神様って言葉で表現するのが難しいけれど、敢えて表現すれば「純粋意識で至福そのものである絶対実在」って言えるんや。今俺たちが説明して来たのは、周りに見える存在している全てのものは神さん、つまり絶対実在って事なんや。それで、その神さんが純粋意識について、少し深く見てみると、そもそも純粋な意識と言う限り、不純な意識もあるって事やろ。実は、純粋と不純という言葉は全てが神さんだという観点から見たら何の違いも無いんや。例えば、暗闇という言葉もそこに光が当たれば暗闇で無くなるやろ。明かりがあって始めて暗闇という概念が出来るやんか。どっちか一つだけの概念って不可能やろ。

あなたが急に恐怖に捕らわれたのは、目の前の道に蛇がいると思ったからです。
紐が蛇に変わって恐怖に捕らわれたのは、心の中の出来事です。
蛇は本当にいたのでしょうか。
いいえ蛇などいません。
それならどうして、ただの紐がどうして蛇になってしまったのでしょうか。
それは、マーヤーのせいです。
どんな場合にマーヤーが現れ、それに捕らえられてしまうのでしょうか。
薄暗がりや闇の中では、紐しか無いのに蛇が見えているように思い込んでしまいます。
闇のせいでマーヤーが皆さんを捕らえてしまうのです。
本当は、紐が蛇になることはありません。
迷いが人の心を曇らせ、正しくものを見る目を覆ってしまうのです。
この迷いが、マーヤーです。
懐中電灯を照らしてみれば、蛇などどこにもいなくて、ただ紐が落ちているだけだと分かるはずです。
光りが射すとともに迷いが払われて、本当は何があるか分かるのです。
現実にあるものは、いつでもそこにあります。
消えて無くなることはないし、別のものに変わることもありません。
少しも変化することはありません。
現実を覆い隠しているマーヤーだけが現れたり消えたりするのです。
心の中でマーヤーが、形になったものが写し出す力と呼ばれるもので、マーヤーのもう一つの力です。
変わることの無いものの上に、まるで違ったものを写し出します。
この場合は蛇でしたが、別の状況ではまた違ったものになるでしょう。
気分、楽しみ、苦しみは、どれも現れて消えていきます。
親戚の人が家にやってきても、いつまでもいるわけではありません。
それと同じように、マーヤーは、人を迷わせながら現れては消えていきます。
心を迷わせて紐を見えなくさせるのが「覆い隠す力」です。
心の中で蛇のように見せている妄想が「うつし出す力」です。
明かりがあれば、紐はただの紐でしか無いことが分かるでしょう。
そうなれば蛇は消えてしまいます。
マーヤーの二つの力は、闇とともに現れて、光りとともに消え去るのです。
「覆い隠す力」と「写し出す力」はいつも一緒に現れるのでしょうか。
それとも別々に現れるのでしょうか。
この二つの力は、普通同時に現れて消えていくものなのですが、熟睡状態では、「覆い隠す力」があるだけです。
二つは別々に現れたり消えたりします。
マーヤーは、言葉では説明し難いものです。
いつ始まったとも言えず、いつ終わるとも言えません。
マーヤーは、英知の光が輝くとともに消えて無くなります。
その時、ただ一つの変わることの無い真実が姿を現すのです。SGc33

ポニョ:あなたは、明るい性格な人やねという時、暗い性格の人がいてるからそういうことが言えるもんな。あんたはブサイクやね。と言えば、美人さんが何処かにいるから言えるんや。それと同じ事やろ。

ヨシオ:ポニョは陰陽道って知っているやろ。丸の中に二つの黒と白が渦を巻きながら上手く収まっているシンボルや。神様ってそれと同じなんや。英知と無知、正義と悪、男と女、プラスとマイナス、善と悪、ポジティブとネガティブ、悲しみと喜び、オスとメス、あげまんと下げまん。そういう二つの相対するものが一つの丸の中に上手く収まっているんや。

ポニョ:どこから、あげまんと下げまんが出て来るんや。

世俗の世に生き、世間的な事柄にかかわる人にとって、正と邪、真理と非真等の対立している二元から避けて通れません。
世俗の暮らしをしている以上,二元を逃れることは不可能です。
平安と安全を苦楽の内に見つけねばなりません。
喜びは悲しみと裏表の関係にあります。
楽しみは二つの苦痛の合間にあります。
人生は光と影の結合です。
悲しみがなければ幸福もありません。
暑い太陽に照らされて歩めばこそ、涼しい木陰を楽しむことが出来るのです。
人生は常にこのような具合ですから、楽しみだけを享受するのは不可能です17/2/96

ヨシオ:つまり英知は神様の中で光を放っているけれど、その英知の光があるおかげで、影も出来るんや。その影である無知という神の力が世界を創造し、俺たちのような人間や生き物をたくさん創り出したんや。英知も無知も純粋意識の中に含まれているんや。このように神様って、大きな一つのものでもあるけれど、個々のようにも見えるんや。

ポニョ:全体でもあって、同時に部分でもあるものの基盤が神様っていうわけやな。ぶっちゃけて言えば何でも全てが神さんなんや。自分が追い求めていた神さんは、実は自分やったんや。それが答えってわけやな。自分が自分やったっていう神様の作られたゲームの答えってユニークやな。周りのもの全てが神様やったんや。全てが一つやったんやと悟ればゲームは終わりや。チーンジャラジャラ~。ゲーム終了で~す。景品のお引き換えをしてくださいね。その台は終了しました。

ヨシオ:なんで、ここでパチンコが出て来るんや。ポニョは台を終了させた事があるんか、すごいな。でもギャンブルは良くないねんで。まとめて言うと、俺たちが見る全てのものが、真の実在である神様そのものや。
だから、神様を真理、サティアとも呼ぶんや。その神様は陰陽道のように二つの相対するものの基盤なんや。俺たちが目にするこの広大な宇宙は、目に見えないたった一つの絶対実在から生じたものなんや。だから、全ては一つなんや。これが宇宙創造の秘密なんや。そういう不二一元の教えを、ちょっと難しいけれど、このブログで発信して行くのも俺ら達の役目なんや。少しずつ人々が本当の幸せって何か考えて行ってくれたら嬉しいよな。

ポニョ:あの頭がプーチンもヨーガを始めたしな。「ヨガは、肉体的なものから精神的なものまでの成長を伴うが、私は今のところ精神的な所から始めたと言える」って言ってたぜよ。
http://jp.sputniknews.com/politics/20150711/561542.html#ixzz3fZuz6HOR

全ての人類の霊性の発展の為に、一体性を培う教えを広めなければなりません。
人類を、二元から不二一元に導かなければならないのです。21/11/95

ポニョ:宇宙創造の秘密は「真理」に有りか。今日はなんか久しぶりに頭を使ったからめまいがしてきたぜよ。いつも軽い話題を記事にしているから頭を使わないけれど、たまにはこういう話もええよな。でも毎日こんな記事ばっかりアップしてたら誰も読まなくなるぜよ。今日のアクセスは、よしだ君とみどりさんと通りすがりのシヴァ神大好きさん以下残り数名でした。なんて事になりかねないから、しばらく軽い話題をしてからまたこの話しの続きをすることにしよか?

ヨシオ:そういや、考え過ぎてポニョの耳から煙が出て来てるな。脳みそが火事になってるで。

不活性物質と純粋意識は全宇宙の二つの本質的要素であり、それは至高神と自然の関係に当たる。
純粋意識の力が歓楽の思いを抱けば、この世界を現出する。
そして、不活性物質は肉体となる。この両者とも私である。
この事により、創造、維持、破壊をもたらすイーシュワラは私なのだということを覚えておくのだ。
私以外の物質は存在しない。
私以外は、実体が無いのである。
私は第一原因であり、根本物質である。
私は唯一者である。
その私が多となろう、といって私自身がスリシュティと呼ばれる多様性の形で自らを拡大することを決意したのである。
その決断が、マーヤーシャクティに影響を及ぼして活性化させ、宇宙の原理が生まれた。
それが自然界の進化の第一歩であった。
物質的な目で見れば宇宙には多くのものが存在しているように見えるがそれは間違っている。
沢山の物が存在しているのでは無く、内的意識は常に唯一者に向けられている。
それこそが真の視力である。
内的視力が英知に満ちている時、世界すなわち宇宙はブラフマン(神)として映り、それ以外のものには見えない。GithaVahini c11

カルマを取るのがカルマヨガなのか?

2019-04-14 04:00:48 | 日記
ポニョ:いくら自分の心の中におられる神さんの声を聞こうとして耳を澄ましても、聞こえてこない事があるな。

ヨシオ:神さんの声を誰でもそんな簡単に聞けるというわけではないんや。
昔から、今年は雨がよく降るでしょうか?とか、豊作でしょうか?とかいろんな事をそういう神のお告げとか、霊の囁きを聞ける巫女さんなどを通じてメッセージをを得ることが出来たんや。

ポニョ:そういや、学校で卑弥呼が未来の出来事を占うのに亀の甲羅を火にあぶり、乾燥して出来たひび割れのパターンを読んでいろんな事を占ったという話を日本史の先生がしていたな。
実は日本史の授業で覚えているのはそれだけやねん。

ヨシオ:古代史って面白いもんな。ババは人類の歴史は君たちが思っているよりずっと古いし、もっとアドバンスのテクノロジーを持っていたと言っておられる。

ポニョ:そういや、ヒラニヤカシプは地球の自転の速度を変えたり、地軸の角度を変えたり、北極星まで旅をしたりしたんやろ。
ババはバガバッドバヒニの中で、各ユガ期は大洪水によって終わる、と言ってられるから古代の超文明も大津波で押し流されて今では跡形も残っていないんやろな。

ヨシオ:でも、オーパーツと呼ばれる古代の超文明の遺物が世界中から掘り出されている。

ポニョ:オーパーツって今の科学では説明出来ないような機械の一部やら、クリスタルの頭蓋骨やら高度な科学技術を持った掘り出した物やろ。

ヨシオ:実際、俺たちが今住んでいる地球には何度も何度も高度な文明が栄え滅んで行った痕跡が世界各地にあるんや。だって、人類の歴史は四つのユガ期が順番に回ってやってくるんやけど、今俺たちの生まれたカリユガ期の前にもたくさんのユガ期があったんや。

ポニョ:つまり、今までたくさんカリユガ期のような時代を人類は経て来ているって言いたいんやろ。世界中にそういう巨石文明とかあるもんな。どうやってあんな大きい岩を切り出して巨大な構築物を造ったんやろな。

ヨシオ:特に俺が面白いと思ったんは、南米にある岩をくりぬいた用水路やねん。その用水路は巨大な岩の中を直角に二回も曲がってるんや。どのようにしてそんな大きな岩の中の岩をくり抜けるのか現代の技術を使っても不可能なんや。だってその用水路は人が入れるような大きさではないんやで。

ポニョ:不思議な事があるんやな。そういやヴィジャヤクマーリさんがバトラナードゥ寺院にババと行かれた時、ババが昔は人は空を自由に飛んでこの寺院に行き来していた、と言われた事があるけどナスカの地上絵なんかも空から見ないと描けないやろ、あんな大きな何十kmもある絵なんて。だから、昔は人が空を飛んでいたんやなって分かるよな。

ヨシオ:それって、ババが再降臨された時にされるパフォーマンスやな。昔は普通にそういう事が出来てたんやな。

ポニョ:今でもそういうことが出来る人って実はいるんやろな。だって、以前記事にして紹介したけどあんたの家に居候していた先生が、リシュケシュの湖の真ん中で神への賛歌を十メートルぐらい空中に浮かびながら歌っていたって言ってたな。

ヨシオ:そういうふうに、神を思う気持ち、想念の力が物質で出来ている肉体を空中へ浮かばせる力になるんやろうな。

ポニョ:昔、ババに神聖な力が入って行く時にもババもよく宙に浮かんでおられたな。

ヨシオ:ああ、そういうエピソードが幾つかあったよな。座っておられた木の板ごと宙に浮かんでおられた時もあったな。

ポニョ:そうそう、ラマナマハリシが亡くなった時も宙に浮かび御足からバケツ一杯分のヴィブティを出されたエピソードも有ったよな。

ヨシオ:大元の神であるサイババさんがこの世に降臨される前に、露払いをする為にいろんな高級霊や天使たちが事前にこの世界に生まれ変わって来ていて、色々とお仕事をされていたんや。
そして、これからもそういうアドバンスソウルと言われる魂が、ゴールデンエイジを迎えたら世界中の人々をアヴァターの手足となって導いて行くんやろな。
それで、ババが来られる前と言っても百年以上も前やけど世界中でそのような高級霊や聖者がやって来ていろんな素晴らしいメッセージを、人類に伝えたり空中浮揚やテレパシー物品移動などのパフォーマンスをしたんや。
当時、世界中にスピリチュアルブームを巻き起こしたんや。

ポニョ:おいらも写真を見たことがあるけど、真っ赤に焼けた石炭を頭の上に乗せたり、満員の講演会場で人々の間を空中浮揚して飛び回ったり、舞台の上で一メートルもある刀を身体を突き刺したり、身体を刀が突き抜いてもあのおっさん死ななかったで。レントゲンでもちゃんと刀が写ってたもんな。

ヨシオ:そういうパフォーマンスやら、シルバーバーチや日月神示、お筆書きのような霊能力者や霊媒を介したメッセージも盛んやったな。

ポニョ:いろんな、いわゆる霊能力者と言われる人がたくさん世界中に生まれ変わって、来るべき大元の神さんの御降臨に準備をされているんやな。

ヨシオ:そういう霊能力者によるパフォーマンスや霊界通信のようなメッセージで、いろんな人が霊的に目覚めて霊的な啓蒙活動を始められたな。
そういうのがあるのと無いのとでは全然違うよな。霊的叡智の満ち溢れたババのメッセージを初めて聞いた時に、受け入れ方が早いし良く分かるよな。

ポニョ:以前、神への道は大きな神さんが創られた山を登る登山みたいなもんや。一歩一歩が霊的修行や、なんて記事を載せたよな。だから、そういう露払いに来られた高級霊たちの言葉に耳を傾けて霊的世界に入って行った人はその山登りの五合目ぐらいまで登ることが出来るもんな。

ヨシオ:シルバーバーチのメッセージを研究していた友達がいて、シルバーバーチは大元の神さんへと導く役割をしていたと言っていたな。だから、Silver Birchって白樺の木のことやけど、略してSBつまりSaiBabaのSBと同じや。と気付いて今はサイババさんの帰依者になってられるんや。
蛇足やけど彼はいろんな霊媒師が霊界にいる偉人の名を使って私はニュートンです。とかソクラテスですとか言っている霊媒は注意しなくてはいけない。と言ってたな。内容で勝負するのが本当の霊媒師らしい。

ポニョ:でも、ババは降霊会のようなものに出て自らを神のように振る舞うのは、レベルの低い霊が悪さをしてるから関わらない方が良いと言われているよな。

ヨシオ:そうやったな。人が死ねば肉体から離れて霊界に旅経つけど、この世に束縛を持っているものは、まだこの地上でウロウロしとるからな。それに、そういう連中は肉体の束縛を離れたので、一段階だけ人間より高いレベルにいるので、いろんな人が出来ないことが出来たり、見えないものが見えたりするんや。だから人から見たら神のように振る舞えるんや。

ポニョ:でも、ムーンロカのような高いレベルの霊界に旅立った者も生まれ変わってきたり、人類のために働いたりされているんやろ。

ヨシオ:ババジのようなヨギは何百年も生きて、時々自分の肉体を物質化して人の前に姿を現す聖者もいるし、霊たちの人類への働きかけは数え切れないほどあるよな。

ポニョ:そういうヨギや聖者の霊的な教えを学んでいる人って、ババの教えに接しても理解しやすいやろな。

ヨシオ:逆に事前に、そういう霊的な知識を持たずババを神の化身と認めてその霊的な山登りをしている人は、俺はヘリコプター登山って言うんやけど、一気に七合目まで登れるので、ちょっと酸素が薄い分、酸素切れになって少しお休みする人がいてるな。ババの教えはとてもレベルが高いからな。

ポニョ:もちろん、ヴィジャヤクマーリさんのように前世では神に近かった人は、すぐにババの事を神の化身って認められてたな。逆にあんたが言ってるように、これも記事にしたけどババがインタビューを与えたシンガポール人の人にあんたはまだここに来るのが早すぎる。もうちょっと世俗的な欲望を満たしてから来なさいなんて言われて、現金をプレゼントされていたな。

ヨシオ:人の身体だけみると、みんな目があり、手があってそんなに違いは無いけれど、霊的な目で見るとえらい違いやもんな。動物に近い人がいっぱいいてる。星やんはそれをいつも言ってたな。

ポニョ:うわ~なんやこの人、まるっきりアニマルや!なんて大袈裟やったな。

ヨシオ:俺もいろんなサイの帰依者の人を見てきたけど、あんなに繊細で傷付きやすくて、ババに対して愛がいっぱい持ってる奴っていないで。

ポニョ:とにかく、ババ以外の話にはあまり興味がなかったな。もちろんおいら達に合わしていろんな話もするけれど、すぐにババの話に話題が戻ってたな。

ヨシオ:この世界で生きて行くのはあいつは無理や。日本のサイの組織でもっとしっかり頑張って欲しかったけど早く逝ってしまったな。

ポニョ:あいつがいてたら日本のサイセンターの人達も、すごいババの話が聞けたのにな。惜しいことをした。でもプレマサイの時代にマイソールで生まれるってババから言われてるし、次に生まれた時はこんなややこしいグローバルエリートが跋扈して嘘いっぱい垂れ流している世の中ではなく、真理、ダルマが世界を支配している世界やからあいつにはピッタリや。

ヨシオ:まだ覚えてるわ。あいつの口癖。こんなひどいことが世の中に起こっているけど、それもババがお許しになられているんですよね、みたいな事ばっかり言ってたな。

ポニョ:またこんなこともよく言ってたで。地球の女神様が悲しんで泣いているのが皆さん分からないんでしょうかね。仏様は毎日泣いておられますよ、なんて言ってたな。

ヨシオ:あいつにはこのカリユガの悪が一番ひどい世界では耐え切れんかったやろな。俺は、あいつが喜びそうなバジャンを作ってやったことがある。だってあいつ、いつもバガワーン ババ~のバジャンしか歌わんかったやろ。もちろんメチャ思いがこもってたけどな。
それは、こんなバジャンやった。これを歌ってあいつ泣いてくれたんやで。

ポニョ:神さんの事やったらいつも泣いてるやんか。星やんは。

ヨシオ:そうやったな。まあ黙って聞けや。

良心のささやきが聞こえますか~?
御仏の心の痛み分かりますか~?
物質文明花盛り
カリユガの悪のその中で
真理の叡智を求めて
私は御仏求めます
波阿弥陀仏唱えます
(サイナータバガワーンの曲で)

ポニョ:星やんが好きそうな歌詞やな。それにひきかえ、インドに行って帰って来た時は生き生きしてたよな。朝まで喋ってもまだ元気やったで。三日間続けて徹夜したこともあったな。

ヨシオ:それでだんだん寝不足で霊体が体から離れそうになって、いろんな魑魅魍魎の世界が見え始めるんや。ヨギみたいなやっちゃ。俺は、オーストラリアにいるからそんなにあいつと会う機会は無かったけど、心の中では俺の心の一番深いところまで降りてきて会話できた奴やったな。

ポニョ:ババからもあんなに祝福してもらってるもんな。直接手紙をもらったり、あいつのババの写真からヴィブティが出過ぎて額のガラスがバジャンの最中に割れた事もあったな。

ヨシオ:ババもあいつのおかげで四六時中一緒に付き合わないかんかったから、大変やったやろな。いつも、ババと話しをしてたで。

ポニョ:ババを自分の中に持っていたな。そんなふうにおいらもなりたいな。

ヨシオ:あいつにはババがいつもいるから、霊媒やらサイキックな人やら巫女さんのような人は必要なかったな。
ネパールに行くと雨が止み、空が澄み渡った後、虹が二重にも三重にもできる時がある。日本でも空気がきれいな時、二重の虹ができるよな。
その二重の虹が出来た時に人々は寺院へ押しかけるんや。するとそこには若い少女の巫女さんがいて霊が取り憑いて霊媒になり、人々にいろんな助言をするんや。

ポニョ:ほう。面白いな。二重の虹が出る時でないといかんのけ?

ヨシオ:空気がきれいな時でないと二重の虹が出ないやろ。そんな特に霊媒になるんやろうな。
それで、人にあなたの盗難物は今、そこのバザールのどの店で売られているとか、息子や娘の結婚相手の相談やらをやってくれるんや。

ポニョ:星やんも、そういう事出来てたで。

ヨシオ:あいつは、あなたには変な霊が憑依してるとかというパターンが多かったな。
星占いやら手相を見るのが好きやったな。

ポニョ:あいつの前世は完全なブラミンやで。だって、全然結婚願望もないし禁欲生活なんて普通に出来てたからな。ネットでは性文化が蔓延っていて、目があんたみたいにギラギラしている人がたくさんウロウロしているような世の中で禁欲って難しいやろな。

ヨシオ:あんたみたいには余計やろ。ということで、初めの話題に戻るけど心の中の神さんの囁きを聞くにはどうすればええんやろなっていう話しや。

ポニョ:それがメインの話やったな。忘れてた。

ヨシオ:ババは、このカリユガでは神の御名を唱えるのが一番有効な霊性修行やと言っておられる。というのもポニョの周りを見まわしてみ。ひどい災害や事件ばっかり起こっているやろ。
テレビで放映されてるニュースも嘘だらけや。だから、誰でもそういう非真理に影響を受けるから神の御名を唱えないかんねん。

ポニョ:神の御名は真理そのものやもんな。でも、一日中サイラムって言うのんは難しいで。おいらやってみたけど一時間が限度やな。

ヨシオ:だから、以前俺が言ったように、クリシュナダスさんのような神の御名を何度も唱えているような曲を朝一番に何回か聞くと、それが耳に一日中残るから良いよって言ったやろ。

ポニョ:おおそうやったな。そんな事あったな。ずっと昔の事やから忘れてたぜよ。

ヨシオ:あのな、簡単に忘れんなよ。でも、もしそれが難しいのならババはカルマヨガをしなさいと言ってられる。

ポニョ:カルマヨガってバガバッドギータの第二章やったかな。確か三章もそんな事書いてたな。
やるだけやって行為の結果を神様にお預けしなさいっていうヨガやろ。

ヨシオ:まあそういうことやけど、だからと言って何をやってもええって言う訳ではないんや。自分の良心に基づいてダルマをせなあかんねん。それも、以前チッダムバラムさんの話にあったように、常に注意深くどんな状況になってもそれに対処出来るように、物事を進めていかなあかんねん。

ポニョ:ああ、結婚話を兄貴から反対されていた人やな。ガス欠になった時にババにそのような事を言われて叱られてたな。

ヨシオ:それに、そういうふうにやっても過去生のカルマで全く思い通りの結果にならない場合があるやろ
。だから結果については、もう行為をした後は忘れることや。だって自分が蒔いた種が回り回ってまた自分に戻って来ているだけなんや。それが、良い結果であればハッピーに受け入れたらええけど、悪い結果でもそれをハッピーで受け入れなければならないんや。
それを、自分の思い通りにならないからと言って、コネを使ったり賄賂を使ったり、ひどい場合にはヤーさんを使って脅したりして自分の欲望を人は叶えようとするやろ。それがまた新しい悪いカルマを作ってしまうんや。

ポニョ:自分の欲望を人に迷惑をかけながらゴリ押ししてやる人がいるよな。

ヨシオ:だから俺が言いたいのは、神様を友達として普段からどんな小さな事でも心の中の神さんに尋ねたらええねんけど、神さんは俺たちが自分の英知を使ってどれだけ上手くやれるか見たいんや。だから、いちいち全ての質問に答えてくれないんや。

ポニョ:神さんに質問しても、答えてくれないけど優しく見守ってくれてはるんやな。ババは御講話で二羽の鳥がいる。一羽は食べ物を探したり、さえずったりして毎日忙しくしている。
もう一羽の鳥はいつも一緒にいて相棒を黙って見守っているって。それで、いつも見ている方の鳥が実は本当の自分なんやて。

ヨシオ:プッタパルティのアシュラムで外国から来ている帰依者の為に週に一回、EHVホールで講話をされていた俺の知り合いがいるんやけど、何をするにも、どこへ行くのにも肉体をとっているババの許可を得てからしかされないんや。
ババは、お前がお腹が空いた時には、私の許可を取らずに食べるのにどうしていちいち小さい事を私に聞きに来て、私の邪魔をするのだ。自分の頭があるやろ、と言ってと叱られていたな。

ポニョ:要するに自分の心の中のババに聞けばええんやろ。肉体のババは一人だけやけど、心のババは全ての人の中におられるもんな。

ヨシオ:でも、心の中のババに聞いても何も言ってくれない時の方が多い。どうしても答えを聞きたいときは声に出して頼むんや。そして、そのあと半時間ほど心の中でお願いした後、もう一度自分が知りたい事を精査してみると自然に答えが浮かんで来るんや。それが神さんのささやきやねん。

“人々は、公園や海岸のベンチに静かに座っている時に、良心のささやきに耳を貸さないために非常に価値のあるものを失っています。彼らは、一人きりになるのを恐れ、静寂でいることを何か忌まわしい物のように見なして避けています。しかし、自分自身の真理を見つけるのに一人で静寂にしている時にのみそれが可能なのです。”

“想念は、正しいことも間違っていることもあるでしょうが、直感の促しは真理以外の何ものでもありません。想念はほとんどの場合、感覚的で世俗的な性質を持っています。一方、直感は内なる声、つまり良心のささやきであり、神聖なるものです。”

“真理は純粋で汚れのない心から、良心のささやきとして聞こえて来るのです。”

“人間の内面には良心というものがあり、つねに正しいアドバイスをささやき、正しくない行動を止めようとします。人間はこの良心の声をほとんど黙らせてきましたが、それは神の声であり、その声を黙らせることはできません。”

ポニョ:でも普段の生活で、三十分もかけていちいち神さんに聞いてたら日が暮れてしまうよな。

ヨシオ:だから、さっき言ったカルマヨガをすればええんや。自分の良心に基づいて行為をし、ダルマの道を踏み外さないように、注意深く結論を出して一歩一歩人生を歩んで行くんや。
そうすることによってどんな結果が待ち受けていても、それがどんなに耐え難い結果で有っても、それを神さんからの贈り物やと思って有難く幸せな気持ちで受け入れるんや。

ポニョ:それが、カルマヨガか。酷い結果やったら受け入れるのんて難しいやろな。

ヨシオ:でもババは、一度私の帰依者になればあなたが耐え切れられないぐらいの試練は、神は与えませんから心配しなさんな。と言っておられる。

ポニョ:それやったらええけどな。でもさっきも言ったように大きな過去生からのカルマを持っていた場合はどうなるんや。ひどい結果が待ってるんと違うんか?

ヨシオ:その場合は、有効期限が切れた薬みたいに、薬を飲んでもそれを飲んだ本人は気が付かないようにして、その人のカルマを返すことを神の恩寵でやってくれるんやて。

ポニョ:それって最高やないの。大元の神であるサイババさんやからこそ、そんな凄い約束が出来るんやな。なんか嬉しくなってきたぜよ。

ヨシオ:と言ってもポニョは大したカルマを持っていないけどな。ポニョはどこから見ても善人の塊やないの。

ポニョ:そうかな。まあ海千山千のあんたと違うことだけは確かやな。

ヨシオ:あのな!せっかく褒めたったのに返って来た言葉がキツイやないの。

“夕刻の三十分か一時間を、自分の問題を熟考するために取っておきなさい。そうすれば、問題の解決策を見出すことができるでしょう。もし四六時中心配ばかりしていれば、あなたは時間を無駄にし、問題は解決できないでしょう。”

"アシュラムにいる時はスワミに直接聞くことが出来ます。アメリカにいる時は答えを求めて祈り、そのあと客観的に探求すれば、30分で答えが得られるでしょう。何が正しいか判っている時は質問せず、実行しなさい。それが自信であり、神の力なんです。
全ての人間関係を横に置いて判断をしなさい。どの人がそれに関係しているかではなく、それをする事が正しいかどうかを考えなさい。"