大分のさだまさしファンの独り言

大分に住んでいるさだまさしさんのファンです。所有のアルバムなどを紹介しながら不定期に思い出などを書いていこうと思います。

さださんに関する雑談-5①

2008-02-03 10:19:37 | さださんに関する雑談

またまた更新期間が開いてしまいました。
パソコンに向えないほど忙しいわけでもないんですが、他にもブログをやっているのと、確定申告の時期でもありますから・・・お許し下さい。

さて仕事が自営業で日曜日も出勤しておりまして、仕事前の職場のパソコンから更新しております。

実は昨日机の整理をしておりましたら、もう10年ほど前に気まぐれに書いたさださんの曲に対する私なりの短評が入ったフロッピーが出てまいりまして、大きなネタもないことだし、少しずつUPしてみようかなと。

ええ、ネタがないんですが(笑)。

少し文体が生意気なのはまだ30くらいで若かったのと、他人に見せる用ではないためです。そこはご容赦下さい。
また曲順は当時思いついた順です。

<天までとどけ>

 あの時はこんなに自分がオタク化するとは思っていなかった。小学生の終わろうとするころ、時代はキャンディーズの時代の末期であり、ピンクレディーの時代の最盛期であった。そのころの私は、アイドルに自分から背を向けることが美徳と感じており、だからこそ自分の居場所を模索しようとしていたのかもしれない。そうこうしているうちに、渡辺真知子やアリス、甲斐バンドなどのポップス、ロックが出没していた。そこに場所を見つけようとしていた。
 そんな中にこの曲はあった。したがって、「さだ」の曲として認知するのではなく、これから数年の間続く一般的「さだ」全盛期のきっかけとしてでしかとらえられなかった。そういった意味では、自分の不明を恥じるしかないのだが、小学校6年の子供が「さだ」オタクにならないことを誰が責められるだろうか(笑)。この曲は、そういったジャパンポップ、ニューミュージック全盛期のさきがけの曲として心に残るため、今ひとつ私の中で「さだ」のほかの曲と同様に昇華しきれていないことをお詫び申し上げる。(誰に?)ただ、フリーフライトレコードの最初のレコードであり、社歌であることは後に知った。

交響楽

 高校時代の私は、一人暮らしが板につき、実家に帰ることが苦痛だった。しかし仕送りを受け取らないことには暮らしていけないため、月に1度自転車で、30kmほどの実家までの道を往復していた。この曲は、グレープ時代の曲なのだが、実質的にライブアルバム随想録のなかで、オープニングの曲として心に残っている。
 ある日実家に帰った僕は、父と大喧嘩をした、というよりちょうど反抗期の折、肉親と話をすることがわずらわしく、そんな私の対応が父のしゃくに障ったのだろう。私はその夜泣きながらこの曲をテープで聞いた。この曲はグレープ時代のもの、随想録のもの、帰郷のものがあるのだが、今でも随想録のそれが印象に強い。今となっては、帰郷のものをもっとも良く聞くのだが、あのテープどこへ行ったのだろうか?
※この時点では随想録のCDを持っていない。(現在の私、注:笑)



結構恥ずかしいような・・・まあいいか。
日曜日の笑い話のひとつにしてもらえればいいです。


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