大分のさだまさしファンの独り言

大分に住んでいるさだまさしさんのファンです。所有のアルバムなどを紹介しながら不定期に思い出などを書いていこうと思います。

惠百福~たくさんのしあわせ

2018-06-08 17:12:26 | オリジナルアルバム

あまりに久しぶりすぎて死んだんじゃないか?とうわさされる…ほど心配してくれる人もなく、プライベートでは超ウルトラローリングサンダースペシャルドラゴンαネオな出来事が起こりまして境遇が結構変わりました。まあだからと言ってこのブログには関係ないわけですが。
本当はさだペディアが終わり、このブログのエピローグ的な記事を数回出してこのブログを無期限休止する予定でしたが、さぼっている間にニューアルバム(もうニューですらない)が発売されました。で、本当は昨年の10月にアルバムの記事は書いたのですが、最後の方を書こうとしたとき、超ウルトラ…なことがおこったため結局放置になりました。この度最後の方を加筆して無事に公開の運びとなりました。
ということで、ここまでと最後の方を除いては昨年の10月あたりに書いた、とご理解いただき読んでください。では、どうぞ。



最後に更新したのが今年の1月5日ですから9か月も放置しておりました。
とはいえ、あと数回でこのブログを終わるつもりでしたから大勢に影響はないのですが、何と言ってもその間にアルバムは発売されるは、大雨で自県で大きな被害がでるわ、某国がミサイル打ちまくるわ、総理が変な気になって急に解散するわ、最大野党が例のあの方の党に吸収されるわ、それに反発した一部議員が別の党を作るわ、私は相変わらず女の子にもてないわ…(途中からやけくそ)。


さて、さすがにアルバムが出た以上それに触れないわけにはいきません。かといってさだペディアはもう完結しましたのでアルバム紹介という形で感想などを書いてみようと思います。

惠百福~たくさんのしあわせ  (2017.9.6)


1、約束の町  2、つばめよつばめ  3、ガラパゴス携帯電話の歌  4、GENAH!  5、詩島唄  6、たくさんのしあわせ  7、秋蘭香  8、避難所の少年  9、いにしへ  10、潮騒

誤解を承知でかくけれども、今回のアルバムは「さだまさしのさだまさしによるさだまさしのためのアルバム」といえると思う。もちろん悪い意味ばかりでもない。あるいはあんまり変わらないが「さだまさしのさだまさしによるさだまさしファンのためのアルバム」と言い換えてもいい。

私はさださんのアルバム(とりわけさだペディアで上位になったアルバム)の最大の魅力は様々な人間模様の描写だと思っている。同じ人間でも立場が変われば強さも考えも変わる。それをさださんの曲は結構な確率で網羅してくれていた。例えば「案山子」という歌は聴く側がどういう状態(境遇)であるかによって大きく感じ方が変わる。悪く言えば一般性を持っていないといえるし、よく言えば歌が自分の人生に寄り添うものになりやすい。
それはこのブログでも再三言ってきたような「ふり幅」と言えるし、作り手はさださんであるのに、語り手はさださんではないかのような分離状態を起こすともいえる。分離しているから届くのだ。

さてこのアルバム。1曲目の約束の町で「君に目指す場所はありますか」と問いかけているのは誰だろう。今のところ私には「さださん」だと思えるし他の誰かのような気もする。2曲目、4曲目、5曲目、6曲目、8曲目、9曲目は完全にさださん主観の歌。ということは私の言う分離状態が起こっている曲は3曲目「ガラパゴス携帯電話の歌」と7曲目の「秋蘭香」と最後の10曲目「潮騒」だけということになる。

ここは勘違いしてほしくないので書いておくが、さださんのアルバムだからさださん主観になるのは当たり前といえば当たり前であるし、だからこのアルバムがだめだ、と言っているのでは決してない。あくまでも先述したこのアルバムが「さだまさしのさだまさしによるさだまさしのためのアルバム」であると感じた理由を説明しただけである。

ただ一つ言えることは、もし私がタイムマシーンでさださんオタクの入り口になった印象派を聴いた高校時代に戻ることができたとして、このアルバムを当時の僕に聴かせたとして、果たして印象派と同じ衝撃を受けたか?といえば、それはやはりNoだろう。尤もそれをいうのは色々な意味で尋常でなく酷なことであることはわかっている。当時二十代独身のさださんが今では還暦を超えて子供も独立し映画の借金も返した状態。変わらないほうがおかしい。一方、当時の私は高校生。今はアラフィフのくせにたいして儲かりもしない自営業、独身。あまり精神的な意味も含めて変わっているとも思えない。つまり当時のさださんに感銘を受けた私はいまだに大して変わりもせず、当時のさださんの姿を追いかけているだけなのかもしれない。だからこそ現状のさださんの活動、姿に大してどうしても否定的になれない。どっちかというと私がおかしい、とすら思っている。

とはいえ、1曲1曲の評価とはまた別であるので、曲の感想も書いてみたい。
「約束の町」は1曲目にふさわしい曲。とにかく曲が良くできている。一番を聴いた後、二番「人と書いて思うと書いて偲ぶと読む日もあるんだ」とてっきり続くと思いきや裏切られた。まだまだ私はさださんの思いに達していないと思った瞬間である(苦笑)。あの一番を聴いたあとの「どや感」を思い出すたびに恥ずかしく思う日もあるんだ…。今回のアルバムで最も好きな曲である。

「つばめよつばめ」小さいころから超近鉄ファンでセリーグは超巨人ファン(というより王ファン)で、大学時代読売がBクラスの一度もない王監督を更迭した翌日から超が付くほどのアンチ巨人になった私が、セリーグどこにしようかなあ(どこがあのにっくき巨人をコテンパンにしてくれるか)と思っていた少しあと(更迭が88年で90年のこと)野村克也監督が弱小ヤクルトにやってきた。そこからは皆さんもよくご存じのとおりID野球という革命を起こしヤクルトの全盛期が始まる。特に野村監督は意識して(セリーグを盛り上げるために「あえて」、という人もいる)巨人をライバル視して開幕3連勝などあの強い巨人を相手に渡り合ってくれた。それ以降私は野村監督についてファンチームを移動することになる。当然その後阪神ファンになった。あと一年やってほしかったが、奥さんの問題で3年連続最下位という屈辱だけが残り退団した。こんなことを言うと古くからの阪神ファンに怒られそうだが、あの野村阪神時代弱かったけど野球はとても面白かった。春先なぜか首位に立った時はうれしくて手に入るスポーツ新聞を買いあさった。伝説の遠山・葛西・遠山なんて巨人の星世代の私にはたまらなかった。さて、途中、わが愛する近鉄はなくなったため、パリーグは九州に来てくれただけでなく王監督まで招聘してくれたダイエー、ソフトバンクと移り、4年ほど野村楽天に浮気したが、現状パリーグはソフトバンク、セリーグは野村阪神がなくなり、しばらく空白だったが2010年に同郷の野村謙二郎さんが監督になったので広島になった(まさかこんなに強くなるとは思わなかった。だってず~っとBクラスだったし。尤も監督が野村さんでなければファンになってない。)。
ん?なんだったっけ?そうそうヤクルト。さださんはいい選手を引き抜かれるみたいなことを書いてあったがまあ広島のそれよりはましだし、現実に野村監督時代は強かったわけだし、今シーズンはけが人の多さがすべてだし。そう考えると身から出たさびともいえるし。強かったID野球時代のころの選手はもちろんいないが、やはり守備、走塁がはつらつとしているチームにするためには練習をしっかりとするしかない。えっ?曲の評価?ドンマイ、というしかない。

「ガラパゴス携帯電話の歌」今回の10曲の中では上位に入る良い曲だけれど、すこし弱気すぎる気がする。ちなみに私もガラケー使いだけれどそこまで心配していない。今使っている「P905i」は中央のボタンが割れていて側面のキャップは剥げているし、塗装もやばい状態だが、その前に使っていた「P902」をいまだに持っているのでいざとなったらそっちにカード差し替えれば使えるし、最悪買う時も中古や未使用のガラケーはいくらでも安く手に入る。逆にNTTドコモがFOMAのサービスを打ち切ってスマホだけになるんじゃないかと、そっちのほうが心配だ。大企業はすぐに不採算を整理するからなあ(企業不信)。ん?そういえばさださんガラケーだったっけ?

「GENAH!」がんばらんばの続編か?大分でも「げな」という言葉は結構使うから大方の意味は分かったが…こん曲 アルバムに しゃっち いるかえ?(大分弁:この曲アルバムにどうしても必要ですか?)

「詩島唄」ビフォーアフターは拝見して匠の工夫に感心したが、どうもこの曲は無理。これはコアなファンやさださんからおしかりを受けるかもしれないが、90年代頃まであった「ユーモア」が「ネタ」にすり替わっていやしませんか?言葉を変えると当時の軽さが重くなっている。ネタもどんどん摩耗するかのように変化していき、初期の話と変わってきていることも多々ある。例えば「北の国から」の作曲秘話(もう何度もTVで紹介されて秘話でもないが)。当初は倉本さんの家にはさださんとバンドでギター担当の坂元さんもついていったはずで、事実最初のころは2人で行ったことになっていたが、最近じゃ坂元さんの「さ」の字も出ない。別に私は坂元さんのファンではないが、そこはやっぱりやりすぎじゃね?と思わんでもない。先代の桂文楽は十八番(おはこ)の持ちネタが少ないが、どれを何回やってもほぼ同じ時間で同じ出来で同じ場所で笑いが起こったという。ちなみに明烏が有名だが私は景清が好きだ。まあ余談だが。「ネタ」にするんならそこまですべきだし、そうするつもりでないのなら「ネタ」化しないでほしい。さださんの話が面白いこと、上手なことはわかっているし尊敬もしているのだが、どうもライブ盤を聴いていると1000回記念あたりのトークのほうがおもしろいと思うのは私だけか?

「たくさんのしあわせ」以前このブログでも書いたがしあわせとふしあわせは対義語でありながら方向は同じである。幸せになりたくてやったことが結果不幸せになるからだ。またしあわせ不幸せは現象の名前ではあるけれども最終結果ではない。今幸せなことは将来を保証するものではないし、逆もまた正しい。さらに、これは結構重要だが、しあわせ、不幸せは個人的なことである。だから「まわす」ということになるのだろう。私はその部分ではさださんと意見が違うが感覚としてはわかる。曲は盆踊りを意識したのか明るい曲調で耳にはのこる。尤も地元の盆踊りではこれをやるのは無理だと思う。

「秋蘭香」とてもきれいな旋律と端正な歌詞であるけれども、どうも印象に残らない。何しろこのアルバムのほかの曲と比べた時におとなしすぎる。アルバムが違えば光るだろう曲で、またアルバムによっては最後の曲になるかもしれないほどの曲。少し不遇だったか…

「避難所の少年」この曲のことはおいておいて、私がどうしても理解できないことがある。あれほどの地震があり、津波があり、天災・人災入り混じりながら、福島原発の周りではいまだに帰れない人もたくさんいる。我が大分県に越してきた方も一人や二人ではない。それだけならまだしも「福島産の農産物」などはいまだに風評被害があるとも聞く。つまりあの問題は全くかたが付いていない。ある意味で震災被害の中で一番根が深く長引いていく。であるのに原発を再稼働しようとする発想には全く理解できない。与党の人たちは全部の責任を当時の政権与党の責任にして、また当時与党で今野党の人たちはかつての自分たちの責任を、まるでなかったかのように日々過ごしているように(実際はそこまでひどくないのだろうしそういう人ばかりではないのもわかっている)感じる時もある。資源のない日本にとって火力発電に多くを依存するのはリスクが大きいことはわかる。しかし、未だに故郷に帰れない人がいる現状が未解決なのに次の犠牲者を出す可能性のある原発を再稼働することがどれほど意味のある事なのか。
こういうことを言うと市民運動家のようだと揶揄する人もいるかもしれない。私自身は原発よりは最新式の火力発電機の導入を目指しつつ、輸出用(地震・津波のない国へ)として原発の技術研鑽は続けるべきという立場で「そのため」なら一か所くらいあってもいいとは思う、という立場だ。でも、それでも今再稼働をするのはどうなのか?と思う。せめて福島に(故郷に)全員が帰れる状態になって(帰る帰らないは被災者にまかせるべきだが)初めて再稼働の話になるのではないかと思う。
再三ブログで書いている通り、人間にとって「帰れる場所」というのは何物にも代えがたい。それがないのならともかく、あるのに国の問題で帰れないほどの悲しみがあるだろうか。また東京電力の現場で働く人の苦労を思うと、当時や現在の経営陣の責任はとても重要だが、これもまたなかったかのように表に出ないのは悲しい限りである。
「いにしえ」分類的には「まほろば」や「飛梅」の系列に入るだろう曲で、曲も強めというかアクセントのある曲で別に悪くはない。でもこの系統の曲はどうしても「まほろば」「飛梅」「修二会」と比較してしまうので、すげ~良かった、とはいかないのは申し訳ない。
「潮騒」曲自体は最後の曲にふさわしく、個人的ランキングでは1曲目の「約束の町」に次いで好きな曲。それとは別に、実は高校時代にさだファンになってもうすぐ40年になるが、当時から「きっと『潮騒』というタイトルの曲ができる」と思っていた。えらい時間がかかって実現し、アルバムのインデックスを見た時「やっと来たか」と思った。いや、超個人的な話で申し訳ないですけど…(汗)。

というように曲単位でみれば結構な出来であることは間違いない。基本アルバムに個人的にヒットする曲が2曲あれば満足する私にとっては最初と最後の曲で合格ラインには達している。ただ前述したように、「アルバム」としてみた時、または「かつてのそれと比較」した時にどうかは別問題である。さらに言えばアルバムジャケットも「夢の轍」や「夢の吹く頃」のような「ドキッ」っと感がない。いや別におぐらさんの絵が好きとか嫌いではない(汗)。

さだペディアをやっていたとしても10位には残念ながら入りませんでした。とはいえあの企画は超個人的企画なので皆さんはお気になさらずに、と今更フォローしても遅いか…


次回は…いつになるか不明です。皆さんお元気で!


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4 コメント

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Unknown (nagayume)
2018-06-10 10:05:39
nagayume

 お久しぶりです。ものすごく濃い批評、読んでいて楽しかったです。アルバムの感想は、表現の違いはあるものの、感じたことは同じ様に思えました。

>同じ衝撃を受けたか?といえば、それはやはりNoだろう
 ここは私も激しく同感です。そういうアルバムは年々少なくなっている様に思えます。

>「つばめよつばめ」「ガラパゴス携帯電話の歌」「GENAH!」「詩島唄」「秋蘭香」
 ほぼ同意です。

>「いにしえ」
 直球で書いてあった笑いました。その通りです!!

>。ただ前述したように、「アルバム」としてみた時、または「かつてのそれと比較」した時にどうかは別問題である
 これねえ。すごく分かります。ただ、ここ20年はそういうアルバムの方が多くて、批判ばっかりになるなあと思い、表現を変えたし、考え方もちょぴっと変えました。それが私のブログでの表現です(^_^;)

>「たくさんのしあわせ」
>しあわせとふしあわせは対義語でありながら方向は同じである。
 ここ、どきっとしました。今回私のベスト100に「たくさんのしあわせ」を入れつつ、最近「一期一会」が好きでずっと口ずさんでいます。この両者を結びつけていたつもりはなかったのですが、無意識のうちに結びつけていたのかな?とか思いました。

 管理人さんほどの深いことは書けないけど、「たくさんのしあわせ」はもう少し書いてみたいなあと思います。
Unknown (nagayumeさんへ)
2018-06-12 21:27:07
いつもありがとうございます。好き勝手書いてそのうちクレームでも入るんじゃないかとびくびくしています(笑)。
でもさださん自身が何かの番組かインタビューで「私のベストアルバムは次に出すアルバムです」と言っちゃってますから、私も酷を承知で比べてしまいます。
多分お気を悪くされる方もいるんじゃないかと思ったりもしてます(汗)。

もうじきニューアルバムがでそうですので、そこまでは頑張ろうと思いますので是非よろしくお願いいたします。

こちらのブログとは別にnagayumeさんのブログにはまたお邪魔します。

>たくさんのしあわせ
別に嫌いというわけではないんですが、ミュージックフェアーで盆踊りよろしく踊りながら歌ってたので「なんか違う」と思っただけですので(汗)。

またよろしくお願いします(礼)。
まほろばと晩鐘 (TTL)
2018-06-23 09:55:12
さださんの歌を分類、すばらしいですね。しかし、「まほろば」の2人の続きが「晩鐘」と思えてしまう私には、「晩鐘」がないのが残念です。

なぜ続きかというと「晩鐘」の『風花が ひとひら ふたひら 君の髪に舞い降りて』つまり、黒髪に白いものが降ると「まほろば」の『黒髪に霜のふる迄』が結びつくのです。それ以外にもリンクするところが多いからです。詳しくは下記URLを見て下されれば幸いです。
http://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=1778107&id=82846848

なお、宛名のない手紙の解釈はここです。
http://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=1778107&id=41744516
TTLさんへ (大分のさだファン)
2018-06-25 15:36:14
ようこそおいでいただきました。ありがとうございます(礼)。

また、過分におほめ頂きありがとうございます。

さて、まほろばと晩鐘の件ですが、今回の分類はあくまでもさだファンになったばかりの人が「この曲いいな」と思って、「似た曲ないかな?」となったときのインデックス代わりになればと思い、「似た感じの曲」ということで独断で分類しました。

なのでまほろばは内容というより「曲の感じ」「日本の場所の名前などが出ている」という一致点で分類させた頂きました。
さださんの歌詞の深いところまで行き過ぎると分類がうまくいかないかな、というより私の力不足(汗)、によってこういう形にさせていただきました。
なので、ファンの方の中には物足りないこともあるかもしれませんが、ご容赦いただければと思います。

あと少しで休止するブログですが、もしよろしければお越しいただきご意見いただければ、と思います。

ありがとうございました。

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