磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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ヒロシマ歴程-外科医の回想-

2006年04月17日 | 読書日記など
『ヒロシマ歴程-外科医の回想-』
    原田東岷・著/未来社1982年

原田東岷の本を昨日に続き
取り上げます。




大田洋子が原田東岷のところに取材にきたことが、
記載されていました。

原田東岷の平和主義と、大田洋子の原爆非難の態度の
違いが鮮明に出ている光景でした。

大田洋子はABCCを、アメリカを怨めというような姿勢であるが、東岷は「憎悪は別の憎悪以外のものを創り出さないのじゃありませんか?」という姿勢であったという。しかし、東岷はこの言葉を、残念なことに大田洋子に語れなかったという。

他の本では、大田洋子だけでなく、民間の医師がABCCに協力して、便宜をはからってもらっていたことが書かれてあります。

それに対して原田東岷は患者のためと述べています。

しかし、他の本では、例えば中沢啓治は民間医師が患者に秘密でABCCに検体をだしていたなど、被爆者を裏切ったと書かれてありました。

原田東岷がそれに加わっていたか、そうでないかは書かれてありませんでしたが。

この本にもどります。原田東岷は慈恵医大を卒業して、台湾で軍医として働き広島で開業したことが書かれてあります。

原田東岷の姉が被爆したことが書かれてあります。
原田東岷もアメリカに対して、怨みを持ちたかっただろう。
しかし、それでは平和はこないのではと思ったらしい。

原田東岷は原爆乙女をつれて、
アメリカに行った医師でもある。
もし、彼が凝り固まった人間であれば、
原爆乙女はさらに不幸であったかもしれない。

原田東岷は平和運動でいろいろな国の人たちと関わりを持っていました。

そして、アメリカでの反戦秋季大動員で、
ヒロシマの灯がワシントンの空に輝いていたという、
原田東岷はこれにも力を貸したという。

さまざまな活動の中の一つ、
「広島を知らせる委員会」(HAC)も発足したという。

そこで、日米の平和運動の差もかいておられます。
日本はイデオロギーに関係するが、米国では良心に属する
運動であったという。

イデオロギーなら、共産党の人たちは共産党を正義のように
いうけれど、ソ連にも中国にも原爆があって、彼らも
また戦争中毒といってもいいと思う。
そんな彼らのイデオロギーを平和とはいえないと思う。


ベトナムで負けたのはニクソンという表現は、
あっていると思いました。下「」引用。

「ベトナム戦でアメリカは敗れたと言われるが、負けたのはニクソンであり、国民でなかったとも言える。なぜなら彼ら非暴力の市民たちが、アメリカ兵をベトナムから呼び返したからである。」

有名な“Death in Life”
日本訳は『死の中の生命』となっているが、
ひどい誤訳でリフトン教授が怒っていたという。

前著『ヒロシマの外科医の回想』で登場したタオさんのことが書かれある。
タオさんはベトナム孤児で、左顔面の肉が削り取られて、
口が開かない状態にあったのを原田東岷が困難な手術をしたという。

マイ・フォン・ダオさんが、自分が受けた恩は、
祖国に帰って孤児院を建て、路上に溢れている
不幸な子らの面倒をみることによって返したい
といいだしたという。

ダオさんの願いに対し、広島のYMCAや、
仏教会の青年部、高校生たちが立ち上がって募金をはじめ、
ライオンズクラブの人たちも応援をして、
約半年のうちに三百万円もの金額に達したそうだ。

善意の輪が広がったという。





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