磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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母と子でみる A6 ヒロシマに生きて ある外科医の回想

2006年04月29日 | 読書日記など
『母と子でみる A6 ヒロシマに生きて
   ある外科医の回想』
      原田東岷・著/草の根出版会1999年

いろいろことが書かれてあります。
どうかなあ? と思うことも多々ありました。
九冊目の本だそうです。知りませんでした。



以前の本でも書かれてあった大田洋子のことがまた
書かれてありました。下「」引用。

「少なくとも某女流作家が、原爆症の研究をABCCの医師と共同でおこなっていた私を、原爆を落とした敵が憎くないのかといって罵ったのだが、そんな憎悪や恨みに動かされはしなかった。ことによると今やっていることは壮大な神のプランの一部かもしれぬと思うこともあった。」

後ろめたいことでもあるのでしょうか?
大田洋子の気持の方がある意味では立派かも
と私は思います。

憎しみだけで平和は来ないかもしれないが。
被爆者が憎悪しても仕方がない、そんな現状を
理解できない人なんだなあと、原田東岷の
こういうところは残念で仕方がありません。

それでも、私(原田東岷)は医師だから、
私の仕事をまっとうするというのなら、
なお立派だったと思います。

原田東岷よりも大田洋子の方がヒロシマの
惨状を伝えていると私は思います。

権威主義的な方なんだろうなあーと思う表現は、
ここでもありますね。
“女流”作家などと1999年で書かれておられますし、
田辺聖子などなら、「馬鹿にするな!」と
書かれていることでしょうね。
でも、この時代に生れた方なら、
この方に限ったことではないかもしれませんね。


広島へ訪れた歌手ジェーン・バエズは、ワールド・フレンドシップセンターに1000ドルの寄付をしたという。

日本軍の本音と建前が書かれてあります。下「」引用。

「昨年連帯配属の山砲大隊ではトラック隊がゲリラに襲われました。剣道三段の関野軍医大尉は軍刀をふるって勇戦奮闘(ふんとう)されましたが撃たれて傷つき捕虜になりました。敵は日本軍が俘虜(ふりょ)になった味方をどう扱うかよく知っていたので半年後、わざと放免(ほうめん)したのです。本来なら彼は英雄なのです。だが、北京の軍事法廷は非情です。判決はしなかったが、すでに戦死の公報を出してあったらしく、生きておられては困る。そこで自殺が示唆(しさ)されました。戦陣訓(せんじんくん)に《生きて虜囚(りょしゅう)の辱(はずかし)めを受くることなかれ》という金科玉条(きんかぎょくじょう)があるのです。日本軍には俘虜がいるはずがないのです。大尉は結局拳銃自殺されました。もちろん戦死扱いです。」

「南京大虐殺」のことも書かれてありますが、
どうかなあ? と思うことでした。

ボルゴグラードのママーエフの丘の女神像は日本でいえば靖国神社とう表現にも、疑問が残ります。

アメリカに行き手術前にほほえみを
取り戻した原爆乙女の写真が掲載されていました。

「ペンシルベニア州ペンドルヒルのクエーカー学校でくつろぐ手術前の乙女たち(1955年5月15日)」

バーバラとノーマン、二人の名前をつけたバラ(著者の作品)は、
今なおわが庭で生きていると書かれています。



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