『写真物語 あの日、広島と長崎で』
平和博物館を創る会・編/平和アトリエ1994年
写真集です。
僕の若いころから見ている写真ですね。
表紙の説明があります。
「ぼくはナガサキの子どもです。四つでした。
あの日、ぼくの目の前で起きたことを、知ってほしいのです。
そして、ヒロシマのあの日のことも。
あなたに、日本の子どもたちに、
世界の人びとに。」
この少年がそのようなことを語ったようには
思えないですけど、代弁としてはいいかもしれないと
思いますね。
ふりそでの少女の少女の別の絵が掲載されていました。
下の文章が添えられていました。下「」引用。
「合掌(がっしょう)〈長崎〉
来る日もくる日も新たな死者の数がふえつづけていた。火葬(かそう)が毎日どこかの空地で行われた。家族の手で葬(ほうむ)られるもの、最後の一人を見送る仲間、あるいは引き取り手のいない遺体…。まだ暑さの残っている秋の夕暮れ。晴れ着を着せられ、焼かれようとしている姉妹の顔は、お化粧(けしょう)されて美しかった。絵 : 松添 博(当時14歳)」
このお話は絵本にもなっています。
この本ではこれらの写真は、
平和の文化遺産としてと書かれてあります。
原爆ドームもそうですが、
これは平和じゃない、戦争だとアメリカや、
ある主の政治運動で言われる方がいますね。
僕は平和の文化遺産に同意します。
戦争自体は慰霊しませんね。
慰霊の心は平和の心だと思います。
ゆえに、平和の文化遺産と思います。
そして、どこの国の方も共通認識になるものだと思います。
「平和のための写真物語シリーズ」には、
『写真物語・アンネ・フランク』
『写真物語・アウシュビッツで起こったこと』
があるそうです。
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もくじ
平和博物館を創る会・編/平和アトリエ1994年
写真集です。
僕の若いころから見ている写真ですね。
表紙の説明があります。
「ぼくはナガサキの子どもです。四つでした。
あの日、ぼくの目の前で起きたことを、知ってほしいのです。
そして、ヒロシマのあの日のことも。
あなたに、日本の子どもたちに、
世界の人びとに。」
この少年がそのようなことを語ったようには
思えないですけど、代弁としてはいいかもしれないと
思いますね。
ふりそでの少女の少女の別の絵が掲載されていました。
下の文章が添えられていました。下「」引用。
「合掌(がっしょう)〈長崎〉
来る日もくる日も新たな死者の数がふえつづけていた。火葬(かそう)が毎日どこかの空地で行われた。家族の手で葬(ほうむ)られるもの、最後の一人を見送る仲間、あるいは引き取り手のいない遺体…。まだ暑さの残っている秋の夕暮れ。晴れ着を着せられ、焼かれようとしている姉妹の顔は、お化粧(けしょう)されて美しかった。絵 : 松添 博(当時14歳)」
このお話は絵本にもなっています。
この本ではこれらの写真は、
平和の文化遺産としてと書かれてあります。
原爆ドームもそうですが、
これは平和じゃない、戦争だとアメリカや、
ある主の政治運動で言われる方がいますね。
僕は平和の文化遺産に同意します。
戦争自体は慰霊しませんね。
慰霊の心は平和の心だと思います。
ゆえに、平和の文化遺産と思います。
そして、どこの国の方も共通認識になるものだと思います。
「平和のための写真物語シリーズ」には、
『写真物語・アンネ・フランク』
『写真物語・アウシュビッツで起こったこと』
があるそうです。
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