『さくらばし 3月10日』
福田庄助・絵文/草土文化1982年
3月10日は東京大空襲……。
そのときのことをえがいている……。
「あとがき」で書いてある……。下「」引用。
「3月10日の東京大空襲の前まで、わたしは熊谷市(埼玉県)の疎開先にいました。母と妹の三人で、いわゆる縁故(えんこ)疎開でした。それが何かのつごうで、急に東京に戻ることにり、3月10日の大空襲に出会いました。
さいわい、桜橋のたもとの京橋区(現在は中央区)の家は焼けずにのこり、わたしは、かろうじて助かりましたが、あの日の地獄の一夜は、いまでもしばしば思い出されて戦慄するのです。桜橋を根城にして遊んでいた幼き日の思い出も、あの日をさかいにプツリととぎれて、むなしい気分にかられてしまいます。
わたしは、絵かきのはしくれとして、つねづね“子どもの目で見た東京大空襲”を描いてみたいと考えておりました。しかしいざ仕事にかかってみると、あの夜の状況が目の前にあらわれ、そのたびに仕事が中断してしまうのでした。
桜橋のかかっていた川は、いまでは埋めたてられ勤労福祉会館や児童公園になっています。そんなわけで、皇居前の馬場先門から都庁前を通って永代橋に通じる道すじの桜橋交差点や桜橋バス停が、その名をとどめているにすぎません。-略-」
第237回 【幻の橋編(3)】 桜橋(さくらばし) 前編
各地にある桜橋
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もくじ
福田庄助・絵文/草土文化1982年
3月10日は東京大空襲……。
そのときのことをえがいている……。
「あとがき」で書いてある……。下「」引用。
「3月10日の東京大空襲の前まで、わたしは熊谷市(埼玉県)の疎開先にいました。母と妹の三人で、いわゆる縁故(えんこ)疎開でした。それが何かのつごうで、急に東京に戻ることにり、3月10日の大空襲に出会いました。
さいわい、桜橋のたもとの京橋区(現在は中央区)の家は焼けずにのこり、わたしは、かろうじて助かりましたが、あの日の地獄の一夜は、いまでもしばしば思い出されて戦慄するのです。桜橋を根城にして遊んでいた幼き日の思い出も、あの日をさかいにプツリととぎれて、むなしい気分にかられてしまいます。
わたしは、絵かきのはしくれとして、つねづね“子どもの目で見た東京大空襲”を描いてみたいと考えておりました。しかしいざ仕事にかかってみると、あの夜の状況が目の前にあらわれ、そのたびに仕事が中断してしまうのでした。
桜橋のかかっていた川は、いまでは埋めたてられ勤労福祉会館や児童公園になっています。そんなわけで、皇居前の馬場先門から都庁前を通って永代橋に通じる道すじの桜橋交差点や桜橋バス停が、その名をとどめているにすぎません。-略-」
第237回 【幻の橋編(3)】 桜橋(さくらばし) 前編
各地にある桜橋
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