磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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3・11原発震災-福島住民の証言-

2012年04月10日 | 読書日記など
3・11原発震災-福島住民の証言-
   ロシナンテ社・編/解放出版社2012年



時間が止まったという。下「」引用。

「2011年3月11日。この日から私たちの時間は止まりました。福島第一原発が大津波に襲われ深刻な事故を起こしたのです。-略-」

でも、事故は止まったわけではなく、進行形ですね。さらなる最悪も考えられるという……。特に4号機プール。しかし、他も安定したわけではないという。

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当時・川内村在住。中越地震で家を喪失して移り住んだという。【たくき よしみつ】 
情報はテレビだけに……。下「」引用。

「実際、今回の地震でも、家はしなるように揺れましたが、ガラス1枚割れず、まったくの無傷でした。周囲の家も、古い家も、古い家は瓦が一部落ちたりしましたが、どうということはありません。停電も遂分後には復旧していて、その後、強い余震が何度も来たのに閉口しましたが、村民は特に不自由もなく生活していました。
 ところが、翌12日午後から様相が一変します。
 携帯電話は地震直後から遮断された(「圏外」表示に)ままでしたが、午後にはインターネットとひかり電話がダメになり、情報はテレビだけになりました(我が家はラジオの電波が届きません)。不安になっていたとき、夕方5時頃、民放地上波テレビにの福島第一原発で爆発が起きたという衝撃的な映像が出ました。」

ドロボウぶり……。下「」引用。

「私の日記の常連読者が、こんなメールをくれました。
「この国のお役人の税金泥棒ぶりと、報道陣の良心と知性と勇気のなさぶりにはうんざりします。被災地などの小学生の受け答えのシッカリしていることと比較してみると 、この子たちの一部が、こういう大人になっていくとすれば悲しいことです。

 政治家はもっと情けない状態で、口にだすのも嫌になります。人の上に立つ者の持つべき資質のかけらも見られないような大人が大きな顔をしてこの国や社会の表舞台に立っているのを見ているのは悲しい限りです」-略-」

「子どもたちを放射能から守りたいんです!」中手聖一(子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク代表)。

復興のための再生を数十年お願いします……。「◆障害者の皆さんと歩んできました」 下「」引用。

「震災のあと、私の仕事場でも最大で17名の障害者の方たちが避難してきました。一時は3名までに減りましたが、今は6名の方が避難しています。
 震災で障害者には様々な支援が必要です。障害者の場合、一般の避難所では限界があります。お恥ずかしいお話ですが、福島市内の学校には車椅子で使える施設がほとんどないんです。車椅子での避難所生活はまわりの方々にトイレを手伝ってもらうといっても限界があります。私は仕事の関係でも緊急要請を出しました。
 これは復興というより、再生のための支援を数十年に渡ってお願いすることになると思います。-略-」

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子どもを疎開。下「」引用。

「すぐに子どもたちを避難させなくてはと思いました。ところが、ウカツにも避難先を準備していなかったのです。遠くの親戚、仲間たちを頼りに、ようやく3月24日に岡山県へ母親と3人で疎開しました。」

原発周辺に住む人たちは、避難先を確保しておいたほうがいいですね。
えっ! 東京も? 4号機プールがアウトなら、そうですね……。
疎開先をさがすのも、大変なことでね……。

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子どもを人質にとる山下たち!? 下「」引用。

「福島市の教育委員会には、始業式をやるかやらないかという権限を持っていないということでした。
 じゃ一体、それは誰が決めているのか。
 ここに4人のアドバイザーの姿が見えてきました 。長崎大学・山下俊一さん。この方がアドバイザーのリーダーです。そして教育関係は、広島大学の神谷研二さん。こういった方々が、福島県の放射線健康リスク管理アドバイザーに就任し、県へのアドバイザーとして助言をしていることが分かりました。
 この人たちが、どういう方たちかを広瀬隆さんにメールで問い合わせをしました。その結果、これは本当に始業式をやる気に違いないと思いました。
 こうなると私の妹たちも、ご近所の自主避難している皆さんも、学校が始まるとなると戻るしかないんです。皆さん、その現実に逆らえない。そんな感じなんです。私はこれでは子どもが人質にとられると直感的に思いました。」

日本のメンゲレといわれる歴史に残る山下の調印式!? 下「」引用。

「一方でこの山下さんは、長崎大学、広島大学、福島県立医大の三大学で連携して研究に取り組むと、調印式を福島市で結んでいました。
 つまり今回の事故後の経過を監視、調査するための体制を整えたんです。その実質的なキャプテンが山下さんです。
 調印式が地元の新聞に載っていました。山下さんは、「極めて低い放射線量を長期間浴びるという例はかつてなかったため、健康リスクがないと証明することは極めて難しいが現状」と発言していました。
 どういう意味でしょうか?
 山下さんでも現状では健康被害がないと断言できないんです。
「これから私が行う研究は非常に価値があるから、皆さん、是非、注目してくれ」という意味でしょうか。
 この山下さんを始め、4人のアドバイザーは、県民にむかってあちこちで喋りまくっています。
「この程度の放射線では健康被害が出るはずがない」「全く問題がない」と、そう断定しまくっています。だったら研究価値なんかあるわけないじゃないですか。」

価値は因果関係不明にもっていくことだろうと思います。「原子力ムラ」の賠償金が少なくすむように、また何もなかったように推進するために……。チェルノブイリのIAEAやWHOのように……。

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広瀬隆は正しかった。下「」引用。

「私は広瀬さんの講演会を聞いて、大変、勉強になりました。でも一つだけそこまで言わなくいいだろうと思う点がありました。それは、御用学者・マスコミ批判です。
 でも今回・福島で起こったことで、そのことがよーく分かりました。確かに私たちの子どもたちを危ない目に遭わせて、病気で殺そうとしているのは、彼らはなんです。
 私は思います。もし学校の再開を父母たちや教育委員会や校長先生たちが決めていたら、多分、まだ学校は再開していなかったと思います。」

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復興のシンボル? 下「」引用。

「他にもこんな話もあります。福島市の知り合いの障害者団体では、5月の連休に毎年、新浜公園でイベントを開催していました。その公園から基準を超える放射能汚染値が測定されたので、中止にすることにしました。ところが、市役所は、「是非、公園を使ってくれ、復興のシンボルになるから」と言われたというのです。」

ハダカの王様? 下「」引用。

「福島市では、一体、何が起こっているのでしょうか?たまたま取材に来た新聞記者と話していました。
「中々、記事にならないよね」
「わたしにも小さな子どもがいるんですよ」
「心配でしょう」
「ええ。記事は書いていますよ。でも不安を煽る記事はダメだと言われています」
 今、地元はハダカの王様状態です。」

ハダカの王様って、誰か殺されましたっけ???
記者のどこが王様なのか???

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【疎開】「◆移住する権利を保障する必要があります」 下「」引用。

「学校の先生の話だとクラスに数人は疎開している子がいます。統計は取っていませんが、数パーセントになると言っています。今、疎開してる子どもは、経済的に余裕のある家が多いと思います。
 うちは、貧乏だけどカミさんと子ども2人を疎開させてます。疎開できたのは、それなり伝があったから、だから疎開させることが出来る人たちは、限られてたと思います。
 チェルノブイリでは、1ミリシーベルト/年では移住する権利、5ミリシーベルト/年なら義務。あのソ連でさえそいう基準・措置を取ったんです。ICRPなら1~20ミリシーベルト/年が権利発生ゾーンですね。20ミリシーベルト/以上が強制排除ゾーンですね。
 当然、福島県民には移住する権利を与えるべきです。ウチのカミサン、仕事を休んで子どもたちと疎開しているんですよ。その賃金を補償すべきですよ。」

MOX承認知事は……。下「」引用。

「今、県知事は全く働こうとしません。「全部、国の責任だ!」と言っています。国からの通知を市町村に垂れ流すだけ。東電が来ると、ただ文句を言って怒るんですよ。
 僕らは怒って欲しいんじゃないんですよ。ちゃんと東電に「責任を取れ」「必要な金を払え」と言わなきゃいけない。-略-」

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一時塩田だった……。下「」引用。

「第一原発の建設される前の大熊町の長者ヶ浜は陸軍の訓練飛行場があったところです。1939年の頃です。
 このように35メートルの切り立ったところをわざわざ開削して低くしたところに原発を建てました。
 敗戦後、1950年国土計画興業(西武の堤康二郎氏が代表)が炉心近くの土地を払い下げを受けて塩田を作っていました。あわせて夫沢地区周辺60人、約ヘクタールを坪2円70銭で払い下げられました。
 1960年に原発立地計画が浮上しています。以下、60年代の流れを年表でまとめました。-略-」

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飯舘村に移住した人の大震災初期のころの感想……。下「」引用。

「「このような大震災があっても、この農場では食べるもの、お米、数十種類の野菜、穀物、保存食、など生活にすべてものが十分にある。農場の中に水も湧いている。煮炊きするための薪などの燃料もある。電気は止っているが、生活には全然困らないね。しかし相馬市や原町は大変な状況だから、出来ることを考えなければ」と話していました。自然災害によって、ライフラインがストップしてもあわてる必要のない自給自足の生き方の非常時における真の強さを実感したわけです。」

そして、そこに「死の灰」が降り、岡山へ。










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