磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

鱧男の小説などをUP。環境問題に戦争・原発を!環境問題解決に民主主義は不可欠!

週刊朝日 2012-3-23

2012年04月10日 | 読書日記など
『週刊朝日 2012-3-23』
   河畠大四・編/朝日新聞出版2012年

特集名 東大・京大 前期入試合格者高校ランキング



「“茶番”陸山会裁判 田代研二「虚偽報告書」を全文入手 最終決戦 小沢一郎 禁錮3年求刑 法廷で明かされた検察の決定的「嘘」」 下「」引用。

「-略-だが、立証の柱だった検察官調書の大半は却下され、論告の中身はスカスカ。支えとなる法的根拠もなく、“小沢憎し”で突っ走つてきた検察の「敗北」宣言がまたもや繰り返される。-略-」

「いまも心を痛める被災者たち 避難所の「リーダー」はなぜ「うつ病」になったのか」 下「」引用。

「大震災直後、カキや海苔の養殖が盛んな宮城県東松島市に、36人の被災者がひとつの家族のように暮らす小さな避難所があった。その中心には、いつも笑顔を絶やさない「避難所のリーダー」がいた。だが、仮設住宅への入居が始まり、「大家族」はバラバラに。最後まで避難所に残ったリーダーは現在、精神科に入院している。-略-」

「広瀬隆 山本太郎 「危険を訴え続ければ必ず変わる瞬間がくる」」 下「」引用。

「連載も残り2回。ラスト前に対談をお願いしたのは、広瀬隆氏が「今もっとも会いたい人」と言う役者の山本太郎氏。「原発はいらない」と訴える頼もしい“後輩”に、広瀬氏も熱いエールを送り続けた。-略-」

同じドイツでも……。かつては、今の脱原発のドイツではなかったようだ。下「」引用。

「広瀬 ゴアレーベンの人たちと話をしても、デモをやって警官に殴られたとか、そういう話ばかり。どこへ行っても同じような話を聞かされた。山本さんが行った今のドイツとは、まったく違っていたんです。87年出版の『チェルノブイリの雲の下で』(田代ヤネス和温著、技術と人間)を読むと、当時の様子が詳しく描かれています。
山本 今は、もう勝ち取ったあとなんですね。
広瀬 そう。僕が行った時代には緑の党が力を持って、反原発の機運が盛り上がっていた。最終的にコール首相(当時)に「原発はやめよう」と言ったのは、ドイツの2大電力会社の社長なんですよ。産業を維持しようと思ったら、理性的になるんですよ。彼らはね。
山本 そうなんですか。日本でも、これだけの事故が起こったんだから、ふつうは原発をやめますよね。
広瀬 大事なことは、原発の危険性を訴え続けることです。続けていれば、ガラッと変わる瞬間がくる。絶対にくる。それが僕がドイツから学んだことですよ。-略-」









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