磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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【新潮】「原民喜」遠藤周作・著

2008年09月24日 | 読書日記など
『新潮 1964年7月号』
   齋藤十一・編/新潮社1964年

「原民喜」遠藤周作・著が掲載されていますので、原爆小文庫に置かれていると思います。



--タイトルどおり、遠藤周作が、友人である原民喜のことを書いている。

遠藤周作が原民喜と出合ったのは、三田文学であった。

そこには、柴田錬三郎がいたという。

そして、こう書く。下「」引用。

「編集部からの注文では伝奇小説というのだが、今から書くことは小説と言うより、事実のメモワールだから当時の日記をくりながら、思い出すままに記することにする。」

そして、その出会いは……。下「」引用。

「二二年『夏の花』を三田文学に発表。水上龍太郎賞を受く」とあるから私が彼を初めて知ったのは「夏の花」発表のあとだったわけだ。」

当時、原民喜は丸岡明の家の一室を借りていたという。

遠藤は一週間に一度は原民喜の所へ行っていたという。

原は「三田文学」の編集を手伝うだけでなく、「近代文学」に義弟の佐々木基一氏の勧めで同人にもなっていたという。

原民喜だけでなく……。下「」引用。

「私を三田文学の合評会につれていった吉田が自殺」

むかしの作家というのは、現代のセレブ作家とは大きく異なりますね……。

花幻忌会という名称の意味など……。下「」引用。

「花幻忌会という会の名は、原さんの「崩れ墜つ、天地のまなか、一輪の花の幻」からとって佐藤春夫氏が命名されたのである。」

そして、ラストにしめくくる……。下「」引用。

「このように私は原さんの最後の六年間を知っているにすぎぬ。だが、その六年間の原さんの姿は、満身創痍となった一羽の小鳥がしかもなお、羽を動かし、生き続けようとしている姿に似ていた。「お前が原子爆弾の一撃より身もて避れ、あたり一めん人間のま死の渦の叫びとなったとき、そして、それからも、うちつづく飢餓に抗してなほも生きのびようとしなければならなかったのか、何がお前を生きのびよと命じていたのか」と原さんは書いているが、外見弱々しくみえた原さんからは想像もできぬこの烈しい言葉こそあの六年をどうにか生き続けさせる気力となったにちがいないのだ。」










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