磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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原発に子孫の命は売れない-原発ができなかったフクシマ浪江町- 新装版

2011年11月10日 | 読書日記など
『原発に子孫の命は売れない-原発ができなかったフクシマ浪江町- 新装版』
   恩田勝亘・著/七つ森書館2011年

図書館の説明文。下「」引用。

「福島県浪江町の棚塩地区に突然、原発建設計画が舞い込んだ。推進派の権力と金力にまかせた攻勢に、「土地を売らないでほしい」と闘ってきた舛倉隆と棚塩原発反対同盟。そしてついに推進派に勝つ。当時の23年間の軌跡を綴る。」



帯に書かれてあります。下「」引用。

「原発は欲望という負のエネルギーそのものであり、「先端科学技術の塊」というより推進者たちの「我欲の塊」と呼ぶのがふさわしい。
   恩田勝亘」
「オラたち百姓サ馬鹿にした報いだわ。
原発なんつうもん建てたらハア、
孫ヤ子どもの命サどうなっつまうか。
   舛倉隆
附・対談 高木仁三郎・舛倉隆」

彼らの判断は正しかった……。下「」引用。

「東京電力福島第一原発事故から早くも五か月が過ぎようとしている。当初はすべての関心が事故炉の行方に集まっていたが、筆者はいずれ大問題になるのが放射能による食品汚染、とりわけ日本人の主食である米の汚染を心配した。それというのも本書で描いたように、東北電力の浪江・小高原発計画に故・舛倉隆氏たち地元農民が反対したのは、土地を奪われるのみならず自分たちの米に「放射能米」のレッテルが貼られるのを恐れたからだ。四三年前もの彼らの判断は正しかった。-略-」

PRに疑い。下「」引用。

「しかし、それから二年後の七七年、今度は週刊誌記者として東海大地震と原発をテーマに中部電力浜岡原発を取材。先の「原発は安全」「放射能は漏らさない」という政府、電力会社の広報PRに疑念を抱かざるを得なくなった。それというのも原発の内部構造の複雑さと地震、津波の因果関係を考えると「大丈夫なのか」という不安が拭えなかったからだ。」

高木仁三郎のアドバイス。下「」引用。

「その後、折あるごとに原発取材していく過程でさまざまなアドバイス、助言をいただくようになったのが高木氏だ。当時は東京都立大学助教授を辞して「プルトニウム研究会」を設立、在野で活動を始めていた少壮学者であ、その後、原子力資料情報室を立ち上げて全国の反原発・脱原発運動の理論的支柱となった。
 高木氏の指導とその著作を通して原発と原子力施設の安全性について、政府、電力会社をはじめとする原発推進側の論理が破綻していることがよく理解できたし、それは各原発が稼働を始めた当初から四六時中、事故や故障を起こしていることが明白だった。それがいつ巨大事故にもつながりかねない。-略-」

もくじ

デタラメ保守点検など平井憲夫。下「」引用。

「平井氏の証言や記録書類をもとに東電第一原発1号機で起きた作業員の大量被曝事故、各原発のズサン工事やデタラメ保守点検の実態は、八六年から八八年にかけて『週刊現代』で掲載した。その間に平井氏を高木氏に紹介し、以後、同氏は全国各地で原発学習する人たちのために講演してきたが、被曝しながら現場で指揮監督する立場にいた貴重な語り部だった。」

塩害は2、3年で戻せるかもしれないが、放射能は……。

原発は別、自民党支持者の舛倉隆。下「」引用。

「根っからの自民党支持者でありながら「原発は別だべ」という舛倉は、原発建設阻止のためなら右も左も問わず協力し、また協力を求める。それは知識の吸収と助言を得るためで、運動そのものは「地元のことは地元で」が信条だ。しかし、東北訛りの朴訥した語り口と機知に富んだそのキャラクターは、全国の反原発運動家たちに愛されている。」

原爆と一緒で放射能出すんたべ! 下「」引用。

「そんな荒にとってい、原子力発電などというのはおぞましさ以外の何ものでもない。原発が放射能を生み出すものであるかぎり、いかに安全性が強調されようとも到底信じられなかった。
 放射能の恐ろしさを身近に感じている住民は荒だけではなかった。夫に代わって出席していた掃部関(かもんぜき)サクも、広島で被爆した叔父を亡くしている。
 半年前、親戚の結婚式に出かけた掃部関は、出席者の一人だった役場職員から「棚塩に原発できんだよ」と聞かされた。
「やんだな、わだしらそんなもん来てほしくねえ。原爆と一緒で放射能出すんだべ」」

「原発知事」=木村守江。下「」引用。

「八月一日、盤石を誇った“王国”が音を立てて崩壊した。今春四選を果たし、王座に君臨し続けると思われた“原発知事”が、福島地検に逮捕されたのである。容疑は収賄。すわ、ついに原発汚職摘発か! と色めき立つ一部ジャーナリストたちの期待を裏切り、司法の手が入ったのは原発と関係のない業者の収賄事件だった。
 すでに七月に逮捕された赤井生活環境部長を懐刀に、原発推進にひたすら邁進。“原発知事”として全国的に名を売り、県政も思いのまま操ってきた木村守江の時代は、一二年三か月で幕を降ろしたのである。
「木村逮捕」のニュースを見る舛倉は、原発そのものの終焉を願わずにはいられなかった。
 しかし、福島県における原発行政の大ボスが失脚しても中ボス、小ボスたちはいぜん健在だった。とりわけ浪江町においては……。」

海外版原発ジプシー【GE】。下「」引用。

「が、労働省の調査によれば、彼らはやはりGE社の技術社ではなく、GE社の関連会社から派遣された作業員だった。その関連会社なるものは、黒人やプエルトリコ系の労働者を集め、放射能レベルの高い原子炉周辺の補修作業に派遣する、いわば海外版原発ジプシーの元締め的な組織である。下請に危険な作業を押しつける原発の体質は、各国共通のものなのだ。
「いくら高いカネもらっても、命サなくしちまったらどうしようもあるめ。それにしても外国人サ使うなんて、電力会社のやつらいろいろ考えるもんだわ。あとで病気サなってもわかんねえもんな」
 草野質問を伝える新聞に目を通しながら、あの手この手で“被曝犠牲者”を求める電力会社のやり口に舛倉は背筋が寒くなる思いだ。」

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「ボッコレ原発」 下「」引用。

「原電敦賀といえば、たびたび事故を起こすうえ、事故隠しやズサン管理が問題になっている札つき原発である。舛倉たちが揶揄する「ボッコレ原発」としては、東の東電福島第一原発1号炉と並ぶ西の横綱だ。」

「対談 土地を売らなければ原発はできない」舛倉隆 高木仁三郎。

「読売新聞」でわかった原発誘致。棚塩90数件戸のうちとっていたのは2軒か3軒。

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県や電力……。下「」引用。

「舛倉 わたしが七○歳を越したころから、「舛倉も七○歳を越したんだから、あれが死ねば用地買収も何とかなる。あと四、五年待てばいい」と、県や電力は言っているんだね。」








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