磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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広島の消えた日 被爆軍医の証言

2007年11月14日 | 読書日記など
『広島の消えた日 被爆軍医の証言』
    肥田舜太郎・著/日中出版1982年

平和運動もされている肥田医師の書かれた本です。



広島陸軍病院の病理試験室に配属されておられたようです。
--全国でも有数のチフス、赤痢発生地である広島と当時のことが書かれてありました。
--多数の兵員が広島から外国へ戦争しに出ていく。
たった一名の伝染病患者で、船中全員が患者になる可能性もある……。

この戦局でも、上級将校が男女の風紀の乱していたという。
--他の本ですが、外国の地では現地妻をもっていた人たちもいたそうです……。

物資がなくなり、藁を培養地にしろという命令。
--学問に忠実にいようとしたという。
藁では培養地にはならない……。

戦地の軍医が足りず、おなじ職場の軍医が送られる。下「」引用。

「「硫黄島への増援はまだ行われるとききましたが」
「これが最後だろう、あそこはもう潜水艦でも近よれん。そうあせなるな。死ぬ機会はまだいくらでもくる。では、元気でやれよ」」

戸籍も消したスパイが入院しに来たという。
もちろん、陸軍にも籍がないという。


著者は外国の牧師院長を見たのが医師になる原因の一つだったという。下「」引用。

「院長は外国の牧師でしたが『日本の医者にはヒューマニズムがないらしい。貧しい子供達は診ようともしない』との怒りをふくんだ言葉に胸をさされました。そのことだけが理由ではありませんでしたが、通っていた大学建築科をやめて、あらためて医師になろうと決意したのはこの時の託児所ゆきが重要な契機になったことは否定できません。」

クラスの総代であり、もっと医者の勉強をしたいという学生の意見を訴えたという。
いつの間にか『反軍思想の傾向あり』という評価になったという。
--この時代にはこんなこともあったという……。

そして、広島陸軍病院教育対付に転出。
診察中に被爆。下「」引用。

「B29の機影はちょうど、広島の上空にさしかかろうとしていた。いつもの偵察飛行だろう、とそれ以上気にも留めず、注射器の中の空気を押し出してよく寝ている病人の腕をまさにとろうとした。
 その瞬間である。かっ、と、あたりが真白にくらんで焔のあつさが顔と腕をふいた。あっと声を出したのは覚えている。注射器はどうしたかは分からない。」


日露戦役大本営跡の史跡となっていた黒塗りの楼門は焼け落ちていたという。

現在も、被爆者を診られているという。

差別をなくしたい

広島の消えた日 増補新版






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