磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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あの日のこと-ぼくの消えない記憶・1945.8.9-

2010年06月20日 | 読書日記など
『あの日のこと-ぼくの消えない記憶・1945.8.9-』
   西山進・文絵/クリエイティブ21 2005年

「はじめに」で書かれてあります。下「」引用。

「一九四五年八月九日、十七歳のとき、私は長崎で被爆しました。原爆は、その後の私の人生にこびりついたまま離れることはありませんでした。それと同じように「もし、原爆に会わなかったら」という思いがつきまとって、二度と戦争はしてならない。なんとか「あの日のこと」を書き残して、次の世代に伝えたいという気持ちでいっぱいでした。
 その日が「あの日のこと」として形になりました。
 私の平和を願う気持ちの原点です。決して完成された「作品」ではありせんが、私の素直な思いを写したものです。日本はふたたび戦争する国になってはいけません。アジアの人たちと手をつないで豊かになっていく。そんな日本でなければならないのです。
 核兵器のない、戦争のない平和がどんなに大切か訴えたいのです。」



三菱造船所へ。下「」引用。

「一九四二年、太平洋戦争がはじまったあくる年で、卒業をひかえた私に、父が親戚の山田さんから聞いてきた話しを伝えました。「長崎の三つ微増千所じゃ、働きながら勉強できるちゅうぞ、-略-けっきょく長崎の三菱造船所にいくことになりました。」

造船所。下「」引用。

「造船所の寮は長崎市飽の浦町の山合いにありました。私の部屋は八人、部屋は「分隊」(旧陸軍では、一番小さな隊)と呼ばれ、軍隊生活とそっくりでした。」

替え歌をつくっていたという。

それで、稲佐署の特高警察の特高係に調べられたという。

長崎原爆のことも書かれてありました……。

長崎原爆。下「」引用。

「六十年たって、すべての人たちの名前は忘れかけているのに、いっしょにお母さんの遺体を焼いた「山口実(やまぐちみのる)この人の名前だけは、頭に焼きついていて離れない。」

「被爆者で漫画家、優しくて、人に安らかさを与える西山さん」肥田舜太郎・著。下「」引用。

「-略-「漫画入りで本にしたらきっと多くの人に読んでもらえる」と思いついたのが本当の動機になったのですから。
 本は思いのほか好評で、第二刷が品切れになりましたから。「漫画家西山さん」を売り出す上で多少のお役に立ってたのではと自惚れています。-略-
 西山さんの絵は、鋭さと怒りが足りない気がするかもしれません。しかし、それは、人柄の反映なのでしょう。優しくて、人に安らかさを与える絵だと思います。人類まるこど優しさをなくして角突き合っている当節には、貴重な存在だと思います。
 人間、誰も彼もが「飛び抜けた一流」を目指す必要はありません。目線を常に草の根おじさん、おばさん、おじん、おばんに置いて、これからもお友だとして長生きし、核兵器のない世作りに少しでも役立って生きていきましょう。-略-」

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文字が多いですが、漫画もありますね……。










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