磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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原爆の子●27●空白への挑戦 父の涙で終る夏

2006年07月16日 | 読書日記など
朝日新聞夕刊1991年7月30日
原爆の子●27●
空白への挑戦

父の涙で終る夏
何も言えず死んだ友に


「前回紹介した坂口博美、久代夫妻が広島市立舟入高校に在学中、一年先輩に片岡修、原徹、秋山光邦がいた。三人は親友で、そろって『原爆の子』に名前を連ねた。グラフィックデザイナーとして活躍中の片岡は愛知県立美術大の教授でもある。原は日本機械輸出組合の部長だが、秋山は一九七九年(昭和五十四年)夏、広島原爆病院で亡くなっていた。四十六歳だった。」


原徹さん。「生き残った者として、あの日を忘れてはいない
人間として、ヒロシマを静かに伝えていきたい」
=東京・芝公園で



1991年7月25日が十三回忌だった秋山は。
妻・満恵の手には長田新が「幼き神の声を聞け」とサインした『原爆の子』とともに、被爆しながら秋山が抱えて逃げたという、その古いアコーディオンが、遺品として残っているという。

原はこんな意見をいっています。下「」引用。
「今のままでは平和記念都市広島という名前も、他人の金が落ちるようにねらった名前にすぎないと言われたところで返答のしようはあるまい。平和記念都市は単なる観光都市であってよいのか。平和のための尊い犠牲であるという人がどこかにいる。しかし、これほどの高価な犠牲に値するものがわれわれに返ってきたであろうか。−−売りもの、見せものの原爆廃墟都市広島ではなくて、今こそ真実の平和都市広島を築いていこう。」

こんな原さんは、娘さんから、
「父が涙を流さないと夏が終らない」と言われているそうです。

舟入高校の「生徒の歌」は原がかいたという。






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