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シリーズ戦争遺跡 5 歩いてみよう身近な戦争遺跡

2010年11月28日 | 読書日記など
『シリーズ戦争遺跡 5 歩いてみよう身近な戦争遺跡』
   磯崎三郎・編/汐文社2010年

京都のことが多くかかれてありました……。
アマチュア映画を撮影したところなど出てきて、なつかしい気分でした……。
このシリーズは図や絵・写真が豊富ですね……。



「「師団」って何かな? 〈戦争は普通の街を軍隊一色に変える!〉」下「」引用。

「●「師団」とは戦争を実行できる陸軍のまとまった部隊
 戦争で戦う兵士にもさまざまな種類があります。戦場の第一線で戦う歩兵、馬に乗り機動力を発揮する騎兵、道路や塹壕・橋の建設などを行う工兵などです。師団にはこれらの部隊のほかに、師団司令部や兵器などを貯蔵する兵器支廠(ししょう)、兵隊が訓練する練兵場、射撃場、負傷した兵士を治療する衛戍(えいじゅ)病院などが付属しています。-略-」

〈京都の第16師団関連施設〉--陸軍第16師団(伏見深草)
・陸軍第16師団司令部跡(現聖母学院本館)
・街全体が軍隊の施設に(かなり広範囲にありますね)
・「陸軍衛戍病院(国立病院機構京都医療センター=元京都国立病院)」

「橋脚のない鉄橋に!--近鉄澱川橋梁〈戦争の訓練が優先された〉」 下「」引用。

「-略-橋脚が立てば夜間の架橋・渡河演習の障害になる」「橋脚で川の流れがゆるくなり、訓練に差しつかえる」として、橋脚を設けることは許されないというものでした。」

また、トンネル工法では、「酒造組合」の反対があったという。


「村に師団司令部が来た!
〈今も利用されている陸軍第11師団関連施設〉
●香川県善通寺に陸軍第11師団が来た!」

「●呉になぜ軍港が造られたのだろうか」 下「」引用。

「明治生ふは横須賀に次ぐ海軍鎮守府(軍港)を置くために瀬戸内海の沿岸を調べました。1883(明治16)年、測量船の調査隊は、呉裏の高い山々を見て深い海を予測して軍港の候補地として報告しました。その後、湾の入口の広さ、周囲を山と島に囲まれて波が静かであること、砲台を築くことで敵艦隊の侵入を防ぐことができること、十分な用地があること、広島との交通の便も悪くないことなどが明らかにされて、横須賀に次ぐ海軍鎮守府が呉に置かれることになりました。-略-」

「●掩体壕は飛行機の格納庫」 下「」引用。

「-略-久津川車塚古墳(京都府城陽市)。飛行機をかくすため、約10m四方、古墳の土を切りくずしています。」

「戦闘機製造工場が地下に疎開〈愛知航空機瀬戸地下工場〉」










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